わたら瀬店長のブログ
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蝶の羽ばたき

幾度か訪れる

人生の二股の分岐点。

あの時もう一つの道を選択していれば

また別の物語があったのかもしれない、、

と思ったことはないでしょうか?

しかしそれは今まで一本に見えた道が

実はそうでは無い訳で、、

朝起きて淹れたコーヒーを飲むか飲まないか

きっとそれだけでその1日は違うものになる。

小さな蝶の羽ばたきで起きた振動が

遠くの国の気象に影響を及ぼすかもしれない

バタフライ効果と呼ばれる因果、

例えば大きな決断を迫られた時

それは何も大きなことではなくて

一分 一秒 一生

人間は鼓動を打つ度に

何かしらの選択を行なっていて

その連続がそこに辿り着かせた訳です。

今朝起きて食べるものも

選ぶ靴も

交わす言葉も

記憶に残らないような

"小さな日常"

が一生を象る。

さて

今日は誰と飲むか

どこで飲むか

わたら瀬で呑むか




//わたら瀬 店長








日々是暮らし

梅雨が明けました。

紫陽花の葉を揺らす雨粒
その情緒を感じる暇もさほどなく
盛夏を迎え
燦々と照りつける灼熱の陽で立ち上る熱気は
我々の頬に一線の汗を伝わせ
見上げる青々しい世界には
逞しい入道雲が聳え立つ

昔グラウンドで流した汗と空、その純度は変わってはいまいかなどと下らない事を考えるこの頃...


さて近年
"多様性"
というものが叫ばれる世の中になってきました。
そしてその許容の是非も含めて。

一方でコンプライアンス(法令遵守)は大変厳しくなり、
まるでそれから逃げるかのように、
更に個人の趣向は、大衆メディアやSNSの氾濫で
細分化が加速する社会。

何が正解かを問われても全て曖昧になったり
大衆迎合的になる...

しかし
きっと正解はどこにもなくて
それぞれによるチャンネルに適合したところがその人にとっての正解や正義になる。


それは人々が望んだ社会であるのか、もしくは時代の流れがそうさせたのか...

無常感しかり、いつの日も自分が望んだ世界は必ずしもそうであり続けないことが常なのであります。

ただ、人間の生活自体の基礎は実は縄文、弥生太古の時代から変わってはおりません。
起きたら仕事をして腹が減れば飯を食い、時が来れば寝る。
それ自体は文明とは別次元の
根本的営みな訳で、、
人間自体が大きく進化したかというと
昨今の世界事情をみても到底思えなくもあり...

良くも悪くも、そう思います。

日本列島においては、稲作が大陸から伝わった3000年前からヒトは酒を飲んできたようです。
これもまた暮らしの基礎。

"正解"めいたものがあるとすれば
それはすごくシンプルで
日々の暮らしを、基礎を
汗をかいて、空を見る事を

わたら瀬で酒を飲む事を

愉しむこと

なんだなぁ

わたら瀬店長//

舟を漕ぐ

ある荒れた海で
毎日毎日手漕ぎの舟で櫓を漕いでいる

荒れた海を全く意に介さず
舟の上を自由に飛び回る鳥がいて

それを見上げて羨ましく思ったりもする

散々逡巡したあげく
やっぱり自分はこれで良いと
また舟を漕ぎ出す

そうしていつのまにか荒れた海は
凪になる

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