自己紹介 | リッツ美容外科 大阪院 志賀院長ブログ

自己紹介

はじめまして。

 

大阪院院長の志賀由章です。

私は幼少時より文章を書くのが苦手なので他人まかせにしていることが多かったのですが、自分を知ってもらうにはブログが必要とされている現代、重い腰をあげて書いてみることにしました。

まず、自己紹介からいたします。昭和34年に福島県いわき市の開業医(外科・整形外科)の次男として生まれました。映画「三丁目の夕日」のようなセピア色の時代です。スポーツが得意で、市内の野球大会では活躍しておりました。一方、子供のころから細かい作業が大好きで、油絵を書いたり、書道(三段)、ピアノを弾いたり、機械部に入部して自分でおもちゃを作って遊んでおりました。そのころの夢はプロ野球の選手、阪神タイガースに入団することでした。(今でも岡田監督が勧誘にくる夢を見ます)。しかし体格的にスポーツは無理であることがわかり、尊敬する父の職業でもある医師の道を選択することになったのです。

大学(東京慈恵会医科大学)に入学してからは、とりあえず勉強から開放された喜びから、テニスやサーフィン、憧れていたバイクを購入し、ツーリングに明け暮れる毎日でした。今考えればあの頃が、人生で一番楽しかったピークだったようです。大学の授業では形成外科と産科(出産、不妊治療)が好きでした。形成外科の中ではマイクロサージャリーの精密さに感動したのを記憶しております。産科で出産に立ち会った時の感動は今でも記憶に鮮明に残っております。しかし、最終的に選択したのは外科になってしまいました。

私たちの時代の研修医制度は医師免許を取得すると外科系に進む医師は外科系の科を研修して回る事になります。私は麻酔科と産婦人科、形成外科、外科を選択しました。心の中では形成外科と決めていたのですが、外科の研修中に羽生先生という素晴らしい師に出会ってしまいました。その先生は患者さんからは大変に信頼され、他科の医師、看護師からも尊敬され、さらに研究も人一倍熱心で、さらに研修医である私たちの話もよく聞いてくれました。朝から何時間もの手術をして疲れているのに、その後外来、病棟での回診を嫌な顔など一切せずに、土日もなく夜遅くまで働くのです。そんな姿を見て私の中に[こんな医師になりたい]願望が湧いてしまったのです。友人に進路を相談すると、外科医になって全身管理、救急処置、胃癌や乳癌の手術を学んでからでも美容外科をするのは遅くないのではないか、と言われ、10年間は外科医として勉強することとなったのです。現在でも羽生先生にはまだまだ及びませんが、人の話をよく聞く姿勢、時間を問わずに患者さんが求めるならば働き続けることはそこから学びました。その後、羽生先生とそのスタッフの協力を受け、胃の幽門輪について研究し、医学博士までも取得させていただきました。しかし外科医となってからは大変で、癌と立ち向かう患者さん、家族の喜びや悲しみ、救急外来での予測されない事故、そして突然の死はどんなに経験のある外科医でも自分の無力さに葛藤した経験があると思います。

癌に侵された場合、早期癌で発見され根治されるケースもありますが、進行癌で見つかる方も多いのです。進行癌で見つけられている方は、症状があっても仕事に追われていたので、こうなるまで我慢していたといったことをよく聞いてました。その頃考えていたのは、癌の手術を学ぶことも必要だけど、癌にならないように早期発見すれば良いじゃないか、という単純な発想でした。内視鏡や画像診断つまり予防医療です。そう考え開業することを決心し、いろいろなクリニックの見学をしていました。予防医療のクリニックといいましても外来での小手術程度はするつもりでしたので、その技術を学ぶために美容外科にも見学に行きました。そこで見たものはコンプレックスを心の奥深く持って悩み苦しんでいる方がこんなに多く、コンプレックスから開放されたときの患者さんの大変な喜びよう・・・それが私には新鮮でした。と同時に自分に向いている仕事であることを感じ取ったのです。

それからリッツ美容外科を開業するまではあっという間でした。大手美容外科で外科医の傍ら5年間修行したのちに大阪院院長となり、そこで院長を3年間勤めた頃に東京院院長の広比先生と知りあい意気投合し、リッツ美容外科をたちあげたのです。

以上、簡単ですが、自分の自己紹介です。文章は下手ですが、これからも治療のこと、プライベートなことを書かせていただきますのでお付き合いください。