書きたいと思いつつ「書いちゃ、いか~ん」と父から言われていた禁断の「前後ろ銭湯事案」を書こうかと思っている鹿吉です。
こんばんは!
「書いちゃ、いか~ん」とは言いつつも、本当にやめてほしいときは「それだけはやめて、本当に一生に一回のお願いだからやめて」と言う父からそこまでは言われておりませんので、許可は取ったと思っております(笑)
ちなみに「一生に一回のお願いでやめて」が決して一回限りではない、というのは世間の常識でございましょうか?
前後ろ銭湯事案の聞き取りをしている最中に余談の後日談を父自らがタレコミしてくるくらいですので、これはもう書くしかない!と気合充分にございます!
ということで本日は父の青春時代の話をひとつ。
父の学生時代は「みんな、そうだったから気にしたこともない」と父は言っておりますが、聞く限りではかなりの貧乏学生でございました。絵に描いたような四畳半一間の炬燵生活で、生活すべてを炬燵か布団の上で済ますような状況だったと聞いております。
アルバイトを禁止されていたらしい父は親からの仕送りだけで生活をするしかなく、贅沢はひとつもできずにひたすら友人の下宿先の賄を食べたりして楽しんでいたそうにございます。
話を聞きながら自分の下宿先でも賄はあるだろうに…といつも食べられてばかりいる父の友人を気の毒に思っておりました。
贅沢はホットドッグだそうで、食べ盛りの大学生としてはホットドッグ1本でお腹は満たされたないのにホットドッグは高くてなかなか手が出ない贅沢品だったのだそうです。
食パンが50円程度、銭湯が一回につき60円前後という価格のなか、ホットドッグが一本150円は確かにかなりの高級品だったかと存じます。
そんな父の下宿には当然お風呂はございません。
頼るべきは銭湯なのでございます。
この時代、多くの家に内風呂はなく、銭湯へ行くことが普通だったそうにございます。
田舎へ行けば五右衛門風呂があったりするかもしれませんが、今のように家の中にお風呂というのはとても贅沢な環境だったのでしょう。昭和50年代に入ってやっと自宅の内風呂率が50%を超えたそうでございますので、それまで如何に銭湯が庶民の社交の場だったか、よくわかるかと存じます。
多くの人が集い、裸の付き合いをする銭湯は白癬菌の繁殖場としても大活躍いたしました。
「あの頃はさ~、だいたいがみんな銭湯で感染ったもんなんだよ~」
父の言葉通り、多くの人が白癬菌には悩まされることになりました。
そう語る父も股部に白癬菌の侵入を許してしまったそうで、それはもう悲惨な見栄えになったそうにございます。
「だからさ、銭湯に行ってさ、服を脱いで風呂まで歩いていく間さ」
そしてくつくつ笑って言うのでございます。
「前後ろ、どっち隠せばいいか、わかんなくて、前隠して後ろ隠して大忙しなんだよね~」
祖母が毎度爆笑する場面にございます~♪
今は綺麗だよ♪と自慢げにする父に思わず半眼になってしまう私は今日も元気に焼いております。
鹿吉でも人気の高いスイートポテトでございますが、こちらも芋の状況をみながら判断いたしますが、今月いっぱいで一度販売休止予定でおります。
3月を越えても理想的な芋の状態である限りは販売を続けようとは思っておりますが、そうでなければ一度休止いたします。
無添加で安心に美味しく召し上がっていただきたいと鹿吉は願っております。
材料のほとんどを芋だけで焼き上げた、手間暇のかかった焼菓子にございます。
是非一度ご賞味くださいませ~
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ちなみに青春真っ盛りの父が友人たちとはじめて海に行った時の話をしてくださいました。
開放感あふれる広い空、誘うように波が押し寄せる青い海、足を降ろせば吸いつくような白い砂。まさに青春の一ページに相応しい、夏の景色にございます。
海水パンツを着用した父は高揚する気分そのままに海へと駆けだしました。
「そのときさ、知っちゃったんだよ」
浮き立つ心すらも一瞬で萎むような痛みが股間に走ったのだそうにございます。
白癬菌で傷んだ皮膚に塩水が殊の外沁みて、思わず身体をぶるりと震わせてしまったとか。
傷む股間を軽く押さえながら、そっと周囲を見渡せば…
一緒に遊びに来ていた友人たちも同じように海水のなかで股間を押さえて震えていたとか…
「おまえもか???ってそのときはじめて知ったよ~」
ある種の仲間意識が芽生えたのはきっと私の妄想だけじゃあないはずにございます(笑)
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
またいらしてください~♪
お待ちしております!!!