かわらないもの
命の火
人間は平等には生まれてはきません。
貧しく生まれる者、裕福に生まれる者
健康に生まれる者、病弱に生まれる者
孤独に生まれる者、人に囲まれ生まれる者
あらゆる環境に於いて生まれながらにして不平等な生命が唯一の平等を保つもの、
それは
"時間"
であります。
誰しもが等しく1日は24時間であり、
この世に生を授かったその日から、
いつ迎えるとも分からない死に向かってのカウントダウンが始まるのであります。
老衰、病、事故、紛争
遍く存在が内包する、絶命へ向かっての平等。
そう悟った時に
これこそが命の火の輝きの源泉なのだと。
今般、ある意味ではコロナという病において
地球上で人々は"死"を唐突に眉前につきつけられた様に感じたのではないでしょうか。
世界中が蜂の巣を突いたように大混乱に陥り
堰を切ったように
皆で"命"の大切さ、有用さを叫びます。
しかしそれ以前も以後も我々は何時も何処でも
『葉隠』さながら
死へと向かう命の火を燃やしているのです。
"命"の尊さを疑うのではなく
嘯かず、奢らずそれを語るのであれば
この哲学的な問いに向き合った者は
等しく
"死"に向かっても同じ温度で語らなければなりません。
Apple創業者の故スティーブ・ジョブズ氏は米スタンフォード大学の卒業生へ向けてこの様な言葉を贈りました。
〜私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。〜
「もし私が最後の1日だとすれば?」
応えは一択、
わたら瀬で呑む
でしょう。
//わたら瀬店長
この世の中の黄金原則
「夏休み
と聞くとわくわくしてくる。
あの頃"時間"はもう登場していたけれども、まだ骨を犯す毒は持っていなかった。」
「いつ死ぬかしれない日夜にそれと気づかず
生を確認するのに忘我だったという説明は気が利いているが
あの心の火の深さ、濃さ、明るさは決して説明してくれない。」
〜開高健〜
ヒトに時間という概念が発生するのには、経験に基づいた決定的な死生観が必要なのだ、と思います。
それだけに、戦地に赴いた文豪の言葉には、ある意では無常観にも似た刹那的な輝きが、、、
思うに、或る物事に没入し時を忘れる事
と云うのは若さという特権に勝るとも劣らない愉悦があるのだろうと。
"酒"もまた然り。
禁酒令が敷かれ街の灯が奪われた今、人々は何を想うか・・・
ふつふつと沸く矛盾した社会への、慟哭、迷いは誰にしもあって
心の深淵を縁取る渇望に近いものはずっと鳴りを潜めているのではないでしょうか。
ここは、やはり
潤さなければなりません。
心の渇きは酒の渇き。
わたら瀬という酒の泉は皆様のこころに広がっております。
しばし
//わたら瀬 店長