日本医療機能評価機構理事による横浜市立脳血管医療センターの改革? | 不可能をかのうにする かのう重雄 オフィシャルブログ「一つ、ひとつを重ねて」 Powered by Ameba

日本医療機能評価機構理事による横浜市立脳血管医療センターの改革?

日本医療機能評価機構理事による横浜市立脳血管医療センターの改革?

(群馬大学医学部と横浜市立大学医学部 その2)


平成16年、日本医療機能評価機構の理事である岩崎榮氏を初代の病院経営局長に迎えた横浜市病院経営局は、改革の名のもとに、横浜市立脳血管医療センターの脳卒中診療部を解体した。そして、平成15年当時、今から10年以上も前に先んじて行ってきた彼らのtPA治療と血管内治療の実績をホームページに掲載しない。


横浜市立脳血管医療センターの脳卒中診療部は、tPAの治験に参加し、厚生労働省のtPA認可に大きく貢献した。ところが、横浜市は横浜市が作ったセンターであるにも関わらず、脳卒中診療部の実績を一度も誇りにした姿勢を示さない。示さないどころか、記録として残す努力もしない。極めて不自然である。


さて、脳血管医療センターの内視鏡医療事故後、元中田宏市長は25名の衛生局幹部職員や医療者を処分した。ところが、患者家族との裁判が始まると日本医療機能評価機構の理事である岩崎榮病院経営局長の下で、「医療ミスはなかった」と翻される。そして、医療ミスがなかったと主張したにも関わらず、25名の処分を取り消していない。全く不可解な行状である。


処分直後、2月に書かれた地元の神奈川新聞の社説が、横浜市の人事の特徴を如実に表している。改めて全文を引用しようと思う。


脳血管センター問題 衛生行政を含む組織的隠ぺい体質が疑われた横浜市立脳血管医療センターの内視鏡手術での医療過誤問題をめぐって、同市は先月、衛生部幹部職員や関与した医療者ら二十五人を処分し、センター幹部級の人事異動を矢継ぎ早に行った。一定の「けじめ」をつけたとの印象を与えたいのだろうが、患者中心の医療へと改善が図られるか、疑問は増すばかりである。



この医療過誤は、横浜市大医学部出身の脳神経外科医らが引き起こした。隠ぺい体質の背景について、身内(市大出身)同士でのかばい合い構造の影響ではないか、と市会側からも厳しく追及されてきた。



改善には、全国から実績を持つ専門医らを招き、市民が信頼できる体制に立て直すことが不可欠であった。にもかかわらず、今回の異動では重要ポストのセンター長、部長級に就いた両医師がいずれも市大出身者で、全体的に市大色を強めた人事になっている。



しかも、脳疾患専門のセンターにあって、総括安全管理者を置かず、その代行職を兼務する新センター長に、腹部を診る消化器外科の医師が就いた。患者や家族に疑義が生じれば、その医療行為に責任ある説明ができる体制といえるのか。市民の望む改善が軽視されたと指摘されても仕方がない。 



センターでは、内視鏡の医療過誤手術直後にも院内手続きを無視した血管内治療の手術が行われ、米国籍の男性患者が死亡する事故が起きている。事故に関与した術者、助手はいずれも市大出身の医師だった。



現在、同事故についての安全管理対策の小委員会が設置されているが、今回の異動で小委メンバーの医師三人はすべて市大出身者で占められた。公正な調査を期待したいが、内視鏡事故の公表に至る一連の経緯から、「また隠そうとしていないか」との疑念を持たれかねない。



二十五人の処分、人事異動のベースになった昨年十二月の「脳血管医療センター問題に関する調査委員会」の報告書では、市側の鈍感さが見て取れる。端的な例は、内視鏡手術での検証である。



衛生局長が、同門の市大出身の医師にも正式文書で意見書の提出を求めるよう指示したという事実が明らかになったが、報告書は衛生局長の直接介入の妥当性、同門医師への依頼の適否に言及していない。



「衛生局は市民の信頼を損ねた」との見方は示したが、市民の信用を損ねた、とはどういうことで、これをどう回復していくべきか、市側は突き詰めて考えたのだろうか。



 厚生労働省は、同センターを脳卒中専門病棟を持つ全国の中核的な病院五施設の一つに選んだ。センターの存在は全否定されるべきではなく、病根を的確に取り除くことこそ求められる。処分、人事などの一連の流れからは、市が隠ぺい体質を一掃しようとする「決然たる姿勢」がまるで見えない。


その後、横浜市立大学医学部がセンターの人事にどの様に深く関わってきたか? 結局、神奈川新聞の社説を引用すれば、横浜市は横浜市立大学医学部出身の医師らをセンターに送り込み、医療事故に疑義を示した医師たちを排除し、病根を温存させた。


一方、日本医療機能評価機構理事であった岩崎榮衛生局参与(平成17年4月から病院経営局長就任)は、センターのリハビリ病院化への方向転換を主張。


横浜市病院経営局は市民の意見ではなく、いわゆる利害関係者にあたる一部の医療関係者の要望に応え、センターのリハビリ化を進めてきた経緯がある。(以下のブログ参照)

http://ameblo.jp/shigeo-kanou/entry-11868960604.html


また、平成1612月に公表された以下のメンバーで、医療機能検討会議が開催されている。

http://www.city.yokohama.lg.jp/byoin/torikumi/koremade/kaikaku/161214.html


日本脳卒中学会理事長である篠原幸人先生、昭和大学医学部 有賀轍教授(脳神経外科教授)、初台リハビリテーション病院長の石川誠先生の名がある。http://www.city.yokohama.lg.jp/byoin/torikumi/koremade/kaikaku/pdf-kaikaku/3rd-proceedings.pdf


ところが、驚いたことに、この検討会議の公開で行われているにも関わらず、議事録は誰がどのような意見を言ったかわからないように作成されている。これでは、あまりに無責任である。


また、平成17年の3月30日の議事録を読むと、衛生局、田中部長が横浜市大病院も地域中核病院もtPA治療と血管内治療も一定の実績を占めていると説明している。


この委員会開催時には、tPA治療実績を示した畑隆志神経内科部長は処分を受け担当部長になっており、横浜市大から神経内科部長が異動してきて配置されている。(その人事がいかに問題であったかを、平成17年2月17日、都市経営総務財政の常任委員会で私は指摘している。詳細は以下のブログ参考。)

http://ameblo.jp/shigeo-kanou/entry-11849489894.html


平成16年に我が国におけるStroke unitの有効性に関する他施設共同前向き研究に、横浜市立脳血管医療センターは中核5施設だが、横浜市大病院は参加施設にその名前すらもない。その市大出身の神経内科部長は研究者でもない。また、地域中核病院も2病院しかはいっていない。


また、医療検討委員の有賀先生の所属する昭和大学医学部(東京都)は、中核5施設にはいっていないし、参加施設にも名前がないことに注目しなければならない。

http://stroke-unit.stroke-ncvc.jp/list.html


したがって、当時の田中部長の説明があきれるばかりのいい加減なものであったことがわかる。



日本医療機能評価機構の理事である初代の病院経営局長が辞職した後、横浜市は平成1811月、次の病院経営局長に元市大病院長の原正道氏を任命。


次に横浜市立大医学部内で学位審査問題で不正行為をし(文科省の委員会でも言及された)、かつセンター内で医療事故を起こし病院内の委員会に意見書を提出し、かばいあった医局員たちの上司である横浜市立大学医学部元脳神経外科教授をわざわざセンターのトップに据えた。


そして、日本神経内視鏡学会が平成18年度に技術認定医制度を発足した以降後も、「手術にミスはなかった」として、患者遺族と平成22年まで闘うことになる。


改めて、横浜市立脳血管医療センターの内視鏡調査委員会の結論を示す。執刀医達は院内の倫理委員会に新しい手術方法(内視鏡手術)を行うことを通さなかった。②インフォームドコンセントが不十分であった。③執刀医達は経験がゼロだった。(2例目まで、認定医を助手としている群馬大学医学部よりひどい。)



今思えば、死亡した患者8人全員の診療に過失があったとして認め、謝罪した群馬大学医学部より、横浜市立大学医学部と横浜市病院経営局という組織がいかに問題であったかがわかる。


平成27年度、横浜市の組織編成の中でその病院経営局はなくなる。そして、今年の1月から、横浜市立脳血管医療センターはその名称が変更され横浜市立脳卒中・神経脊椎センターとなった。


上記に示したように、この約10年の横浜市病院経営局の人事の手法を知る者にとって、現在のセンターには以前のような自浄能力は期待できないと思っている。


また、その横浜市病院経営局のOB職員らが退職後、横浜市の病院協会や横浜市内の病院などに再就職していることも忘れてはならないと思う。