【しがらみお嬢の奮闘日記】第11話 法事での会話

 

 我が家は田舎の代々続く没落旧家。父の死をきっかけに跡継ぎとなるが、いろんなしがらみに大奮闘!

 

 昔に比べてどこの地域での簡素化されたのが葬式と法事!昔は家や寺で大掛かりな葬儀や命日になると親戚みんなが集まって法事をしていたようだが、今ではそんな風景を見ることが少なくなった。

 

 我が家でも法事はだいぶと簡略化されているが、50回忌などの大きな法事にはおばあちゃんから親戚みんなにお呼びがかかる。親戚もあまり気乗りではないのだろうが、「付き合い」という名目で我が家にやって来る。

 

 お坊さんの手配、座布団干し、料理の注文、おつまみやお菓子の買い出しという雑務が1週間前から行われる。おばあちゃんにしてみれば「本家に嫁いだ嫁のお勤め!」という感覚で準備は着々と勧められていく。私にしてみれば顔も見たこともないご先祖様の法事。「若さ」と言ってしまえばそれまでだが、「義理かやっかい」みたいなところがある。

 

 おばあちゃんは口には出さないが、「いずれあんたが仕切るんやで」みたいなオーラが身体からにじみでている。

 

 通常法事というのはご挨拶、お坊さんのお経、お食事、雑談、お供えの分けっこでつつがなく終われば言うこと無しなのですが、そうならない時も多々ある。それはどんな時かと言うと遺産相続や不動産が動いたときである。

 

 田舎の本家というのは家のほかに田んぼ、畑、山などの不動産がセットになっている場合が多い。子供の頃、その家に住んでいる間はその家の米や農作物を食して生活をするので田んぼや畑を耕すお手伝いをする。しかし大人になるとその不動産を相続するのは長男だけであとの兄弟は身柄1つで嫁いだり、他所に家庭を構えることになる。

 

 不動産というのはどうしても切り分けをすることができないので、誰か1人だけの物になってしまう。我が家の場合田んぼがたくさんあったので、男子には家を建てる分だけの田んぼが分けられたようだが、女子は他家へ嫁ぐ為相続するものは何もない。

 

 こういった不公平さが法事の時に不満となってもめる元になる。分けてもらえた者はラッキーだが、何もない人からすれば不公平というのが本音なのだろう。その気持ちはとてもよく分かる。しかし全体を見渡すと本当にそうなのだろうか?確かに長男は広大な農地と家を相続するがそこには親の扶養、村役、墓守という面倒くさいオプションもおまけとしてついてくる。それに比べて分家の人たちは相続分はなかったにしろ、自分たちで住むところを選ぶことができ、夫婦と子供のことだけを考えて生きていくことができる。はたしてどちらが幸せな人生なのだろうか?

 

 本家には本家の言い分、分家には分家の言い分というのがあるのだろうが、切り分けのできない不動産という性質上一生解決しない問題となっている。その為この会話を終わらす知恵を持っている人は我が家にはいない。ただ、みんなの様子をみていると「腹に溜めているものがなくなればちょっとはスッとする」というみたいな物が漂っている。みんな「切り分けできないもの」というのは頭では分かってはいるのですが、心の感情の部分で割り切れないのでしょうね。

 

 こういう光景を見ると「どこかの馬の骨になりたいなぁ」と思うのです。

 

 現在では葬式はセレマなどの葬儀会場で行い、法事はかなり簡略化されているのが現実なようです。我が家でも親戚が集まるのは葬式と四十九日とか50回忌などの大きな法要の時だけとなってきている。私の代になったらもっと簡素化していくぞ!

 

 この記事を読んだ人へ

  さて、あなたなら本家としての人生、分家としての人生のどちらを選びますか? コメント欄で意見を頂けると嬉しいです。

 あとこんなしがらみに負けることなく毎日頑張って生きている私をフォローしていただけると非常にありがたいです。

 よろしくお願いします。

 

 

 

第10話へ戻る   第12話へ続く