【バス乗継旅】五条駅前から紀伊田辺駅前まで 1 | バスと献血のたび

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大阪からバスを乗り継いで遠くまで行きたいです。
献血の記録も載せていきます。

大阪から路線バスを乗り継ぎ、2017年8月に五条駅(奈良県五條市)に達しました。

今回はその続き。五条駅前から紀伊田辺駅前までのバス乗継旅、第一話です。

・大阪をスタートしたときの記事はこちら ⇒ [リンク]  

・前回のお話(阪本⇒五條駅)はこちら ⇒ [リンク]

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JR和歌山線の五条駅です。何か催しがあるのでしょうか、人が多いです。

今日はここから奈良交通の八木新宮線と龍神自動車の熊野本宮線に乗って紀伊田辺を目指します。

 

大阪駅から河内長野、橋本、笠田、花園、高野山、野迫川村を経て五条駅に着いたのは2017年8月。バス旅の続きをしようと思ってたら4年もたってしまいました。コロナで外出を控えたりもしましたし。

駅を出て左側にバスのりばがあります。バスは国道24号から駅前通りに入り、駅前で転回してまた国道に戻るようです。

 

五條バスセンターと五條町は市名と同じ「條」を使ってますが、五条駅というバス停名称は駅名と同じ「条」を使ってますね。

 

んんん?前回ここに来たとき、バス停の名称は「五條駅」でした。いつのまにか五條駅から五条駅に変わっていますね。

▲ほら!こちらが2017年のときの写真です。

 

これから乗るのは八木新宮線です。高速道路を走らない路線バスでは日本最長の路線と言われています。実は沿岸バスの幌延発旭川行の方が走行距離が長いんですが、あちらは豊富留萌線と留萌旭川線の直通運転ということで「日本最長の路線」には当てはまらないのかもしれません。

バス停に掲示されている路線図を見て気づいたのですが、十津川線(五条駅~十津川温泉)って廃止されたんですね。

 

2021年11月3日(水)

五条駅 10:31

↓ 奈良交通 八木新宮線

↓ [301]特急 新宮駅行き 3250円

本宮大社前 14:23

 

バスは定刻よりやや遅れてやってきました。祝日なので小さな日の丸をはためかせています。長距離バスらしくない低床のノンステップ車です。

駅前広場を転回してバス停に到着。そのとき待合室の建物(詰所を兼ねている)から職員さんが出てきて「新宮行きです!」と案内してくださいます。誰もいないと思いこんでいたのに後ろから人が現れ、ものすごくビックリしました(笑)!

 

いつもならここでバスの写真を撮るところなんですが、携帯(ガラホ)のカメラアプリが異常終了してしまい、撮影に失敗。しかも再起動しません。ガラホもビックリしたのかな(笑)。

 

交通系ICカードが使えるので、ICOCAをリーダーにタッチして乗車します。先客は10名。五条駅からの乗車は私だけです。さっきの駅前の賑わいは十津川に行く人たちではなかったみたいです。
 
疲れないように座席の背もたれが高くなっているのは長距離バスらしいですね(上の写真はカメラ復旧後に撮影)。十勝バスの帯広陸別線もこんな座席でした。ただ、前の席の背もたれが目の前に迫って景色が見づらいのが難点といえます。
 

バスは駅前通り、国道24号を通って本陣交差点を左折。国道268号を南下します。

右手に栗山家住宅という建物が見えます。建築年代の判明している民家としては日本で最古の建物!そのすぐ先の新町口交差点の右手は五條新町という伝統的建造物群保存地区です。今回は立ち寄りませんでしたが、別の機会に訪れたいと思っています。

このあたりは奈良盆地と紀ノ川(吉野川)を結ぶ物資の集散地。奈良盆地から海へ出ようとすると、ここを通ることになります。物流を舟運に頼っていた時代はたくさんのヒト・モノが行き交っていたことでしょう。

 

吉野川を渡ってしばらく行くと、右の方から鉄道の高架らしい構造物が迫ってきます。五新線の高架です。五新線は五条と新宮を結ぶ鉄道路線で、五条から阪本までの区間の建設が進められたのですが、開業には至りませんでした。こんどは右手に細い道が分岐しています。これも五新線の跡。鉄道の代わりにバス専用道として使われてきました。

 

生子というバス停があります。読みは「おぶす」。難読ですね。運転士さんの案内によると、天皇さんの娘さんが生まれたことに由来するのだとか。そういえばこの道は後醍醐天皇が吉野に逃れた時に通ったといわれる道です。

 

賀名生(あのう)も難読です。柿の販売所があります。

 

城戸バス停の東側に駅のような建物が見えます。これも五新線の跡。運転士さんはこういう見どころをひとつひとつ丁寧に案内放送してくださいます。日本最長距離路線を全線ひとりで運転するだけでも大変なのに、観光案内までしてくれるなんて。

 

市原の手前でようやくカメラが機嫌を直してくれました。五新線跡のトンネルを撮影。

 

天辻峠の峠道に入ります。大塔・十津川を秘境の地をしたのはここの山々です。いまはトンネルが山を貫いていますが、令和の時代の目で見ると、かなり狭いトンネルです。

 

▲トンネルを抜けると右手に道の駅があります。

左手は維新歴史公園。「維新胎動の地」という碑が立っています。このあたりは天誅組(江戸末期の反幕勢力)が本拠としたところですね。南朝の時代から尊王の地といわれてきた土地柄とも関係あるのでしょう。

 

ここからは熊野川水系になります。川の水は紀伊水道ではなく熊野灘に注ぎます。峠の坂を降りると阪本です。

前回は、ここからバスに乗って五条駅に到達しました。ですから今回のバス旅のスタート地点は阪本であるとも言えます。そのために同じ道を約30キロ戻ってきたことになります。

前回のバス旅では、阪本で近所の方にジュースをごちそうになりました。飲みながら談笑したことを思い出す。と同時に、その方が元気にしてらっしゃるのか気になります。

 

小代下バス停には野迫川村の村営バス乗り場も設置されています。上の写真の白いアーチ橋は野迫川村へ続く道。なお、われらが新宮行バスは村営バスに接続していないようです。

 

五條市大塔村の中心部を通り抜けます。どの建物も急な斜面にへばりつくように立っています。

 

大塔温泉を過ぎ、いよいよ十津川村に入ります。十津川村はとても広く、その面積は奈良県の5分の一を占めます。これは琵琶湖とほぼ同じ広さだそうです。急峻な紀伊山地の中央に位置し、村内には深い谷が血管のように張り巡らされています。1889年には台風による山腹崩壊が千か所を超え、谷は埋まり、地形が一変してしまうほどの大水害となったそうです。多くの集落が水没し、人々は家屋や田畑を失いました。そして新たな新天地を求めて集団移住した開拓地が現在の北海道新十津川町です。

長殿発電所。ここは2011年の大水害で全壊したところです。あれからもう10年ですか。

 

今日はこのあとも数多くの崩落箇所を見ることになります。

 

バスはやや遅れ、12時7分(実測)に上野地に到着しました。

 

ここで20分の休憩です。

運転士さんはここでお昼ご飯なのでしょう。乗客のみなさんもお昼を食べ始めました。わたしは持ってきた飲み物に口を付けるだけです。

 

来た道を少し戻ると観光売店や食堂があり、その先に有名な吊り橋があります。

 

谷瀬の吊り橋です。長さ297メートル。地元住民の方々が費用を出しあって架けたものだそうです。生活道路のつり橋としては日本最長だとか。

 

「一度に20人以上は渡れません」

と書かれた大きな横断幕。これが怖さを助長していますね(笑)。

 

いつもはバス一本あたりにつき記事一本を書いていますが、今回は乗車距離も時間が長いので八木新宮線を3本に分けて書きます。

 

(訪問日2021/11/3)

 

 

【続く】

 

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