ザキーヤのブログ

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日々徒然なるままの雑想を書き綴っております。(^^)

夏目漱石には全く興味がないが,そんな私でも『吾輩は猫である』という珍作は知っている。「吾輩は猫である。名前はまだない」で始まる本作は世界中で色々な言語に訳されているという。

ちなみに筆者はイタリア留学時に,イタリアでは三島由紀夫と村上春樹が人気だと聞いたことがある。たしかに書店では三島由紀夫のイタリア語訳がたくさん置いてあった。村上春樹はどのあたりが評価されているのかはあまり分からなかった。

 

『吾輩は猫である』のヘブライ語訳に話を戻すと,これがえらいことになっている。

表紙がペルシア猫なのである。

https://simania.co.il/bookdetails.php?item_id=36434&srsltid=AfmBOopopJ-LbbXqRl9cLR1gv5R4zbPENnr_Ngb80YHByv_0RwaBqGva

 

もしかして,

「吾輩は波斯産ペルシャさんの猫のごとく黄を含める淡灰色にうるしのごとき斑入ふいりの皮膚を有している。」

という一節が誤解されて訳されているのだろうか。

現物が手元にないので確かめようがないのだが。

 

しかしながらどう考えても『吾輩は猫である』に登場する猫はペルシャ猫ではないはずである。上記の一節はあくまで毛色の描写として書かれたものであって,どう考えても雑種の野良猫のはずである。

 

しかしながら,なんだか面白くなったので,『吾輩は猫である』のペルシャ猫ヴァージョンを考えてみた。

 

◆ 第一章 吾輩はペルシャ猫である。名は……もちろんある。

吾輩はペルシャ猫である。名は「シャー・ナスルッディーン三世」という。 名が長いのは,吾輩が高貴だからである。 人間どもは面倒がって「ナスル」と略すが,吾輩は不満である。

吾輩は東京郊外の洋館に住んでいる。 主人は美術史の大学教授で,ペルシャ美術を専門としている。 ゆえに吾輩は,教授の研究室の“生きた文化財”として扱われている。

しかし,吾輩は文化財ではない。 吾輩はただの猫である。 ただし,非常に気品のある猫である。

 

◆ 第二章 教授の家は落ち着かぬ

教授の家には,毎日のように学生や研究者が出入りする。 彼らは吾輩を見ると,決まってこう言う。

「わあ、本物のペルシャ猫だ! 触ってもいいですか?」

触ってよいかどうかは吾輩が決めるのであって, 貴様らが決めることではない。

吾輩はしばしば,教授の書斎の絨毯の上で昼寝をしている。 その絨毯はペルシャ製で,吾輩の毛色とよく調和している。 教授はそれを見て満足げに言う。

「ナスル,君はやはり芸術の一部だね」

吾輩は芸術ではない。 ただの猫である。 ただし,非常に美しい猫である。

 

 

悪乗りしすぎたかもです。

書き逃げ失礼!!!

「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑き」(枕草子)

 

夏は世に知られていないくらい暑いほうがいい。

 

と言った清少納言。凄すぎます。

私は暑がりなので、とてもとても。

もはや感性の問題ではありませんw

 

「夕べは秋と なに思ひけむ」

と清少納言の感性に反論した後鳥羽院とは全くレベルが違いますw

 

『徒然草』だったか、「家屋は夏用にするべき、冬なんかなんとかなるけど」

と言ったのは。

 

昔の貴族は寒さにも強いんだった。

端近で雪に降られながら優雅に笛を吹いてたんだよね。

 

なんか、昔読んだ、ゴロンの小説『アンジェリク』を思い出した。

ルイ14世の愛妾モンテスパン夫人が登場するが、彼女は主人公のアンジェリクと最初は友人だけれど、

後に敵同士となってしまう。

その中で、一番印象深かったシーンがある。

 

アンジェリクとモンテスパン夫人がベルサイユ宮殿の中庭を横切っていた場面だったと思うが、

真冬で極寒の日のことだった。

 

二人は、豪華だが肩がむき出しのドレスを着ていた。

 

あまりの寒さにたまりかね、アンジェリクがモンテスパン夫人に

「アテネー(モンテスパン夫人のこと)、あなた寒くないの?」

と訊くと、夫人は「何言ってるの?」というようにしらっとしていた。

そんなこと、このベルサイユでは当たり前すぎることよ、というふうに。

 

貴婦人、貴族って、平安貴族といい、すごいなと思ったものである。

優雅そうに振舞っているが、口に出せない恐るべきことがたくさんあるんだろうなと。

 

モンテスパン夫人も、ラ・ヴァリエールのマドモワゼルをルイ14世と一緒になって苦しめたり(私も同じような目に遭わされたので彼女の苦しみを理解できる)、

ラ・ヴォワサンに関わったり

ルイ14世をつなぎ留めるためにえげつないことをやったりと色々評判は良くないが、

口に出せない苦労も多々あったろうと思う。

 

『アンジェリク』は原作と漫画があまりに内容が異なるのでめげていたことがあります。

(特にフィリップとニコラ。原作と全く違うww)

 

ともあれアンブロワッサンが破滅したくらいで読むのをやめてしまいました。

その後また、何とか神父さまという敵が現れたらしいけど。

 

ちなみに私が『アンジェリク』の中で一番好きなキャラはモロッコ宮廷の宦官オスマン・ファラジです。

彼は奴隷の身分となってしまったアンジェリクのためにできるだけのことを考えてあげて、

アンジェリクがむち打ちの刑を受けた時、彼女の躰が傷つかないようにしてあげてた。

 

アンジェリクが、

「あのくらいなら、ちっとも痛くなかったし、なんともない」

と言うと、

オスマン・ファラジは

「私が鞭に細工したのだ。あなたのような美しい躰を傷つけることはサルタンでも許されない」

 

もっと美しい細やかな言葉で、宦官はアンジェリクの美しさをほめたたえた。

アンジェリクも感動して、

「こんな美しい告白を私は知らない」

ということを思っていたと覚えている。

 

長々ととりとめなく書いてしまったww

 

『枕草子』から『アンジェリク』まで、一体何を語っているのやらw

 

ともあれこれからも、暑い夏&寒い冬となるべく仲良く過ごしていきたいものである。

ふと思い出した。

 

遠い遠い日、身内の誰かが、「友人が言ってた。源氏物語は『点鬼簿』だと」と言ったのを。

 

点鬼簿とは、死者の名を記した帳簿のことだ。

『源氏物語』は確かに、ほとんどの登場人物が諸行無常に儚くなっていく。

 

永遠に若く美しくあり続けることを求める物語が多い中、『源氏物語』は容赦なく登場人物を次々に亡き者としてしまう。

だからその身内の友人は、「点鬼簿」と。

 

身内のほうは異論があるようだったが、それは聞きそびれてしまった。

 

その身内ももう、「点鬼簿」の一人となってしまっているけれど。

 

私は『源氏物語』をしっかり読み込んだわけではないが、

「点鬼簿」、一理あるかもな、と思ってしまう。

 

紫式部の意図は、分からないけれど。

 

 

かなりきつい落ち込みが続いている。

実力のなさを思い知らされる。努力してきたつもりだが。

 

優しい人が話を聞いてくれた。

ありがたい。

少しだが、考えがまとまったかもしれない。

 

占いをやってみる。

えらく良い結果が出て、「ほんとかな。ほんとだと嬉しいけれど」と、やや泣き笑いしてしまった。

 

亡くなった大切な人を思い出す。

辛いときは、特に。

夢の中でもいいから、話したい。

今も、ふっと気が付くと、心の中で楽しくおしゃべりをしているのだけれど。

本当に、色んな楽しい話をしたなあ。

 

正直、自分が何の取り柄もないように思えてならない。

そんなことは、ないはずだけれど。

 

もっと、打たれ強くならなければ。

そう、思うのだけれど。

 

落ち込むだけ落ち込んで、浮上したい。

これまで、できる限りのことはやってきた。

やってきた、と思う。

 

何とか少しでも眠って、心と体を元に戻さなければ。

 

いつか、こんなブログ記事を書いていたことを笑い飛ばせる日が来ますように。

 

とにもかくにも、できることを、やっていくしかないのだ。

 

最後に、もしもこんなどんより記事を読んでくださった人がおられたら、お礼を申し上げます。

あなたもどうか、生きてください。

それだけで。

 

頑張らなくて、いいから。

 

 

追伸、私の亡きお師匠様(上記の「大切な人」とは別人)は、

「頑張ったらダメ! 適当に頑張って!」

と教えてくれました。

 

あの頃は何もかも未熟だった。

何にも、できなかった。今以上に。

(でも、若くて、健康で、今よりは綺麗だった。)

かなりあてにしていたものが、オシャカになってしまったorz

勿論、これがだめだったときのことも想定していたが、かなりの時間とエネルギーを注入していたこともあり、やはりつらい。

 

色々と仕切り直し。

色々な事情が重なっているが、現在、何が一番大事なのかは分かっている。

 

私がはじかれたところで達成できた人が正直、羨ましい。

私とそれほど実力は変わらないと思うのに。

 

まだやりようはある。分かっている。

疲れた。でも、眠りたいのに、できずにいる。

 

実は昨日まで、日本女性学を建てた高群逸枝の著書に夢中になっていた。

大国主命が造り上げたものが、どのように天孫族に上書きされていったかという。

日本はこんなせめぎあいの歴史を根っこに持っているのだと。

 

『古事記』も『日本書紀』も、天孫族側から見た歴史であろうが、大国主命側にどうしても好感を持ってしまう。

 

ともあれ、できることをやっていこう。一つ一つ。

少し泣いて、それから動こう。