「咢堂映画製作委員会」キックオフに初参加 #プロデューサーは高崎隆二と監督脚本は金佑彦がタック! | 佐藤茂夫 (please call me shige)

佐藤茂夫 (please call me shige)

謹賀新年!今日から、2024年(令和6年)のスタートです。今年は節目の年です。古希で70歳です。パートの定年退職です。
朝日新聞「はがき通信」
読売新聞「放送塔・気流」
産経新聞「談話室」
新潟日報「窓」
神奈川新聞「自由の声」
南日本新聞「ひろば欄」

 

毎年11月に相模原市橋本駅(リニア新幹線の駅)の「杜のホール」で開催される弁論大会です。無料で聴講できます。

 

 

 

2024年2月12日(月)、

相模原市教育会館にて、

高崎隆二さんが、

プロデュースする

「咢堂(がくどう)映画製作委員会」の

キックオフに初めて出席してきました。

立案書に目を通す

高崎隆二プロデューサーです。

 

 

高崎隆二プロデュース
「咢堂映画製作委員会」
キックオフ 

おはようございます。
こんにちは。
こんばんわ。
 
お元気ですか。
 
 
今日も、
新たな刺激と新しい企画を経験させていただきました。
 
 
 
巷で、
「チョメチョメ映画製作委員会」を目にしますが、具体的にどのようなシステムで活動するのか理解していませんでしたが、今回初めて出席して、理解を深めることができました。
 
 
 
さて、
高崎隆二さんと知り合ったのは20年前の私が50歳のときです。当時、個人でホームページを立ち上げ「郵便局巡り」「銭湯探訪」「居酒屋巡り」を配信していましたので、相模原市南区若松の銭湯「富国湯」さんを尋ねました。その隣にたまたま高崎隆二さんの居酒屋「かごしま」が有りました。ので、立ち寄ったら57歳の高崎隆二さんがマスターで、年の離れた若い奥さんが、切り盛りしていました。愛娘は地域野球クラブに所属し、健康的な可愛い小学生で、事あるごとにアイスクリームを買って行きました。若い奥さんとその後どうなったのか、後日談がありますので、また、機会あったら、高崎さんの承諾の上紹介できたら、と思っています。
(汗)(笑)
 
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事あるごとに、
高崎さんからは、しつこい位に電話が来ます。(汗)「今回映画を製作するから取材に来て欲しい!」とか、私が酒が好きなことを知っているので、「今度昼飲みをやるから来てくれ!」とか「元プロ野球選手で、九州のバース」が、店に来るから遊びに来ないか!」とか・・・・高齢者70歳に出会いの刺激を与えている畏友ですわ。(汗)(笑)
 
👆主題歌を歌う予定だそうです。👆
 
 
 

 

 

 

 

 

  

 

 

2024年2月12日(月)、

相模原教育会館!

 

 

左から、アドバイザーの市議会議員・渡辺俊明(わたなべ としあき)さん、映画監督の金佑彦(きん ゆうひこ)さん、プロデューサーの高崎隆二(たかさき りゅうじ)さんです。

 

相模原市津久井が生んだ孤高の政治家、尾崎咢堂(おざき がくどう)を金佑彦監督脚本で、映画化に向けてスタートしました。

 
 

開会と閉会の挨拶をするアドバイザーの市議会議員・渡辺俊明(わたなべ としあき)さんです。

 

 

 
 
 

 

エピローグ

高崎隆二さんは、
現在76歳、今年1月16日に77歳で亡くなった、私の実兄と同年代で、性格が酷似しているので、付き合いは、なかなか飽きることなく現在進行形で続いています。私の兄と同様ヘビースモーカーです。夢を追い続ける燻し銀の役者魂がここに有ります。
悪役一筋
 
周りから支えられて、
夢を語り、
映画を語り、
ファンタジーを語り、
相模原を愛し、
鹿児島を愛し、
続けるピュアな人間味あふれる
人物なのです。
 
次回は、
この尾崎咢堂映画製作委員会の委員のヒューマニティーな横顔を紹介できたらと思います。

 

 

 
 

 

 

 

私との接点

 

尾崎行雄(雅号・咢堂)さんは、

1954年10月に亡くなっています。

 

私は同年12月に生誕です。ので、

今年は雅号(がごう)

咢堂(がくどう)さんの

70回忌になります。

(汗)(笑)

 

 

 

素晴らしい演説です!

 

私は新潟県栃尾市の出身です。

田中角栄さんは旧新潟3区でしたので、

田中角栄さんの演説を掲載します。

 

田中角栄さんが、

総理大臣に成ったのは、

1972年、昭和47年です!

 

私は17歳、青春真った中の時代!