横浜市の放射線対策
横浜市の放射線対策
9月28日の総合審査からー
9月29日の朝日新聞の神奈川県版はインパクトがあった。
歴代の横浜市長と横浜市役所の役人に受け継がれてきた姿勢が一言で表現されていた。それは、自民党斎藤達也議員と無所属太田正孝議員の発言からだ。
“華やかな外国絡みの行動は率先してするが、地味な対策は職員任せ。
まるでひとごと。“共感と信頼”は危機的な状況だ。
失敗した結果に対し、絶対に謝罪しない。いわゆる役所特有の言葉で論点をすり替えたつもりになっている。今回は“残念だ。”という言葉が登場した。言葉の遊びだ。誠意など全くない。
華やかな外国絡みの事業あるいはお祭り開催に熱心だったのは特に林市長だけに限ったことではない。すべての企画を市長が行うわけではないからだ。
開国博Y150の開催。APEC。そして現在開催されているトリエンナーレ。
開国博は赤字で終わり、APEC開催においても横浜市内の経済効果は予測の3分の2だった。
民間であれば、企画の責任者はそれなりの責任を負うことになる。しかし、行政機関の事業の失敗の補てんはいつも市民が担う。市長と副市長が辞任すれば不透明な支出も知らんふりで逃げ切ることができる。
地味な対策は職員任せというより、実際あまり行ってきていないのだ。政策の是非を問う上での基本データすら作ってきていない。そして、いつもカラー刷りの豪華なパンフレットを作って、配布しただけで対策を行っていると勘違いをしている。
今回、放射線対策部の事務局として注目を浴びた健康福祉局などその典型である。その中で際だって目立つのが高級レストランのシェフが登場する食育の豪華なパンフレットだ。
将来をになう子どもたちが、家庭でバランスよくどのような食事をとっているかのデータすらまともにない。だから、今回のように子ども達の毎日食するものを検査もしないで安全と言い切ることができたのだ。平時から専門的な視点をきちんといれて政策を考えることが全く育成されていない組織なのだ。
そして、東日本大震災で一般市民の気づくところにもなった老朽化した区役所の耐震不備。深刻な問題だ。
しかし、一方で予算不足と言いながら、高給の局長級5名もの異例の退職延長を行った。そして、彼らが後手に回った本市の放射線対策部の中心的メンバーなのだから、ひどい話である。
9月30日の夜、NHK首都圏スペシャルを私は見た。番組では“福島第一原発事故以来、私たちの暮らしは放射能汚染との共存が余儀なくされている。”という現実を示すことから始まる。
横浜の子どもたちを放射能から守る会の活躍と横浜市長の記者会見、そして横浜市の貧弱だった給食の検査体制が報道された。そして栃木県での放射能汚染された汚泥の処理問題が取り扱われた。
NHKもゲストの出演者にバランスをとっている。不安がる市民をメンタルケアが必要だという論調はない。
3月11日福島第一原発事故が起こった。メルトダウンが起こり、多量の放射性物質が放出され、首都圏も汚染された。
細胞分裂が盛んな胎児や乳児の細胞はDNAを傷害する放射線などにより傷害を受けやすく、がん化しやすい。だから、未来を受け継ぐ妊婦や子どもの被ばくは可能な限り減らす。極めて単純明快の対策なのだ。
次の世代のことを真っ先に真剣に考えることができるリーダーを多くもった組織こそが、のちの歴史に評価されるのだ。
そして、歴代の横浜市長と横浜市役所の役人の受け継がれてきた体質を許してきたのは議会でもあることも忘れてはいけないと思った。9月29日の総合審査に至るまでの、放射線対策に関する各委員会の議事録を読み返しながら、私はそう思ったのだ。つまり、この議会そのものもいつしか歴史的な検証を受けることになるであろうと。
最近、こどもの頃に読んだガリレオガリレイの話を思い出す。地道説を唱えたガリレオガリレイ。彼を異端審問にかけ軟禁状態にしいた当時の為政者や教会。そんな為政者や教会の人々のようにはなりたくないと思う。
さて、危機管理において、情報をひとりよがりに取捨選択しないで、正確に伝えることは、行政の責務だと思っている。伝えないでパニックを抑えるというリスクコミュニケ―ションは旧式な方法で危機管理を窮地に陥れる。
コンプライアンス推進を表明する以上、本市の総務局はそれなりの覚悟が必要だと思う。