最後、決めるのは自分 | 紫枝の人生は体当たり

紫枝の人生は体当たり

2児の母であり妻。それ以外の肩書不詳。
体当たりで人生生きてます。

 かるーく、考え事をつらつらと・・・

 

 先日、友人Kちゃんが別の友人Rちゃんと豊川稲荷で打ち合わせするから、一緒に来ない?という、今考えればのっけからよく分からない展開のお誘いに乗っかり、豊川稲荷に行ってきました。打ち合わせする内容に全く関係ない人間なのに、「面白そうだから」という理由だけで召喚され、それに乗っかる私。他にも同じ理由で召喚されたメンバー3名ほど。

 

 こういうメンバーで集まると、自然と話が算命学のこととかになるんですが、私が「占いで言われたからって、そこに依存されて行動されると困るわー」という話をしたら、Kちゃんが「私、言われたからってそう動いちゃう」と言っていました。

 うん、確かにそうなんですよ。私も、「そう言われたから」で行動してますよ。でも、依存とは違うような・・・

 

 「占いとかタイワで言われたから」という理由で行動するのも全然あり・・・というか、それで行動しなかったらセッション受ける意味ないんですが(笑)、それが依存になるか、自立につながるかの分かれ道って、結局、「最後、自分で決めるかどうか」かなと思いました。

 別の言い方すると、「行動した結果に責任を持つのが、自分か、他人(セッションをした人)か」かな?

 

「占いでこう言われたから」→「だから、言われたとおりにすれば明るい未来になるはず」

 

 

「占いでこう言われたから」→「だから、明るい未来を手に入れるために、言われたとおりにしようと自分で決めた」

 

では、同じ「言われたとおりのことを行動した」でも、結果に対する気の持ちようと、ゆくゆくの未来は大分違うはず。

 もし、その時望んだ結果にならなかったら(それも一時的なもので、ゆくゆくはまた違う結果になると思うんですけどねー)、後者の人なら「失敗した。次はこうしよう」と次のステップになるのに対し、前者の人は「占いで言われたのに、あれは嘘だった」とか責任のありどころかその人の中で他者になってしまい、次に繋がらない、繋がらないどころか、ただの不平不満の塊になってしまいますからねー。

 

 すこーーし前・・・いや、今でも自分、そういうところが無きにしも非ずなので、前者になってしまう気持ちはよく分かりますし、その依存の過程を経て、ようやくわかる本当の自分というのもあるので、全否定する気もないですけどね(´▽`)そういう時期も、人生あるさ。

 ただ、さっさと自立して、自分の人生自分で生きたかったら、最後決めるのは、やっぱり「自分」でありたいなと思った次第です☆

 

 

 ・・・とこういうことをつらつら考えた理由は、豊川稲荷なんですけどね(´▽`)

 この日、豊川稲荷の近くで生まれ育ったTさんの案内で、豊川稲荷を参拝したんですけど、私、表の本殿しか行ったことなくて・・・いや、奥があんなに広がっているとは思いませんでした。

 

 特に、「ここ、周りと違う・・・」と感じたのは霊狐塚で、入る前に「ようこそ♪・・・で、入る覚悟はあるのかい?」と歓迎してるのか脅してるのかどっちやねん!(´Д`;)という声が聞こえてきて・・・

 

霊狐塚入口

別に感じやすい人でなくても、ちょっと異様な雰囲気ですよねー

 

 案内してくれたTさんは非常に豊川稲荷に愛されているようで、もうおキツネさんたちからの「いいから伝えてくれ」プレッシャーで少し笑えました(´▽`)

 Tさんが、とあることをこの霊狐塚でやりたくて、「明日、(人間側の)許可を取りに行く予定なんだけど、霊狐塚の神様たちはどう思ってるかなぁ?」と話してくれたんですが、もうおキツネたちが「やーーーって♪やーーーって♪」の大合唱。

 

うるさいんじゃ(°Д°)

 

とは言ってません(´▽`)

 

 実は、私、今までも神社とかに行くと、微妙に神様的存在たちからの声のようなものが聞こえていたんですが、100%怪しいし、自分の妄想との境目もあいまいなので、なんとなく旦那に言う程度のことしかしてませんでした。

 この日も、最初に本殿に挨拶したあたりから聞こえてはいたのですが、それほどみんなには重要な内容ではなかったし、何より怪しいので、その場にいた人たちに言うつもりはありませんでした。

 でも、みんなが「なに?聞こえてるの?」と言ってくるし、まあ、メンバー的にもタイワとか分かるメンツだし、言ってもいいかなと思って、暴露。

 

大半は、「この大黒天さん、エロい。Kちゃんに触られて、『女の子はええのぉ♪でへでへ。もっともっと♪』って笑ってる」とか、非常にどうでいい内容だったんですが(神様って、いつも崇高なこと言ってくるわけではない)

 

 でも、この霊狐塚のおキツネさんたちは違いましたねー。とにかく「やってほしい。それを伝えてほしい」と必死でした。でも、その一方で「すごい変化が起きるけど、覚悟を決めてね」とか脅してくるんですが(´Д`)

 

 ・・・そして、問題はその日の夜ですよ。伝えること伝えてスッキリして、子どもも旦那も寝た後に、ふと一人ウッドデッキに出たくなりました。そして、小雨の音を聞きながら、「今日は不思議な一日だったなー。霊狐塚のおキツネたち、喜んでるなー」と目を閉じて一日を振り返り、ふと目を開けたら・・・何やら隣の暗闇から生き物の音が聞こえる。

 

猫かな?

 

いや、キツネだΣ(´Д`)

 

なんと、本物登場(笑)。しかも、私という人間(あ、宇宙人だった)がいるにも関わらず、私から2mほど先のあたりを10秒ほどうろうろして、「じゃーねー♪」という感じでまた暗闇に帰っていきました・・・

 

 「・・・私、呼ばれたな」というわけで、私もそのTさんのイベントに出席する覚悟を決めた次第です。

 でも、スムーズに出席を決めれたわけではなく、色々心理的葛藤がありました。

 

まず、たまたま旦那が休日出勤でいない(あまり休日出勤ない人なんですが)

 

 だから、子ども2人私が見なきゃいけないんですが、イベントの内容的に、敏感な長女とビビリの長男坊は、ふつーに考えれば、アウト(多分、泣く)。通しで参加すると、長時間になることもアウト(最後ぐずぐずになり、私も子どももイライラして終わる)。子連れOKだけど、基本大人ばかりなのもアウト。子ども2人が知ってる人がいないこともアウト。お昼ご飯食べる場所が狭いのもアウト。とにかく全てが、うちの子どもたちの性質を考えると、アウト。

 じゃあ、行かないでおこうか。Tさんには「うちの子ども達は無理なので」と伝えて・・・

 

子どもたちがいるから・・・

 

子どものせいで・・・

 

子どものために、諦める・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

それでいいのか、自分!!!

 

 で、冒頭の「最後、決めるのは自分だ!」という考えに至ったわけです(´▽`)

 

いつまでも、「子どもが小さいから」って、子どもという他人に責任をなすりつけ、自分を諦めさせていたのは、結局自分だ。

 

 あまりにも泣いたりして、その場にいられなくなったら、途中で撤退するかもしれません。でも、それさえも覚悟の上で、通しで参加申し込みすることにしました。

 

っていうか、呼ばれてるなら、どうにかなるんじゃないかという楽観的考えも、あるw

 

 おキツネさん、どうにかしてください(´▽`)←他人任せw

 

 えー、ちなみに、そのイベント、6月30日午前現在、人間側の都合でまだ許可が出ていないそうです(人間側と見せつつ、他の勢力のせいという説も、昨日の夜聞こえてきましたが)。がんばれ、おキツネ(´▽`)

 

そして、怪しさが開花しつつある私ですが、普段は普段どおりですので、どうぞ今後も変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願いいたします(笑)