わたら瀬店長のブログ
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舟を漕ぐ

ある荒れた海で
毎日毎日手漕ぎの舟で櫓を漕いでいる

荒れた海を全く意に介さず
舟の上を自由に飛び回る鳥がいて

それを見上げて羨ましく思ったりもする

散々逡巡したあげく
やっぱり自分はこれで良いと
また舟を漕ぎ出す

そうしていつのまにか荒れた海は
凪になる

良いお年を

大晦日
でございます。
今年やり残したことの総決算をすべて締めて
大掃除に勤しみ
来る年の正月の準備をすれば
あとは紅白歌合戦を待つのみといったところでしょうか。

行く年にこめる感慨は名残惜しさも混じえ、なんとも言えない感傷が有るものです。

一年のうちに人の一生を見るのであれば
始まりと終わり
そのあいだは
振り子の針のように自ら振れ続け
いや、振られ続けて
それでも尚、この一年、色々あったなぁと
それでも過ごせてこれたならば
まぁそれもまた一年(一生)

かくありたいもので

さてしも
折からの大災厄は我々に何の教示を与えるのかを考えた年でもありました。

聖徳太子からの至言
「和をもって尊しとなす」民族性を保ってきた我々は
「和になるな」といわれたときでも
やはり「和」なのだと。

隣人が凶器になりうる社会においても、やはりマスク越しに隣人を愛す社会。そして、そうあって欲しくもあり、、、



おそらくそれは
日本列島に見舞われる数々の大災厄をそうやって乗り越えてきた
種としての<生存本能>であり、<叡智>
なのではないでしょうか。

災厄とは巡るものです。そして幸福も同じく巡るもの。

そうやって、振り子が振れ続けて一年、一生をかたどり、縁取るのでございます。



この歳末にこだまする
「良いお年を」
という挨拶は

相手の福を願い、願われる
なんとも言えない温かさに包まれるこの時期だけの言葉。
大切にしたいものです。

皆さん

良いお年を

//わたら瀬 店長





かわらないもの

本年のわたら瀬からの暑中見舞い
お出しできませんでした。
厄中において、時間だけが悪戯に揺蕩い
皆様にかける言葉が不覚ながらにも全く想起出来ず

言い訳でございます。

漸く宣言が解除され、日常を取り戻すという枠に日本は入ってまいりました。
本年中の経口薬の特例申請で許可が降りて、これが決定的な収束の決め手になるようです。

コロナ以前とコロナ後
こうなると元の生活には完全には戻らない。

そういった見解が識者のなかで叫ばれておりますが
はて、如何でしょうか。

秋になるとぐっと冷え込み、木枯らしが吹く度に
人はからだも心も温もりを求めます。
寒風が染み入れば街場の暖簾をくぐりたくなるのは万世共通の人間感情であり
やはりそれは酒場という文化の普遍的役割の
恒久的な価値を宿すところなのであります。

つまり、変わるものもあれば変わらないものもある。

''ゆく河の流れは絶えずして
しかも元の水にあらず"

変化を恐れず、不変を愛す。


少なくとも、巨人軍が永久に不滅なように
わたら瀬は永久に不滅であります。

古いか、、

私のことが嫌いになっても
わたら瀬のことは嫌いにならないでください

わたら瀬店長//

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