小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba -2787ページ目

血の系譜

まず、遠い昔に戻るのだが、私にとって弟はバッチイ(汚い)子だった。


年がら年中鼻を垂らし、女の子を泣かせ、確か小学生の4年の時に2年だった弟の担任に 私は呼ばれ注意された。

母子家庭だったから私だったのだろう。


父は私の小学生姿を見ずに亡くなっていた。

名人と言われても弟子を抱え、落語家の遺産等なかったようだ。

急拵えのアパートを2階に建て父の部屋を日舞の教室にして 集団就職のお手伝いを頼み三代目桂 三木助の遺族は生きていった。

中学で私立に受験して『ご機嫌よう』等の挨拶を始めると私の中でバッチイ弟の存在は薄れた。

忽然と弟の存在がクローズアップしたのは、バッチイ弟が全ての中学受験に失敗した割に 全ての高校受験に合格した時だった。

ふと気付くと弟は鼻を垂らしていなかった。

立教に入った弟を見て 私は不安だった。



廻りは医者や一流企業の御曹司だろう

オシャレになる弟に寂しい思いをさせたくなかった。


私は学校の推薦で当時ピエールカルダンのデザインした制服のF銀行へ入行を決めた。

そこから私と弟の密着が始まる。


案の定窓口に座る私に『お金下ろしたいんですけど』と手ぶらの弟来る。


私は仕方なしに自分の机から預金通帳を出しお金を渡す。


カウンターを挟んで喧嘩も出来ない。


ビギのスーツやネクタイにと私のボーナスは消える。


私は当時の給料を3等分して生活費を家に入れ、自分の小遣いと残り3分の1弟と妹に口座を作り渡した。

弟の遺品の中にその頃の通帳を見つけた。

捨てきれなかったのだろう。


私が人生で唯一自分で成し遂げたことは亜矢子さんも書いた副頭取との出会いだけで 後はずっと三木助という名前にこだわる人生に終始する。

鼻を垂らしたバッチイ弟は消えたがオシャレを愉しむ弟が出来た。


弟は立教大学へ進み、人生を愉しむキャンパスへ歩み始めた。