さて、日本での仕事を終わらせるめどがついたので、2004年の7月に引越しする予定にして、移住の準備です。

実際の引越しと、様々な手続きと、新しい仕事を見つけること、英語の勉強。そしてずっと解決したいと思い続けていた、自分自身のテーマ。

 

 

引越しは、妻の知り合いが働いている業者に依頼しました。海外に荷物を送る際に必要な書類の作成など、本当に親切に手伝ってくれました。アパートが決まってなかったので、家具などはロサンゼルスに送った後に一旦預かってもらって、アパートが決まってから運んでもらうことにしました。

 

 

何しろ、何もわからないところに行くのです。アパートの探し方、契約上の注意など、あらかじめ調べてはいましたが、実際にどうなるか想像もできません。

ロサンゼルスに来たばかりの、英語もろくに話せない、仕事も決まってない、犬もいる。こんな日本人にアパートを貸す人はいるのでしょうか。

 

 

 

犬といえば、この年の4月にボストンテリアの子犬が我が家にやってきました。何もこんな慌ただしいときにと言われるかもしれませんが、こんな時こそ必要だと考えたのです。というのは、環境が大きく変わり、大変なストレスを癒してくれるのではと期待したのです。

 

 

そしてそれは正解でした。

娘はまったく英語が出来なくて、幼稚園でも友達も出来ないし、先生の言っていることもまるっきりわからないから、本当に寂しく辛い思いをしました。なんでアメリカなんかに来たの?と、 泣きながら妻を責めたこともありました。そんな想像していた以上のストレスを癒してくれたのが、この抹茶でした。

 

 

 

 

私も、仕事から帰った後、この抹茶と一緒に散歩に行って夕焼けを眺めたりして、癒されました。本当にありがとうね、まっちゃ。

 

今年の夏休みを利用して、サンフランシスコ周辺のキャンパス・ツアーに行ってきました。娘が、2年後に行く大学を決めるための下見です。

行ったのはUCバークレィ、スタンフォード、CCA、そして帰り道にCalArtsに寄りました。娘はFilm Makingか、Musicを専攻したいので、そのあたりを中心に見てきました。

UCバークレーとスタンフォードは規模も大きく、歴史のある大学です。実際にうちの子が行くかどうかは別にしても、アメリカの最高学府は見ておきたいというわけです。

UCバークレーは、サンフランシスコからは、海峡にかかる大きな橋を渡って北東の方に10マイルちょっと行った、バークレーという町にあります。

スタンフォードの方は、サンフランシスコから南に30マイルくらい行ったところにあります。

 

私たちが訪れたのは、カリフォルニアらしくよく晴れた日で、日向は日差しが強く、肌を焼かれる感じなのですが、影に入ると、さわやかな風が、気持ちよく汗を乾かしてくれました。威厳に満ちた建て物は、ゆったりと間隔をあけて配置されて、その間に大きな木々がある様子は、まるで林の中に大学があるように感じます。まさに落ち着いて、学問や研究に打ち込める環境です。

 

案内してくれた学生も、爽やかで、明るく、自信と誇りで輝くようでした。

彼は「自立した人間を育てる」という、アメリカの子供の育て方そのままに育てられ、ここまで来たような、典型的なアメリカ型の、好青年です。

日本では、親や先生の言う事をそのまま素直に聞く子いい子とされます。

それとは対照的にアメリカでは、自分の頭で考え、自分で何が正しいか判断し、行動することが求められます。

 

日本で、子供たちに絵を教えていた頃によく耳にしていたことに、「ちゃんと勉強しなさい。そうじゃないと、大人になって苦労するよ。」といった類のものです。そうすると子供達の心には、嫌なものから逃れるために勉強するということになり、勉強する度に嫌なイメージを思い出します。そして勉強そのものが苦痛になってしまいます。

アメリカの家庭や学校では、基本的に何をするにもポジティブな動機付けをします。自分の夢を実現するために勉強したり、練習したりするのです。

 

この素晴らしいキャンパスを、この学生の案内で歩いていて、あらためてアメリカに来て良かったと思ったのでした。

 

移住したい理由についてもう少し説明が必要です。

 

チャレンジしたいという強い想いがあるのは、自分自身について、確かめたい事があるからです。

 

 

私が創価学会に入会した頃は、私には全く生命力がありませんでした。

いつもなんだかわからない不安が胸の間にあり、時々襲ってくる理由の分からない恐怖もあり、外に出ることも出来ないことが何日も続くというような状態でした。

 

 

それが創価学会と巡り会い、日蓮仏法を実践して、活力を取り戻し、仕事や日常生活を精力的にできるようになり、自分に自信を持てるようになってきました。そこで、自分は本当はどこまで出来るのか、アメリカで、ゼロから出発して確かめてみたいという気持ちが、どんどん強くなってきたのです。

 

 

しかし、コネもないどころか、英語もダメ、アメリカの仕事の仕方や日常生活の常識すら知らない。しかも、もう45歳になる。アメリカで仕事を探しているアメリカ人と比べても、全く不利です。こんな日本人を採用する会社があるでしょうか。

本当に、ゼロからどころか、もしかしたらマイナスからの出発かもしれません。

 

 

でも、だからこそ、チャレンジする意味があるというもんです。

 

この時、この「チャレンジ」という言葉が、自分の中で大きく輝いていました。

 

実際、アメリカでの挑戦を始めてみると、全てが創造してたより何倍も大変でした。

でもその分、得たものも何倍も大きかったのです。

 

いよいよ中年男の挑戦が始まります。

 

 

 

 ハワイで無事に(仮の)グリーンカードを受け取り、ひとまず安心しました。これからは東京に帰って移住の準備です。

 一番大変だったのは、自分の構造設計事務所をたたむこと。進行中の計画や、工事中の物件も有るので、知り合いに分散して、引き継ぎをします。これが2年近くかかりそうなので、この2年を準備期間ということにして、英語の勉強などをすることにしました。

 はっきり言って英語は苦手です。さらに、40歳を過ぎた頭の記憶力は、悲しいものがあり、単語一つ覚えるにも、若い頃の十倍くらいかかってしまいます。それでもまあなんとかなるだろうと、軽く考えていたのですが、甘かったですね。これについては、いつかもう少し詳しく書きます。

 

もう一つのテーマ。

どうして45にもなって、家族を連れてアメリカ移住なのか。

みんなに聞かれました。

 

 私も妻も、不況にも関わらず、仕事はうまくいっていて、港区にマンションを借りて住んで、週に2回くらい高級レストランで食事をするというような生活をしてたんです。

 それを捨てて、仕事があるかどうかさえわからない。それはどう考えてもリスクが大きすぎるだろうと。

サンタモニカが気に入ったのなら、好きなだけ遊びに行けばいいじゃないかと。

 

そうなんだけどね。でも、遊びに行くのとそこに住むのでは違うでしょ?

 

 

もう一度アメリカで暮らしたい理由を考えてみましょう。

 

娘の教育環境。

多様性を大切にするアメリカの方が、個性を育てない日本より断然いい。

 

民族、文化の多様性。

歴史的にも、違う文化がぶつかり混じり合うところに、新しい文化が生まれる。まさに今、新しい文化が生まれつつある現場がアメリカだと思う。その現場の空気の中にいたい。19世紀末のパリで起こったようなことが、今起こっているんじゃないかと思っている。

 

仕事。

私は日本的な仕事のやり方がどうしても好きになれませんでした。

みんなに合わせて、人と違ったことは極力避けるというような。私は自分のやりたいようにしかできないので、息苦しいことが多かったですね。酒に誘われても、ほとんど付き合ったことはありませんでした。

 

他にも数えてみたら、20以上の理由がすぐに思いつきました。

 

理由は色々思い浮かぶけど、大きなリスクを冒してでも移住するに十分な理由になるのか。そこをずっと考えていたのです。

 

 行きたい理由とそれに伴うリスクを天秤にかけてみても、結局どっちが重いのかわかりませんでした。

でもね、世界広布の黎明期に、その中心であるサンタモニカに行って、チャレンジするんだという思いはどうしても消えませんでした。ここに、自分が本当に求めているものがある気がするのです。

 理由はわかりません。ただ、どうしてもここに行くべきだという強い思いがあるのです。

 

 

 面接まで1か月を切った頃、あの弁護士から連絡があり、書類の修正と追加が必要とのこと。急いでそれを揃えて送って、提出用の書類が送られて来たのは、面接の5日前のことでした。ちょっと冷や汗ものでしたがなんとか間に合いました。

 

 面接は、あれほど気を揉んだにもかかわらず、あっけないほど簡単に終わりました。あとはアメリカに入国して永住ビザを発行してもらうだけですが、期限が決まっているので、すぐにアメリカに入国しなければなりません。

 

  仕事の関係もあって、直ちに引っ越すことはできないので、とりあえず入国してビザを手に入れていったん帰国し、実際の引越しは、すべてが片付いてからということにしました。

 

 で、面接の数日後にハワイに行きました。ハワイを選んだのは、比較的に近いし、久し振りに少しのんびりと過ごしたいと思ったからです。

 

 ホテルのバルコニーから海と空を眺めながら、アメリカに移住する理由を考えていました。

正直言って、まだ迷いと不安があった。どうして大きなリスクを冒してまでアメリカに移住するのか。

アメリカに行きたい理由はたくさんありました。

でも、日本での安定した生活と、ある程度の成功と、軌道に乗りかけている自分自身の会社を捨ててまで移住する理由はあるのか。

 

まだ、挑戦したいという気持ちと、リスクが大きすぎるんじゃないかという気持ちの間で、迷いは吹っ切れていませんでした。