2002年の4月の終わり頃に、グリーンカードの抽選に当選した知らせを受けたのですが、これですぐにグリーンカードをもらえるわけではありません。

 必要な書類をそろえて、その年の9月にアメリカ大使館で面接を受けて、移民としてアメリカに住むことに問題がないことを証明するのです。そこで問題がなければ、すぐにアメリカに入国して、グリーンカードの発行となります。

 

 

 面接までに4ヶ月とちょっとあるので、書類の準備には十分のように見えますが、実は結構きついのです。犯罪歴のない証明、最終学歴の証明、健康の証明、予防接種の証明など。これらを全部英語でそろえなければなりません。しかも当選番号が後ろのほうだったので、面接は1回しか受けられないので、何か不備が面接のときに見つかったらアウトです。訂正してもう一度受けなおすことは出来ません。

 

 

 すべてを完璧にそろえなければならないし、周りには誰も聞ける人がいないということで、アメリカの移民専門の弁護士に頼むことにしました。ところがこの弁護士は、のんびりしているというか、書類を送っても、返事がないのです。書類はそのままでいいのか、何か直さなければならないのか、何か足らないのか。わからないまま面接の日はどんどん近づいてきます。もし、直前になって何かの書類が必要といわれても、間に合わないかもしれません。

  

 やきもきしながら、その弁護士の連絡を待っている間、アメリカ移住が自分の中で徐々に現実感を増していき、それとともに不安な気持ちも出てきました。

 

 

 自分はもう40を超えている。英語もしゃべれないし、家族もいる。簡単には就職できないらしいし。

 もし、ちゃんとした仕事が見つからなかったらどうしよう。

 皿洗いでもなんでもやる覚悟くらいはできてるけど、現実に、皿洗いで家族を養うのは難しい。

 

  あの、どこまでも高く、輝く青い空の町は、私たち家族を受け入れてくれるのだろうか。

長い間休んでました。

4年前に、ブログを始めようと思い立ち、数回アップした後、すぐに中断してしまいました。いろいろ大変だったんです。

 

言い訳はやめにして、本題に入りましょう。

 

今日のお題は散歩。

今、週に一回程度、サンタモニカのビーチまで散歩してます。ビーチまで25分。そしてビーチを1時間くらい歩いて戻ってきます。

 

いつもは朝早い時間に行くのですが、今日は午後から出かけました。日差しが強いので、サングラスと日焼け止めは忘れずに。

古いロックを聴きながら歩き始め、テンポよく歩いてると、5分もかからないうちに軽く汗をかきます。

 

気持ちも音楽に合わせて高揚してきて、1週間の仕事のストレスも、首から背中から抜けていきます。

 

 

サンタモニカの海岸沿いには、道路を隔てて一段高くなったところに、南北に細長く、海に沿うように公園があります。

土曜日の午後の公園は、南側はピアも近いので観光客が多いのですが、北の方に行くと地元の人たちが多くなります。老夫婦から家族連れ、若いカップル、犬を連れた人も多く見かけます。そしてそれぞれの時間をのんびりと過ごしています。

 

 

 

 

そんなリラックスした時間の中を、青い空と海を眺めながら歩いていると、ああ、この海と空を見て、ここに来る腹が決まったんだったなあと懐かしく思い出します。

 

 

 

 

信心を始めた頃は、ただ流されて、

暗い日常の中で周りの人や環境に文句ばかりを言ってたけれど、

信心で自分が変わってきて、

自分の人生は自分で選ぶんだと本気で決めて、

住む場所も世界で一番住みたいところに住むと決めて選んだサンタモニカ。

その、最後の腹を決めたのが、この空と海です。

 

この1週間は晴れている割に涼しく、とても過ごしやすかったのですが、相変わらず忙しく、あっという間に過ぎてしまいました。
shigeのブログ


大きなイベントが金、土、日と三日続きあっという間に月曜日。

また、忙しい一週間が始まります。

今日は、日本語での先生の御書講義の勉強会。阿仏房御書です。



ーアメリカに来るまで、その2ー

サンタモニカから帰った頃には、すっかりアメリカに移住する気になっていました。
移住するために最低限必要なこと。

ビザと英語。

英語は頑張って勉強すれば何とかなる(と、思っていた)。
問題はビザ。

いろいろ調べ始めた時に、グリーンカード(永住権)の抽選と言う物があると、ある友人が教えてくれました。彼女はもう十年以上応募し続けているけど、まだあたってないので、その年も応募するとのこと。締め切りまで時間があまり無いけど、どうですかと言われ、慌てて私と妻の分と、書類を作って郵送しました。

あたる確率は非常に少ないと言うことなので、他の方法も検討しなければ、などと思いながらも、毎日の忙しさに流され、結局何もしないまま時は過ぎて行きました。

そしてグリーンカードの抽選に応募したことなどすっかり忘れていたのですが、次の4月のある日、英語の手紙を受け取り、何なんだろうと思いながら開けてみたら、「コングラッチュレーションズ」と書いてあって、何だこの怪しい手紙は、などと思いながら読んでみると、どうやらグリーンカードの抽選に当たったと書いてありました。

「ああ、本当にアメリカに行くんだ。」と、アメリカ移住が、この時自分の中で現実になりました。
独立記念日が終わり、いよいよ夏が始まりました。$shigeのブログ

ずっと忙しい日々が続いています。
毎日、会合か家庭訪問。
今日は家庭訪問が直前でキャンセルとなって、時間が出来たのでジョギングに行ってきました。
体を動かすのは気持ちいいですねぇ。
LAは空気が乾いているので、汗をかいてもべたつかないので、運動していて本当に気持ちいいです。


 ところで、どうして45歳になってから、アメリカに移住して来たのかから説明しなければなりません。
 日本にいた頃は、私も妻も働いていましたが、仕事の上ではかなりうまくいっていました。というか、不況にも関わらず、忙しすぎて、睡眠時間も削らなければならないほどでした(自分の構造設計事務所をもっていました。)娘が生まれたばかりで、もっと家族と過ごしたくても、忙しすぎてその時間も十分にとれませんでした。たまに家族と旅行に行っても、仕事を引きずっています。
ハワイに行った時なんか、7日間のうち2時間だけ娘と泳いで、あとは私一人でホテルに籠もりっきりで仕事をしてました。

 とにかくこんな生活を変えたかったんだと思います。仕事だって忙しくやっているけど、本当にやりたい仕事をやっているかというと、そうだとは言い切れません。

 妻は若い頃、サンタモニカで2年間ほど学生をやっていました。
 その時に信心に目覚め、自分の命が変わる喜びを知りました。
 そんなこともあって、サンタモニカにいつか必ず帰るのだと、決めていたみたいです。
 その妻が私に何度も「とにかく一度見てきて」と言いました。で、一度見てみるのも悪くないかもね。というわけで、2000年のサンクスギビングの日に初めてロサンゼルスに来ました。そして会う人は皆とても親切でした。
また、ゲッティセンターから見た”青い空”と町。
これがとても良いんです。
次の日、サンタモニカの砂浜から見た”青い空”と海。
これはみんなあこがれるわけだ、と思いました。


 サンタモニカは悪くない。いや、結構気に入った。生活を根本から変えたい。アメリカでどこまで出来るか試してみたい。娘の教育のためにもアメリカのほうが良さそうだ。何しろアメリカはまだまだ広宣流布の草創期だ(私は草創期に憧れていた)。池田先生も、アメリカは世界弘布の中心地だと言われている。などなど。
 考えれば考えるほど、アメリカに行くべきだと言う思いが強くなってきました。もちろん友人や親たちはみんな反対です。仕事もうまくいっているのに何でアメリカなんだ。世の中甘くない、すぐに泣いて帰ってくる事になる。英語も出来ないくせに何が出来るんだ。などなど。
 全くごもっともです。冷静に考えればそうでしょう。

 でも、アメリカに行きたいと言う思いは消えませんでした。

つづく。
一昨日のことですが、サンタモニカ圏で、ブラジルからの青年部を迎え、交流座談会が開かれました。彼らのものすごい熱気に、私も新たに決意を強くしました。

その会合の中で言われたことですが、うちの圏には50カ国から来た人たちがいるということです。池田先生がアメリカが世界弘布の中心地であると言われたことの意義を改めて感じました。ここにはいろんな文化を持ち、習慣や考え方の違う人たちがいます。ここに異体同心の素晴らしいコミュ二ティーを築くことが、そのまま世界家族構築のモデルになるのです。なんか、すごいムーブメントのまっただ中にいると思うと、とてもわくわくします。


次からは、アメリカに来た経過などを少しづつ書いて行きます。

おやすみなさい