昨日は父について書きました。

知りたい方はどうぞ↓『毒親の介護(父)一般論ってナイフで心をえぐるんだよ?』今日も悩ましい話です。区切りたくないので長文です。備忘録なので、スルーしてくださってかまいません。急な母の入院で、10日の間に福井に3回帰省しています。(一回…リンクameblo.jp


今日は、母について書きます。

備忘録ですが、いつか同じ悩みでぶつかっている人に、あなただけでは無いと思ってほしいので、伝える形式にしています。

不愉快な方はスルーしてください。


5月末に母が入院することになり、急きょ私の生活が変わりました。

親からの干渉や共依存から脱却して、距離を保ちながら数年暮らしていましたが、10日で3回も会うと引き戻されていくような感覚にもなり心が乱れていました。


母は、二人姉妹の妹として産まれました。ですが、父同様に姉とは父親が違いました。

祖父は、地元では大きな工場ももつ有名な食品会社の経営者でした。そして祖母と浮気して母が産まれます。祖母は結婚していましたのでダブル不倫になります。祖母の旦那は、子種がなく子供を作れない体でした。なのに、姉と母が存在するのです。

その人は、それを承知で母を大事に育ててくれたそうです。

祖母の姉夫婦には子供がおらず、隣の市でそれまた有名な商家でした。姉夫婦が母を養子に迎えたいということで、祖母は母が小学生になるまで、自分が母ではなく叔母だと言って育てたそうです。本当の母は姉で病気が治るまで育てていると偽って。そして、母が養女に出されるのです。

大金持ちなので、ピアノなどの習い事にも行かせてもらえて、お嬢と呼ばれて育ったそうですが、子供の頃から、下働きのような家の用事をさせられてたそうです。でも、それは全然耐えれたそうですが、本当の辛い経験は、養父による夜這いでした。

夜這いとは性交の目的にて異性の寝所へ忍びこむことです。

夜中になると養父がやってきて、寝ている母の体を触るそうです。寝たふりを続けてました、高校生の時、我慢の限界で、もといた実家に逃げ帰りました。

そこで、実母の家でまた暮らし始めます。

その後すぐ高校を出て大阪で就職しましたが、体を壊して実家に戻りました。ところが、姉がすでに結婚をしていて、その家には婿養子が入っていました。

今度はその義兄からの夜這いがまた始まりました。

その当時、母を慕う人がお嫁にもらいたいと親に言ってきたそうです。

母は義兄から逃れる為に、好きでもない人でしたが、大事にされるならと結婚したそうです。

兄を授かり暮らしていたそうですが、勤め先で父と出会いました。

当時の父は男前でしたし、元旦那とは違うタイプで魅力的だったんでしょう。

そして、昨日のブログの流れで結婚にいたります。


そんな母なので、精神がもともと弱い人でした。

アダルトチルドレンとやらかもしれません。

あと、軽度のADHDだとも思われます。

結婚後、父が浮気しているという妄想が激しくて、父の勤め先の寮で寮母のような職について父を監視するようになりました。

歴代の女子事務員は全て疑いの目で見てました。

父が誰か女性と話すといつも私に仲を割ってこいと指示します。保育園児にです。

父のパチンコ先にも何度も様子を見に行かされました。小学生の頃からです。その度に父に煙たがられて帰ってきました。そんな訳で、競輪場にもついていくように言われました。

高校の受験勉強中の吹雪の中でも、パチンコ屋に行ってみてこいと。そうしないと発狂し始めます。

スーツケースを出してきて家出をする姿をみせたり、大きな橋の上に行き、飛び降りて死ぬと私を脅すのです。まだ小さい私が死なないでと泣くのをみて、自分が必要とされているのを感じたかったんでしょう。でも、父が帰ってくるとなにもなかったようにふるまいます。

父も疎ましかったんでしょう。ギャンブルでお金を使い、暴力もふるう日々。

父も母の束縛からノイローゼでした。

父の短期出張先にも母は行きました。


私は何度も離婚してほしいと訴えました。

母子家庭の方が良かったんです。

私は父の愛を繋ぎ止めるための存在でした。

それは大人になってもで、父と喧嘩すると京都の私の部屋にきて、一緒に住むといいだして、父が迎えにくると、しっぽを振って帰ります。

仕事中に叔母から電話がきて、すぐに福井に帰るようにいわれ、仕事を早退して帰ると母が発狂しています。私が落ち着かせると、父にバレたくない母は

、父が帰る前に京都に戻れと言います。

母もギャンブル依存になり、父の退職金を使い切り、光熱費が払えないからお金を振り込んでほしいと言ってきたり、飲めないのにアルコール依存にもなり、タバコも吸って、まるで反抗期の子供のようです。私に頼りますが、父や兄には内緒にしてと言います。

母は私を子供の頃から、子供として扱わずにいました。それは、母にとって都合がいいからです。

友達のように、はたまた私が母親のように。

父との性的な悩みまで話してくるのです。

両親のそんな話聞かされるなんて吐き気がします。

小さい頃から、父母の生い立ちを聞かされて、大人の身勝手さを知りました。


そんな母のことがどうしても許せないことがあります。

それは小学6年の時、家は高1の兄の友人たちの溜まり場になっていました。私がうつ伏せで漫画を読んでいた時に、友人の一人が上にのってきました。股間を擦り付けられて、私は硬直しました。

怖くて怖くて。でも、周りはふざけてると思って誰も止めてくれません。兄もゲームに夢中です。私は怖すぎて、なぜか笑ってしまったんです。そこへ母が帰ってきてすぐにおりましたが帰った後に、笑っていたことから、いきなり頬をおもいっきり叩かれました。


実は、私は小学生の頃に、夜中寝ていて、兄にパジャマの上から股間を触られました。それから怖くて、クーラーもない真夏でも布団をぐるぐる巻きにして寝ました。

でもある日、2段ベッドの上にいると、起きている私の胸をもみにきたんです。嫌がっても笑いながら何回も揉まれました。まだ両親も起きている時間です。でも、母にも父にも言えなかったんです。

父が兄を殺してしまうような気がして。

そんなこともあり、その当時、母に叩かれても、何も言えなかったんです。

なんでも言える気の強い私ですが、それだけは言えなかったんです。


小さな家で兄とは相部屋。襖は殴る蹴るでボロボロ。コンパスも飛んでくる。

兄の友人たちも、毎日うじゃうじゃ。

タバコの煙も充満している。

その中で抜け出したい一心で勉強していました。


小学生の頃、暗い時間の帰り道、酔っ払いに追いかけられます。銭湯の女風呂に逃げ入るも、そのオヤジも入ってきました。番台のおばさんが注意して出て行きましたが、まだ外に待っています。

番台のおばさんが母に電話してくれて、私が迎えにきてと頼んだら、母は走って帰りなさいと。

すぐ近くなのに…。帰ると父はテレビを見てて、母は食器を洗い笑ってました。


中学生の時も、痴漢に会って泣いて帰りました。

でも、母も父もサラッとした反応。

兄だけ怒ってましたが、私からすれば、お前が怒る立場かよって思ってました。


高校生になり、兄とは父親が違うことを聞かされます。兄がかわいそうだと泣きましたが、半分の血なのかと安堵もしました。正真正銘の実兄にされたわけではないと思うと救われたからです。

短大の寮に入り、布団でくるまらず寝れる幸せを実感しました。相部屋でしたが天国に感じました。


その頃に帰省した際に、トラブルがあり、その流れから兄や母にそのことを打ち明けました。兄は土下座をして謝りました。

ですが、兄の土下座はその場限りのもので、私に対する懺悔は薄いように思います。

我が家の新築祝いで家族を呼び、料理をふるまい、外食や観光もして2泊目に大喧嘩。

父も加わり母が血を流しました。

そのような言動などで、仏のような夫も兄が好きではないと言います。


のちのち母が言った言葉が今も胸に刺さってます。

下半身を触られたのは一回だけやろ?と。

同じ経験で苦しんできた母に言われました。

一回だけでも、そこから熟睡できずにいたんです。

胸は何度も揉まれています。それも他人ではないんですよ。

そんな母に親孝行してきました。

でも、共依存だと気づきある程度の距離をおいて暮らしていました。

この4年、ほんとに安らぎがありました。


一昨日、病院に呼ばれて、精神科の先生と話しました。やはり、私が距離をおいて構わなかったからか、精神の方も病んでいたようです。

電話もすぐに出るようにして、落ち着いてきたように思います。母に会うと、何度も抱きしめて、大好きだよと伝えると今は安堵しています。


今回のことで、父は、体が丈夫だと思って結婚したのに、ハズレだったと母に言いました。

でもほんとは、父もショックを受けていて生きる気力を無くしています。食事も最低限しかとりません。しんどくても、そのまま死にたいようです。


母が亡くなる前にこの事実を残しておきたくて。

きっと母が亡くなった後は、良い事しか思い出せなくなるんではないかと思います。

よく、インナーチャイルドを癒やすといいます。

癒せば、神様と繋がれると。

でも、私は癒しきりたくないと思っています。痛みを覚えているからこそ、人の痛みが分かるからです。母のように忘れて無神経になりたくないからです。

この痛みを抱えている子供を助けたいからです。

子供は環境を選べません。そこで生きるしかないんです。

そういった大人たちの外面の良さは完璧です。

なので、身内ですら気づかないのです。

今回も親戚に、親の面倒をしっかりみるように言われました。なにも知らないのです。無理もありません。仏壇に手を合わし、祖母に母のことを頼んでいる後ろから、先祖供養の話をされました。


私のような子供をみつけて、神様がそばにいることを教えてあげたいです。

私がしてほしかったことをしてあげたい。

包んであげたい。


追伸: 昨日のブログでの先祖供養について

今の私は、自分の先祖に縛らず、日本全体の先祖を敬う気持ちで先祖供養をしようと思っています。

えらそうですが…。

その中に私の前世も含まれていると、誰かが書いていて腑に落ちたからです。

いずれ、書こうと思いましたが早めにこれだけは伝えておきます。

暗い話ですが、前を向いているからこそ書けました。