「ホールデン・コールフィールドを追いかけて」 -9ページ目

Camera

今日はカメラについて書いてみる。

まず、基本的に良い写真はどんなカメラでも撮れるということを頭において読んでもらいたい。

これらはいちおう僕がふだんメーンで使っているカメラ2台。4x5と8x10(ニホンゴではバイテンとかシノゴとか言うらしいがその言い方は個人的に好きではない)。





東京にある立原製作所というところで造られたカメラ。特に古いわけでもない、10年くらい前につくられたカメラ。

8x10というのは8インチx10インチの意、センチで言うと20.5x25.5くらい。つまりネガ一枚がその大きさだということ。これだけ大きなカメラで写真を撮るということの意味はやはり撮れたネガティブの大きさ。その精密さといったら言葉に出来ようがないくらい、細かい。

このカメラの造りはいたってシンプル。木と紙とそれらをサポートするネジなんかの金属でできているだけ。木で出来た2つの額の前側にレンズをつけ後側にフィルムを入れその間に蛇腹が存在するだけ。もちろん電池もいらない。シャッターもズームも何にもない。面白いのは「なにもない」といのは「なんでもできる」という事。

もちろん不利なことは沢山ある風が吹いていれば撮影不可能、3脚の上に載せなければ無理なので機動性はほぼゼロ。決定的瞬間などという文字はこのカメラには皆無だ。

このカメラのフィルムの大きさはちょうど35ミリのカメラの36枚分。つまり普通に1本のフィルムで撮るのを1枚で撮ってしまう(フィルムの面積で)。学生時代からフィルム1本で撮影して自分でいいなと思う写真はあったって3枚だった。1枚もないときも多かった。だったら一枚で勝負すればいいじゃないか。

「コンタクトプリント」日本語でいうベタ焼き。ネガと印画紙をピッタリ密着させて露光して焼き付ける。それだけ。大掛かりな暗室もいらない。キチンとしたネガを造れるようになれば必要なのは赤い電球と現像液だけ。

そんなことは昔の写真家にとっては日常だったこと、今のように普通にデジカメをポケットに入れて出掛けるように大きなカメラを肩から担いで撮影に出掛けた訳だ。カメラやフィルムやデジタルなどが急速に進化する今の世の中で失ったものは多い。写真を撮るということは「時間を撮る」ということだ、だったら100年前のやり方やスタンスでいくことは僕のなかではその失った時間を取り戻せるような気がする。

もちろん今のデジタルカメラやインクジェットを否定するわけではない。8x10で撮ろうと小さいデジカメでブログ用に撮影しようとそのドキドキ感は全く一緒である。

僕がこのやり方で写真を撮っているのは僕が好きな写真家、ヒーロー達こころの底から惚れた作品なんかは比較的にこのやり方。つまり大型カメラで撮ったプリントが多い。Eugene Atget, August Sander, Paul Strand, Alfred Stieglitz, Walker Evans, Berenice Abbott, Andre Kertesz, Edward Weston, Josef Sudek, Fredrick Sommer。モダン~現代になればHarry Callahan, Aaron Siskind, Richard Avedon, Irving Penn, Robert Adams, Stephen Shore, Joel Sternfeld, Nicholas Nixon., 日本人なら杉本博司や石本泰博、柴田敏雄。みんなそうだ、皆そうやって大きなカメラで撮影してきた。

そしてなによりこの8x10というサイズが気に入っている、大きくもなく小さくもないコンタクトプリント、僕のなかではパーフェクトなサイズ。

その大きなカメラの後ろからこれから撮るであろう目の前の切り取られた景色の隅々をみているといろいろなことを考えてしまう。オレたちのヒーローたちもこうして考えごとをしながら写真を撮ったのだろうか。これからの未来を撮るわけだがネガを現像してしまうとそれは過去になってしまう。

そんな風に時間について考えながら写真を撮ることは実は「時間を撮ること」のプロセスのひとつかも知れない。カメラは「タイムマシン」なのかも知れない、そう考えたら愉しくなってきた。

・・・ま、いい写真っていうのはどんなカメラでも撮れると思うが、今はこんなカメラが好きってこと。



木製写真機、立原製作所

このサイトのほうがこの日記なんかよりよっぽど面白いかも。





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オープニング




今夜はギャラリーでオープニングです。


小さなちいさな個展。


ギャラリー・セレクションは僕のキュレーションで一番大きな部屋を飾りました。


スーツを着ようと思ったのですが、やっぱりジーンズで。


いちおうジャケットは着ましたけど(ボタンはシングルです)。


シャツはLindebergの紫、


写真に写っている「本」はウチの画廊で一番高い写真集です。


とかなんとか、飲み過ぎないように気をつけます。


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「The Fortress of Solitude」by Jonathan Lethem





ちょっと前から探してた本が見つかった。

好さそうな本だったので、ソフトカバーじゃなくてハードカバーで堂々と読みたかった。近所の本屋に何件か行っても見つからず、これはもうネットで買おうかなと探してみたらウチからはちょっと遠いのだが、40マイルくらい?離れた本屋にあるとのこと。 仕事の帰りに渋滞にまきこまれながら買いに行ってきた。

セールで$10ドル札でおつりが返ってくる値段だった。

なんでソフトカバーが出るとハードカバーは安くなってしまうんだろう、1st editionなのに。ちょっと考えてみてもプレミアムがついて高くなってもいいのにと想ってしまった。画廊などで働きすぎたのだろうか?







これはブルックリンの街のハナシ。こないだカフェで知らないオジサンが教えてくれた本。これから住む町の公園や駅やストリートなど聞き慣れたことが書いてある。70年代のハナシ。







自分がこれから住む街、近所の公園、隣の駅。そんな風景が本を開いたときに、ポロポロと文字が床に音をたてて落ちていくように読める。

そのなかに自分を置いてみようと思ったのだが、どうも上手く組み合わない組写真のように浮いてしまっている。もちろんまだブルックリンに住んでいるわけでもないのだからあの本と上手く噛み合ないのは当然なんだろうが。







引っ越したらしばらく何もしないのでゆっくり散歩でもしながらブルックリンの写真を撮ろうと思っている。毎日何枚か撮ってその日の夜、アパートに帰ったら撮影したぶんは現像しようかと。ブルックリンの話を読みながら撮る写真をイメージするってもいいアイデアかと自分ではいいことかと想う。







本を読むということは「ちょっと風邪をひいてみる」なことだと思う。その小さな黴菌のようなものに軽く侵され、少し熱がでたり、ふらふらしたり。自分の手が自分ではないような気持ちというか。時間も狂ってしまう、ちょっと目をつむったつもりが起きたらとんでもない時間が経ってしまったように。

読み終わっても直りかけの風邪のように少し咳が残っているようにまだその本が身体に残り続けることもある。

そして、その本に侵された僕の身体は次の風邪にはあるていど抵抗できるように強くなっている気がする。





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『I am having an affair with someone・・・』



実は不倫してるんです・・・







あの、書こう書こうと想っていたのですけど。







やっぱり書けなくて。







正直に、というかそのいきさつを書きます。







今、僕の住んでいる家は、duplex といってヒトツの建物に2世帯住める家なんです(2世帯住宅とは違って家のなかはつながっていない)。







つまりその彼女は隣に住んでいる奥さんでして、







彼女と僕の連絡のしかたは・・。











つまり、











「欲しい・・・」ときのサイン(暗号)はこうしてパンツを洗濯物にいれる。ってコトになってるんです。





























もともと、こういう関係になったのも、洗濯物が原因なんです。







去年の夏のある日(8月です、ちゃんと覚えています)乾燥機から服をとりだしてみたら見慣れないピンクのかたまりが「何だ?」と思ったら、すごくやらしいスケベパンツだったんです。











ピ・・・







なんて顔してマジマジとそのパンツを見ていたら、その横に住んでいるお姉さんがランドリー・ルームに来てしまって。











「あ・・それ、わたしの・・・:That is my...」











すごく恥ずかしそうに。







僕はなんていっていいのかわからなかったので「あははは」とだけ言っておきましたが。







ヘンな雰囲気になってしまい。







薄着っていうのもあったし。







(それがとっても、いやらしいというか、ムラムラしてしまい)







(向こうはダンナと実はあまり上手くいっていないようで)







それで、そのとき・・・











そのつまり成り行きで・・・











あの・・・











その・・・















平日の午前中だというのに。















しかも乾燥機の上で・・・















(スゴいエッチなことを)















(乾いた清潔な洗濯物のなかであのアメリカらしい洗濯石けんのにおいとか、それが純粋というか眩しいというか、不倫なんですけど)



















清潔なタオルやシーツなんかに紛れて。

















・・・。

















それからは週いちのペースでその「洗濯を」。































なんて「嘘」でーーーす。







































びっくりした?









まさか・・とか思いました??













ははは。










(そこでドキドキしてしまった、あなた。大丈夫ですか?)






いやいや、パンツが洗濯物に間違えて入っていたことってのは事実なんです。



しかも僕の洗濯物を乾燥機からとりだしたのは僕ではなく、そのお姉さんでして(よく乾燥機をかけっぱなしで違うことをし始めてしまい、忘れてしまって)。










写真のようにパンツが僕の洗濯物のなかに堂々と入っておりまして、どう考えても「フツーこれは間違えるか?」と。



あっ





も、もしや・・・




こ、こ、これは・・・?






「何かのサインなんだろうか?:Is this some kind of sign・・・?」


なんて一瞬、期待しまいましたけど(だって・・ねぇ?)。


一応もしかしたらもしかしたかも知れないので、










いかにも「すけべパンツ間違えて僕の洗濯物に入っていましたよ」って返しておきました。




(なんて、まだドキドキしているそこのアナタ、問題ありですよ)




なんてこのハナシをこないだトモダチの彼女に話したらそれは、ビクトリア シークレットよ。と、教えてくれまして。ビ・・・って思ってしまった(バカ)。




いや・・・最近このブログの方向性ムチャクチャですよね。自分でもよくわからないんです。






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アボカド(最終回)

こないだア・ボ・カ・ドでお騒がせしたんですが実はまだ、さよならしていなく。最近アボカドが大きくなってきたので最後の報告です。





こんな感じでいつものように大きくなってきてますね。

この前にブログに書いたときはまだ小さかったので採って食べるのはムリだったんですがカリフォルニアも最近は初夏ということで急に大きくなったみたいです。





こんなに沢山あるとやっぱり実が小さいうちに数を減らしておけばヒトツヒトツがもっと大きくなるんじゃないかって思います。カリフォルニアにはアボカドファームなんていくつかあるのですけど、やっぱりそうやって実分けみたいなことをしているんでしょうか?





コレが「秘密兵器:アボカドキャッチャー」です。アボカドの木ってけっこう高くなるんで高いトコにある実は何かで引っ掛けて落とさないとムリなんです。

あんなり高いトコから落っことすと傷ついてしまうんで、どうにかいい方法はないかと調べたり考えたりしながら工夫されたのがこのアボカドキャッチャー。

工事現場やなんやで使われている電球のカバーを改造したものです(日本にもありましたっけ?)。





これで「ニョーーーー」っと写真のようにアボを引っ掛けてパスタをフォークで巻くようにクルクルっとやると簡単に採れます。





こんな感じ。


昔は庭で土を耕すようなフォークのような農具? アレで強引に引っぱって落としていたんですが。





なかなか使えそうでしょ?





アボカドの若葉って葉の裏が赤いみたいです、もう紅葉? なんて最初は思いましたが(実がついているのに)。はじめに赤くて後から緑になるなんて不思議。





今日採れたので一番大きいヤツです。僕の手は普通の大きさなんでこれはけっこうデカいアボカド。





大猟、大漁? 大量です。アボカド豊作でした。

こんな風に紙袋に入れておいて軽く閉めておくと食べごろになるのが早くなるらしいです。

(ちなみにバナナを一緒に入れておくと熟れるの早まります、ホントですよ)





こんな風にドアの真ん前に手頃なアボがいつも育っていると嬉しいのですが、けっこうあのアボカドキャッチャーで採るっていうのも楽しいんです。

という訳で今月末でニューヨークに引っ越してしまうのでもうこの木ともおさらばです。

この家に次に住むヒトもアボカド好きだといいんですけど。




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