新年おめでとうございます。

ほぼ一ヶ月ぶりの更新です。

このゆるさが長続きの秘訣、かなあ。

 

 

というわけで、職探し、ラスベガス編です。

 

 

ロサンゼルスからラスベガスまでは,車で約4時間くらいです。

LAのダウンタウンからは、10号線で東に向かって約45マイル走り、15号線に乗り換えて、北東に向かいます。すぐに小さな山を越え、あとはだだっ広い荒野の中を走っていきます。本当にどこまでも続く荒野です。時々、こんなところに人が住んでいるのかと信じられないようなところに、ポツンと家が建っていたりします。そしていきなり小さな町が現れたりします。

 

 

そんな小さな町をいくつも通り抜けて、昔の西部劇に出てくるような砂漠の中をずっと走って行くと、不自然に大きな町が現れます。夜にラスベガスに来ると、突然現れる光の絨毯に、息を飲みます。

ここはカジノとショーの町。全米から訪れる人々を迎えるために、常に新しいホテルが建設中です。私が会う約束をした人も、こんなホテルを設計するアーキテクトです。

 

 

先ずは今日から泊めてくれる友人のところに行きます。

彼らは夫婦してシルク・ド・ソレイユで働いてます。ご主人の方はエンジニアとして、ショーの中で使ういろんな仕掛け、例えば人を吊るして上がったり下がったりを、驚くような動きで行なうための装置のメンテナンスなんかをやってます。奥さんの方はメークの仕事をしています。

 

 

二人はラスベガスの中心地から15分くらいの郊外の住宅地に家を買い、まるで40年前のアメリカの、テレビのホームドラマそのまんまのような暮らしをしています。静かな住宅地にゆったりと配置された、ちょっと誇らしげな佇まいの家。砂漠の中に作ったにも関わらず、どの家の前庭も芝生が青く映え、家と変わらないくらいの高さの木が、適度な密度で植えられている。

 

 

私が子供の頃から、テレビドラマや映画の中に出て来るアメリカの家は、私には全く別世界のものでしたが、とてもうらまやしく、憧れるものでした。

最近良く見るテレビドラマに「ギルモア・ガールズ」というのがあるんですが、主人公はシングル・マムで、決して裕福ではないにもかかわらず、2階建ての一軒家に一人娘と一緒に住んでいます。その家はちょっと古いアメリカの中部によくあるスタイルの家で、玄関の前にポーチがついていて、前庭もバックヤードもゆったりとしていて、隣の家とも十分な距離があります。典型的な、アメリカの郊外の住宅地の風景です。

 

 

私が大学を卒業した年には、福生市にある横田の空軍基地のそばにある「米軍ハウス」を友人と一緒に借りて、黄色い「サニー・カリフォルニア」という名前のステーションワゴンに乗って、偽アメリカンスタイルの生活をしていた時期もありました。このころは、こんな生活に憧れてはいたものの、実際にアメリカに移住することになるなんて、夢にも思っていませんでした。

その憧れの暮らしが目の前にあるのです。

 

 

プール付きの豪邸までは望まないけど、気持ちの良い家を買って、子供と犬は庭で遊び、明るく優しい妻と一緒に笑いの絶えない暮らしで、などと妄想は広がります。そして気合も入ります。絶対に実現するんだと。

 

 

 

その夜は夕食に、ステーキハウスに連れて行ってもらいました。にぎやかな店の中で、大きなステーキを食べながら、いろんな話をしました。彼らはいろんな苦労を乗り越えて、今の生活を手に入れました。

 

母親は戦後すぐにアメリカの軍人と結婚してアメリカに移住してきて、2度の離婚を経験して、3人の子供を育て上げ、今は悠々と、ラスベガスの生活を楽しんでるとのこと。本人の話も、母親の物語も、ドラマになりそうなくらい、いろんなことがありました。

 

 

アメリカは夢を叶えるための国。誰にでもチャンスはある。それはすぐには来ないかもしれないけれど、never give up! と、励ましてくれました。

そうだよね、思いっきりやってやろうじゃないの。道が険しいのはあたりまえ。

 

この夫婦に会って、生活を見て、話を聞いただけでも、ラスベガスまで来た甲斐がありました。

 

 

 

翌日は、約束していた人と会って、ラスベガスの建築業界の事情を聞きました。

それにしても、暑い!暑すぎる!

この日は113℉まで温度は上昇。10分と外にいることはできません。彼によると、暑い時期には外で働く人は午前中働いて、昼は3時間くらい休み、涼しくなってからまた数時間働くのだそうです。そうだよね、そうでないと死んじゃうよね。

 

結論。

ラスベガスは却下。

 

 

 

 

ちなみに、写真はラスベガスまでの道とは違いますが、雰囲気はこんな感じです。

アメリカは広いなあって、こうやってドライブをすると実感します。

 

  2日目は、いくつか履歴書を送った後、日本のゼネコンのロサンゼルス支店に電話してみました。

 日本人の現地採用は、給料が安いと聞いていたのですが、背に腹はかえられません。とにかく早く仕事を見つけなければなりません。1か月後には家族が来るのです。 仕事が決まってないと、アパートも借りることが出来ません。

 まず日系の会社で働いて、アメリカに慣れてきたら転職するというのもありじゃないかと考えました。

 それに、日本語が通じるというのはとても魅力的です。多分、ストレスも地元の会社で英語のみの環境の中で働くより、大幅に少ないでしょう。

 

 

 電話で話したのは、マネージャークラスの人だったと思うのですが、この人、かなり弱気というか、後ろ向きな人でした。「今は募集してない」と言う前に、このところ仕事が減っているとか、いろんないい訳をするのです。

 けっこう長い時間話しましたが、結論として、日系の会社に就職はしないことにしました。どうも覇気が感じられないのです。

 

 

 少し盛り下がった気分を変えるために、午後からドライブに行きました。サンタモニカから更に北に向かって海岸沿いを走ります。陽気なメキシカンの音楽を流しながら、雲ひとつない空の下、輝く海を横に走ります。

 

 

 ロサンゼル辺りで聴けるFM局は何十もありますが、そのほとんどは音楽を流してます。どの局にも特徴があって、クラシック専門とか、昔のロック、ポップ、カントリーミュージック、ソウル、ヘビーメタルなどなど、ほとんどどんな種類の曲も聴くことができます。

そして、ラティーノの音楽をかけてる局も何十もあります。それぞれムードのある音楽、軽快なもの、ラテン版ヘビーメタルなもの、トロピカルなものなど、それぞれの局に特徴があります。

 

 

 スペイン語で歌う陽気な声に、気分もすこし上向きになりながらも、これからどうしたらいいのか、道が見えてこない不安が首をもたげてきました。日系の会社にはいかないと決めたものの、まだ、なんの手がかり足がかりもありません。履歴書を送った会社には、一週間後に電話を入れて、どこか面接でもしてくれるところがあるかを確認するのですが、それまでただ待っているのも時間が勿体無いし。仕事探しの範囲を広げてみようかな、なんて考え始めました。

 

 

 ロサンゼルスエリア以外で仕事を探すというのは、最後の手段と考えていました。気に入ったのはロサンゼルスなんだから、ロサンゼルスで仕事を見つけるのが理想です。でも、他の街の様子を見てみるだけでもいいかもしれない、どうせやること無いんだし。でも、ちょっと弱気かなあ。でも、家族が来るまでにはめどをつけないとなあ。などと、頭の中を迷う気持ちがぐるぐると走り回っていました。

迷っててもしょうがない。やれることは全部やるって決めたんだから、とにかく言って見てから決めよう。

 

 

 ということで、妻の知り合いがラスベガスにいるので、電話をかけることにしました。

 道路脇に車を止めて、すごいスピードで通り過ぎる車越しに海を見ながら、日本に比べるとかなりゆっくり目の呼び出し音を聞いてると、急に緊張してきました。

 

 電話の声はとっても明るい声で、「〇〇ちゃんから聞いてるよ。いつでもおいで。」と言ってくれて、なんだかホッとして、すこし急すぎるかなぁとか思いながらも、「じゃあ、明後日からでもいいですか?」って聞いたら「ノープロブレム」って。

 

よしっ。明後日からラスベガスだ。いきなりだけど。

この行き当たりばったり感は、自分らしくていいんじゃない?

 

職探し初日。

まず、用意してきたレジメを、日本であらかじめ調べておいた会社に送ります。

はじめに、Staples に行ってレジメが入る大きさの封筒を買い、ホテルに戻って宛名を書いて、郵便局に行って送る。シンプルです。ノー・スゥエットです。

でも実際は、これだけで半日かかってしまいました。そしてかなり疲れてしまいました。

 

 

 あらためて、勝手の知らないところでは、こんな単純な事をするにも、かなりのストレスがあることを実感しました。日本では当たり前で、なんの疑問も感じなかったものが、ここでは違うのです。

 例えば、郵便局では、長い列ができているにもかかわらず、窓口のおばさんは客一人一人とゆっくり話し、みんな待ってるから急ごうなどとは、これっぽっちも考えてないようです。列に並んでいる方も、イライラしている様子は無く、これがアメリカでは普通のようです。

 

 

旅行で来た時には、「この、ゆったりとした感じ、良いなあ。日本人は何でも急ぎ過ぎるんだよね。」なんて言ってたくせに、いざ、ここで暮らすとなったら、ストレスを感じてしまいます。45年暮らした日本の常識が、骨の髄まで染み込んでいる事を、あらためて気付かされます。

まあ、そのうち慣れるでしょう、なんて始めは考えてましたが、けっこう、これが大変なんです。

 

 

 

さて、日本で調べておいた会社にはレジメを送ったので、次にする事は、もっとレジメを送るために、ロサンゼルス周辺の構造設計の会社を見つける事です。

まずはネットで検索です。

ホテルではインターネットに繋がらないので、スターバックスに行きました。コーヒーを飲みながらラップトップを 開いて、まずメールをチェック。この頃はまだ、電話でメールをチェック出来なかったので、ほぼ3日ぶりにメールを見た事になります。

 

 

 

そこには家族や、日本でまだ終わってない仕事のメールにまじって、友人からの、励ましのメールがいっぱいありました。

とても嬉しい驚きです。

暗くなりかけていた気持ちが、いっぺんに軽くなりなした。

世界が一瞬にして明るくなりました。

大事な事を思い出させてくれました。

 

 

私は学生の頃、夢も希望も無く、生きる気力も無くして、閉じこもっていました。もちろん友達と呼べる人はいませんでした。

創価学会に入ってからお題目をあげ、活動に励むうちに、元気になり、毎日を前向きに生きる事が出来るようになり、気がつけば、友人も出来ていました。

 

友人からの励ましのメールは、本当にありがたく、嬉しいものです。心に染み込んで、そしてチャレンジする勇気とエネルギーになりました。

 

 

なんか海を見たくなり、アメリカ移住の腹を決めた、サンタモニカの海岸に行きました。

 

雲ひとつない、青く大きな空。

長く続く白い砂浜。

はるかな水平線に沈む赤い夕陽。

全部が新鮮で、力に充ちていました。

 

 

 

ここが新しい舞台なんだ。

ここで作って行く人生が、どんな物語になるかはまだわからない。でも、新しい発見がたくさんあるに違いない。

ワクワクして来ました。

さあ、また明日も頑張ろう!!

 

 

 

 

2004年5月の終わりころ、まず私が一人で、仕事を見つけるために渡米しました。

いよいよこれから汗と涙の挑戦物語が、アメリカに舞台を移して始まります。

 

 

どうやって仕事を見つけるのか。いろいろ調べましたが、具体的なことはよくわかりません。

私は構造設計をやってましたので、アメリカでも、構造設計の仕事を探すことにしました。

レジメとポートフォリオを用意して、カバーレターをつけて、就職したい会社に送る, ということはわかりました。

レジメとポートフォリオは日本にいる時に用意しました。

知り合いの、アメリカの大学で建築を勉強したことのある友人に英訳を頼みました。

でも、就職活動は、実際にどうすればいいのか、よくわかりません。

本当にわからないことだらけです。

でも、とにかくぶつかっていくしかないでしょ。

 

 

ここで出発の時の意気込みとかを書くべきなんでしょうが、実はあんまり覚えてないんです。

何しろ忙しく、やるべきことをギリギリまでかかって終わらせ、なんとか間に合わせて空港に駆け込み、慌ただしく出発したので。

 

ただ、LAに着いて、空港の建物を出た時の事はよく覚えています。

とてもいい天気で、空気が乾燥してるせいか、陰影がくっきりして、すべてが輝いて見えました。目の前を忙しく通り過ぎる車や人は、みんな私に「ようこそ」と言っているみたいでした。

そして青空がとても印象的でした。うん、これだ。この空だ。

 

 

 

まず、最初にすることは、レンタカーを借りること。さくらレンタカーという日系のレンタカー屋さんに、日本から予約して置いたので、そこに向かいます。教えられた場所までシャトルバスで行くと、そこまで迎えに来てくれました。

手続きは簡単迅速。前回Enterprise Rent-A-Car でおもいっきり手間取ったのとはえらい違いです。

この時は英語に不安があったので、日本語で手続き出来るのは安心です。ここでいくつか情報を仕入れて、出発します。行き先は予約しておいたホテル。そのホテルまでの行き方も、レンタカー屋さんで聞いておきました。

 

 

 

そのホテルはインターネットで見つけたのですが、小さいながら、プールも付いていて、値段も手頃。明るくて長期滞在にはとても良さそうなホテルです。部屋はどんなかなあ、なんて考えながら受け付けに行って、名前と予約している旨を伝えると、なんと、予約は受けてないと言います。

確認のメールを見せたら、大袈裟に驚いた様子で、何かよくわからないことを早口でまくしたて、どうやら別のホテルを紹介すると言っているみたいです。私の返事も待たずに何処かに電話をかけ、近くに良いところが見つかった、お前はラッキーだとか何とか言って、早速そこへの行き方を紙に書いて説明し始めました。私の英語力では言いたいことも言えず、言われたままにそのホテルに移動。

宿泊料金は同じでいいとは言われたものの、どうもこっちのホテルの方が暗くて、プールもないし、本当はこっちの方が安いんじゃないかとも思ったけど、交渉する英語力は持ち合わせていません。

 

 

やれやれ、初日から、なんだか波乱含みです。

とにかく、ここを拠点にして、仕事探しを始めることになります。一つだけ良いことがあって、ここのホテルは朝食付きなんですが、ごはんと味噌汁がつくんです。

 

とにかくお腹もへってきたので、夕食を食べに行くことにしました。アメリカらしく、ハンバーガーで初日を祝いましょう。

 

 

ご存知のとおり、アメリカは何もかもが大きいのです。もちろん、ハンバーガーのサイズも例外ではありません。その、大きすぎるハンバーガーと大量のポテトフライ、そしてさらに大きなコークに少し戸惑いながら、明日から始まる挑戦(職探し)に想いを馳せるのでした。

 

アメリカ人の友人は、1年で仕事が見つかればとてもラッキーだと言いました。

でも私にはそんな時間はありません。7月には家族がやってきます。娘のPre school のことなどを考えると、7月には来た方がいいのです。

 

 

英語もろくに話せない。もう45歳。アメリカでの仕事のことは何も知らない。アメリカの学校も出てないし、アメリカでの実績もない。コネもない。

ないものばっかりです。

あるのは情熱とポジティブ・マインド。

これだけで挑戦です。

さあ、やってやろうじゃないですか。困難は承知の上です。

 

明日からの戦いを思い、心に握りこぶしをぎゅっと握って、ハンバーガーにかぶりつきました。

 

 

 

 

今日は、英語について書きます。アメリカに移住するにはとても大切なことですから。

 

 

 最初に移住の下調べのためにアメリカに行った時、アメリカに来て仕事をするために絶対に必要なものは、ビザと英語だと言われました。

ビザの方はロッテリーでグリーンカードが当たったので、あとは英語です。

話していることが解らなければ、仕事どころではないし、アメリカで生活するのだから、英語は絶対に必要です。これは当たり前といえば当たり前のことなんですが、現実を知る前は、私はこのことをかなり甘く見てました。

 

 

大学は美大だったので、絵を描く事以外はあまり真面目にはやらなかったのですが、中学高校の6年間は勉強したんだし、渡米までの1年半の間に英会話学校に行って頑張って勉強すれば、何とかなるんじゃないかと、漠然と考えていました。

初めてアメリカに来た時に、みんなが話てることをさっぱり理解出来なかったし、自分の言ってる事もまるっきり通じなかったけど、ちょっと頑張れば何とかなるんじゃないかと思ってました。別にネィティブ並みに話せなくても、言いたい事が通じて、話している事が大体わかればいいのだから、そのくらいなら割とすぐになれるんじゃないかと考えてた。

 

 

私がやったのは、週3日くらい英会話学校に通い、英会話の本を読み、CDを聞くことで、1日あたり平均1時間半程度勉強したでしょうか。結局このくらいでは「実際に使える英語」を身につける事は出来ませんでした。

英会話学校の先生は、かなり解りやすく、しかもゆっくりと話してくれるので、1年半もしたらある程度は聴き取れるようになります。それである程度はいけるんじゃないかと思ってたのですが、アメリカに来た途端に、完全に間違いだった事を思い知らされます。

 

 

自身の英語がどの程度かを知るには、アメリカのテレビドラマを見てみると良いと思います。ドラマの中の会話が字幕無しで半分くらい理解できれば、仕事と日常生活、ちょっとした会話には十分でしょう。でもこう書くと、多くの人が絶望的な気持ちになるかもしれませんが、大丈夫です。

実は英語のスキルそのものよりも大切なものがあると、私は考えています。

 

 

私の場合には、テレビドラマはほとんど理解できませんでした。つまり、アメリカに来たばかりの頃は、ネィティブの英語の、5%くらいしか理解できなかったのです。

その私が英語100%の現地の会社に就職し、いまだにクビにならないどころか、何度も昇級昇進をして、高級住宅地にコンドミニアムを買って、サンタモニカで毎日充実した生活をしているのです。どうやって英語もコネも学歴も実績もなく、いい仕事を得ることができたかは、別の機会に書きますね。

 

 

英語は必要ないと言っているのではありません。もっと大事なものがあると言いたいのです。

それは、絶対に意思を疎通するという強い気持ちです。

根性論ではないのですが、相手のことを分かろうとする気持ち、そして自分の言いたいことを伝えたいという強い気持ちがないと、たとえ英語ができたとしても、多くの誤解を生むことになります。そして本当にその気持ちがあれば、実際にいろんな工夫をして、ちゃんとコミニュケーションは取れるものです。

社会の仕組み、仕事の仕方や考え方、文化、価値観など、何もかもが違う中で、最も大切なのは、ちゃんと相手のことを知ろうとすること、ちゃんと自分のことを伝えようと努力することです。

 

 

私は、本当に限られた英語力の中で、英語だけでなく、相手の表情やジェスチャーを注意深く見ること、わからなかったら必ず聞くこと、不明な部分は必ず確認する、書いてもらうなどして、ちゃんと相手の言ってることを理解するように心がけました。ちゃんと理解できてないのにわかったふりをして失敗するのが、最も周りに迷惑をかけるのです。自分の伝えたいことも、言葉、ジェスチャー、図や絵など、使えるものは何でも使って、間違いなく伝える工夫をしました。そんなことをやってるうちに次第に使える英語も身についてきました。

 

 

 

気持ちが大切です。一番の力になります。これがこれまでアメリカで生き抜いてきた私の実感です。