スタジオシフト 深澤竜也デザイン事務所からお知らせです。





武蔵野美術大学校友会山梨支部 第3回ムサビ展2015が本日より開催されています。

場所:山梨県立図書館イベントホール 

会期:2015年12月2日の本日~2015年12月6日(日)まで 

時間:9:00~18:00 (6日は16:00まで)




本日は作品展示の後に、簡単なレセプションも行われました。

44名が参加した今回も、広いイベントホールに目一杯の展示になっています。







美術大学のOB展ということで、様々な展示がされています。


油彩や水彩の作品





陶芸や建築模型




デザインのポスターやクラフト作品





人形なども



私は今回、店舗設計のパースや図面を出展しています。




いろんな分野が美術大にはありますが、

その縮図のような展覧会です。


ぜひご来場ください。



前投稿では葛飾北斎の天才について書きました。

浮世絵の世界で巨匠と呼ばれる人物は何人もいますが、

私は、葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川広重が3大巨匠と思っています。

今日は私の住む山梨県甲府市に縁の深い、歌川広重という天才についてです。


歌川広重の作品は、海外では大胆な構図とともに、特にインディゴという藍色の美しさで、高い評価を得ています。





この藍色は、フェルメール・ブルーになぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれています。





ゴッホが模写をしたことでも有名な名所江戸百景「大はしあたけの夕立」ですが、

ヒロシゲブルーは、19世紀後半の印象派の画家たちや、

アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響をあたえたとされています。

たしかにこのようなブルーの使い方は、現代に生きる私たちデザイナーの見本になっています。



また広重といえば「東海道五十三次」ですが、この絵は53枚ではなく、出発点の江戸日本橋と終点の京都三条大橋を含めて、55枚あります。





人気沸騰し刷りすぎたたために、木版が傷んでしまい、2版目を作ったものもあり、

日本橋も初版と2版目では、ご覧のような違いがみられます↓







広重はこのように「不二三十六景」や「名所江戸百景」など、ガイドブック要素の強いものも得意としていました。

きっと江戸の人たちは、この絵を観ながら、自分も旅をしているという感覚に陥ったことでしょう。




さて、私たち甲府のものには、広重といえば「幕絵」です。

江戸幕府直轄領時代の甲府では、華麗な幕絵を飾った盛大な甲府道祖神祭礼が行われており、

甲府商人の経済力を背景に江戸から広重ら著名な絵師が招かれて幕絵製作を行っていました。





広重は甲府の町人から幕絵製作を依頼されます。

江戸から甲州街道を経て、幕絵製作のため甲府に滞在していました。

この記録が『甲州日記』に記されています。

甲府での芝居見物や接待された料理屋の記録など、近世甲府城下町の実態を知る記録資料としても重視されています。

幕絵は東海道の名所を描いた39枚の作品で、甲府城下町の各店頭に飾られ、祭りを賑やかに演出したといわれています。

その場所こそが、私たちの地元です。

Ⓒ山梨県立博物館


まだ百数十年前の甲府の城下町は、このように賑わっていたのですね。

歌川広重は、ヒロシゲブルーとともに歴史の証人として、

私たちの心に生き続けています。
先日NHK Eテレで、デザイン学の教授がこんな話をされていました。

「デザインは先行事例を検証し、そこにあらたな試みを行い、オリジナリティを創るものとされています。」

これはその通りだと共感するし、、デザインだけでなく絵画や彫刻、音楽にも言えること。

もっと言えば、様々な業種でも学校でも部活でも、日々の生活でも同じことが言えるのでしょう。




私にはデザインの世界でも天才だと尊敬する芸術家が3人います。


一人はレオナルド・ダ・ヴィンチ

一人はアントニオ・ガウディ

もう一人は葛飾北斎です。

「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインした浮世絵師。

浮世絵とは浮世(今様。。現代風)を描いた、江戸時代に成立したジャンルで、多色摺りの木版画の場合が多いですね。


北斎の凄さは様々あるので、デザイン的な視点で、一部分だけ取り上げます。


「富嶽三十六景 神奈川沖波裏」





あまりにも有名なこの作品は、印象派の画家ゴッホが絶賛し、作曲家ドビュッシーが交響詩『海』を着想するなど、欧州の芸術家達に影響を与えたり、

構図とともに素晴らしいのは白い波しぶきの表現。

ハイスピードカメラなどで撮影された波と比較すると、それが写実的に優れた静止画であることが確かめられます。(参照wikipedia)



驚くべきはこの迫力ある作品を完成させたのが、平均寿命50歳の時代にもかかわらず、70歳を過ぎた頃であり、北斎の最盛期はこの時期であること。




北斎は40歳の頃、この波の表現にチャレンジしていました。








迫力や躍動感が不足していおり、北斎自身も挫折を味わったようです。

波、水しぶきを描くために、何日何日も海を眺めていたそうです。


波を描いた先行事例も研究していたようです。

特に有名なのが、沈南蘋(しんなんびん)筆 丹鳳朝陽図





岩にあたる波しぶきの表現をヒントに、神奈川沖波裏を描いたと言われています。


あらためて、神奈川沖波裏を観ると、その構図の素晴らしさと波の躍動感と迫力に圧倒されます。





北斎の凄さをもう少し付け足すと、この北斎漫画も有名ですが、

漫画の走りと言ってもいいでしょうね。





蛸と海女は、その艶かしい淫靡な世界観が、現代の映画などに多く引用されています。




お金や身なり、行儀などに無頓着で、外国人や役者、旗本などとトラブルも絶えない、奇行が目立つ人物だったようですが、それが天才たる所以なんでしょうね。