リッツ美容外科 大阪院 志賀院長ブログ -41ページ目
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アズキの独り言

うちの先生はペットが大好きなようで、小さいころからいろいろなペットを飼っていたようです。大阪には友達が少ないのかな?かわいそう(笑)。

azuki1.jpgあ、自己紹介がおくれまして失礼いたしました。私、昨年の11月から志賀家の新しい家族となった豆柴犬の小豆(アズキ・女の子0歳)といいます。私は先生がリッツ美容外科を開業したころから同居している豆柴犬の豆(マメ・男7歳)の嫁としてまいりました。まだ生まれて5か月の仔犬ですから、仔犬を産むことはまだまだできませんが、マメさんとうまくおつきあいができるようになったら寂しがりやの先生のために家族を増やしてあげたいと考えております。ときどきブログにも参加させていただきますので今後共よろしくおねがいします。

先生は家でお酒を飲んで酔った後でも手術のことを考えているようです。先日、マメさんの顔をじっと見て何事か話しかけていました。犬の世界の7歳は人間の年齢に換算すれば50歳くらいですから、先生とマメさんは同じ位の年頃なんです。

先生「マメ、お前の顔は老けないなあ。俺は40歳過ぎたくらいから、目の下には脂肪がたまり、下顎は二重アゴになり、鼻唇溝は深くなっていくのに、なぜお前は老けないんだよ。」

マメ「クゥーン」

先生「目もパッチリしているしなあ。そうか!犬には二重になる皮膚がないから垂れないし、鼻唇溝がないから老けないんだ!それに顔中毛だらけだからシワがみえないんだな!なるほど!いいなあ。」

マメ「ワンワン」

そして酔った先生とマメさんは幸せそうにおやすみになりました。

輪郭についての思い出

私が中学生の頃の忘れられない体験談です。美術の授業中でした。

先生「今日は人物画の勉強をしまーす。モデルになってくれる方はいますかー」

生徒「・・・・・・・」

先生「では、今日の日直の鈴木くん(仮名)前にでてください。皆さんいいですか。人物を書くときにはバランスがありますか ら、頭の大きさを鉛筆をこのように持って測りまーす。そういったものを~頭身といいます。さて鈴木くんは何頭身ですか?では志賀くん。」

私「6頭身です」

先生「そうですね。日本人は平均的に6頭身くらいといわれてますから、鈴木くんは平均的ですね。じゃあ次に佐藤さん(仮名)前に出て。さて皆さん何頭身ですかー。」

生徒「5頭身くらい!頭でけー!」

私 ドキッ!!!!

先生「それは大袈裟ですよ。大体5、5頭身くらいですね。さあデッサンをはじめましょう。」

といったことがありました。スタイルが悪かった私は、頭の大きさが原因であることに気がつきはじめていたので、その授業中に指されるのが恐くて、終了のチャイムがなるのをじっと下を向いて待っていた記憶があります。さらにその晩の夢です。また美術の授業中でした。

先生「次は志賀君、前にでてください。皆さん、何頭身ですかー」

生徒「うわあスゲー!!!2頭身だあ!!!ドラえもんみたい!!!」

生徒全員「ドラえもん!!ドラえもん!!ドラえもん!!」

私「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・涙」

doraemon.jpg

スタイルが悪いといったコンプレックスを持ち始めたのはこの頃です。

そのせいか、何を着ても似合わないという自己暗示にかかってしまい、ファッションに全く興味を持たなくなってしまったようです。

それから20年経ったある晩。

大好きな森田医師(実名)など仲間との飲んでいる席での会話

志賀「カールルイスってスタイルがいいですよねー。身長が180cm以上もあるのに、あの頭が小ささというのも早く走るために有利なんでしょうか?」

森田「そうだなあ(酔)。お前は頭がでかいから、走るのが遅いだろう(酔)それに志賀の頭のでかさだったら身長が190cmあってもいいんじゃねえか(酔)」

私・全員「大爆笑・・・・・・・・・一時間余り・・・・」

もう48歳の私は、自分のスタイルの悪さを(大阪風にいえば)持ち(自虐)ネタにできるようにして乗り越えることができましたが、恰好を気にする若い方たちがコンプレックスを乗り切るには何十年とかかってしまいますし、楽しい時期を逃してしまいますよね。リッツ美容外科では、改良に改良を重ね、医療技術がかなり進歩しましたから任せていただければ心配無用です。ですから、そんなコンプレックスを持っていた私は輪郭の相談がくると一段と燃えるのです。頬骨削り、エラ削り、アゴ削り、さらに私が改良した輪郭全周削り(小顔の手術)のデザインと手術は誰にも負けない情熱と自信があります。

詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:輪郭(フェイスライン)の項をご覧下さい


一度、来院して話を聞いていただければ、納得できると思います。実はエラがはっている、アゴが出ている思っているコンプレックスが間違っていることも多いということに気が付いて頂けると思います。

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自己紹介

はじめまして。

 

大阪院院長の志賀由章です。

私は幼少時より文章を書くのが苦手なので他人まかせにしていることが多かったのですが、自分を知ってもらうにはブログが必要とされている現代、重い腰をあげて書いてみることにしました。

まず、自己紹介からいたします。昭和34年に福島県いわき市の開業医(外科・整形外科)の次男として生まれました。映画「三丁目の夕日」のようなセピア色の時代です。スポーツが得意で、市内の野球大会では活躍しておりました。一方、子供のころから細かい作業が大好きで、油絵を書いたり、書道(三段)、ピアノを弾いたり、機械部に入部して自分でおもちゃを作って遊んでおりました。そのころの夢はプロ野球の選手、阪神タイガースに入団することでした。(今でも岡田監督が勧誘にくる夢を見ます)。しかし体格的にスポーツは無理であることがわかり、尊敬する父の職業でもある医師の道を選択することになったのです。

大学(東京慈恵会医科大学)に入学してからは、とりあえず勉強から開放された喜びから、テニスやサーフィン、憧れていたバイクを購入し、ツーリングに明け暮れる毎日でした。今考えればあの頃が、人生で一番楽しかったピークだったようです。大学の授業では形成外科と産科(出産、不妊治療)が好きでした。形成外科の中ではマイクロサージャリーの精密さに感動したのを記憶しております。産科で出産に立ち会った時の感動は今でも記憶に鮮明に残っております。しかし、最終的に選択したのは外科になってしまいました。

私たちの時代の研修医制度は医師免許を取得すると外科系に進む医師は外科系の科を研修して回る事になります。私は麻酔科と産婦人科、形成外科、外科を選択しました。心の中では形成外科と決めていたのですが、外科の研修中に羽生先生という素晴らしい師に出会ってしまいました。その先生は患者さんからは大変に信頼され、他科の医師、看護師からも尊敬され、さらに研究も人一倍熱心で、さらに研修医である私たちの話もよく聞いてくれました。朝から何時間もの手術をして疲れているのに、その後外来、病棟での回診を嫌な顔など一切せずに、土日もなく夜遅くまで働くのです。そんな姿を見て私の中に[こんな医師になりたい]願望が湧いてしまったのです。友人に進路を相談すると、外科医になって全身管理、救急処置、胃癌や乳癌の手術を学んでからでも美容外科をするのは遅くないのではないか、と言われ、10年間は外科医として勉強することとなったのです。現在でも羽生先生にはまだまだ及びませんが、人の話をよく聞く姿勢、時間を問わずに患者さんが求めるならば働き続けることはそこから学びました。その後、羽生先生とそのスタッフの協力を受け、胃の幽門輪について研究し、医学博士までも取得させていただきました。しかし外科医となってからは大変で、癌と立ち向かう患者さん、家族の喜びや悲しみ、救急外来での予測されない事故、そして突然の死はどんなに経験のある外科医でも自分の無力さに葛藤した経験があると思います。

癌に侵された場合、早期癌で発見され根治されるケースもありますが、進行癌で見つかる方も多いのです。進行癌で見つけられている方は、症状があっても仕事に追われていたので、こうなるまで我慢していたといったことをよく聞いてました。その頃考えていたのは、癌の手術を学ぶことも必要だけど、癌にならないように早期発見すれば良いじゃないか、という単純な発想でした。内視鏡や画像診断つまり予防医療です。そう考え開業することを決心し、いろいろなクリニックの見学をしていました。予防医療のクリニックといいましても外来での小手術程度はするつもりでしたので、その技術を学ぶために美容外科にも見学に行きました。そこで見たものはコンプレックスを心の奥深く持って悩み苦しんでいる方がこんなに多く、コンプレックスから開放されたときの患者さんの大変な喜びよう・・・それが私には新鮮でした。と同時に自分に向いている仕事であることを感じ取ったのです。

それからリッツ美容外科を開業するまではあっという間でした。大手美容外科で外科医の傍ら5年間修行したのちに大阪院院長となり、そこで院長を3年間勤めた頃に東京院院長の広比先生と知りあい意気投合し、リッツ美容外科をたちあげたのです。

以上、簡単ですが、自分の自己紹介です。文章は下手ですが、これからも治療のこと、プライベートなことを書かせていただきますのでお付き合いください。

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