2014年の高知県と他県との県境を跨ぐ車道の全走破計画ツーリングも、徳島県との県境に舞台は移り、四国東部の険しい山岳地域の峠越えとなってきます。
1000年のかくれんぼと言う観光列車のキャッチコピーとなっている平家の落人が隠れ住んだと言われる四国の秘境を縦走するルートが待ち構えているステージです。
■走行日2014年7月~8月
stage11は吉野川沿いに国道を徳島県三好市井川町まで行き、そこから一気に南へ、祖谷を取り囲む山々の3つの大きな峠を越えて下ってくるというルートです。
いつもながら、今回も豪快なルートだけに、いつもより気合の入った出発となりました。
stage10のゴール地とした“旧吉野川橋”からのスタートとして、吉野川沿いに立ちます。
ブラット形式のピン結合トラス橋で明治時代に建造され100年経った橋で、今は徒歩だけが通行可能のようです。
かなり腐食しているように見えますが、管理者の大豊町はきちんと管理をしているようで、問題なく歩いて渡れるとのことです。
こちらのライトグリーンの鉄橋は、国道32号線に架かる現在の吉野川橋です。
ここで、吉野川は穴内川と合流します。
ここから国道32号線を大田口の集落まで行き、まずは“林道下名大田口線”へ入って行きます。
stage10では吉野川の東側のルートでしたが、今度は西側の山裾を通るルートです。
ところが、いきなり難関と直面した走行となりました。
大田口の集落からグングンと標高を上げ、タイトなコーナーが連続する細い山道を楽しみながら走って行き、幾つかの集落を過ぎて行くと変な予感がしてカーブを曲がると、土砂が崩れて道を埋め尽くしていました。
このツーリングを始めたこの年の夏は、とにかく雨が多くて、数日前にも県内に記録的な大雨が降ったのです。
その影響なのか、幾つかの場所で土砂崩れが起きていたのです。
心配していた事にここで直面しました。
この難関を仮に突破しても、この先数ヵ所の土砂崩れで通れるかどうかわからない状態でした。
何とかツーリングを続行できないか、この林道はstage10で走った谷間豊永林道と同じく、集落と集落を結ぶ舗装林道なので、林道の周辺には集落がいくつかあります。
そのため地図で調べると国道32号線からの迂回路があるのです。
幸いに県境へは迂回道で行く事ができましたので、この時は県境は越えることが出来ました。
でも、大田口から下名の終点まではどうしても走り通したくて、後日に再び訪れたのですが、数ヵ所で復旧工事が行われていて、この林道を走り通すことがすぐにできなくて、そのまま数年経ったのです。
その後もなかなかプランを実行する機会が取れなく、リベンジ走行が出来たのが何と、この時から9年後の昨年2023年の事でした。
まずはその時の様子から始めたいと思います。
下名大田口林道は高知県大豊町の大田口と言う集落から徳島県三好市の山城町の下名と言う集落を繋ぐ舗装林道です。
終点も起点も国道32号線からとなっていて、吉野川の左岸の山肌を縫うように通っています。
まずは大田口の集落から国宝薬師堂方面へと折れて行きます。
林道名が表示されている標柱があるのですが、文字は錆びて見えなくなっていました。
これはそれよりも前の時で、はっきりと林道名が見えています。
stage10で走った谷間豊永林道と同様に一気に標高を上がて行き、今度は吉野川の左岸から険しい山並みの景色を見ながら走る事になります。
JR土讃線の大田口駅がある吉野川右岸の集落を眼下に見るようになり、集落の下を削りとるように吉野川が流れています。
大豊地区のシンボルとされている標高1400mの梶ヶ森がぐっと近くに見えます。
この林道も、急峻な山肌に幾つかの集落や民家があって、木々に覆われている区間では、標高の高い区間を走行しているような感じがしません。
舗装林道と言うよりも生活道路と言う感じで、谷間豊永林道と同じような性格です。
“水曜どうでしょう”のステッカーを貼った廃車がありました。
深い谷と険しい急斜面の山肌の懐にへばりつくようにある集落を見ます。
しかし、地方がどんどんと過疎化となり、こんな風景がいつまで見られるか。
やはり、廃屋が目に入る区間もあります。
幾つかのアップダウンを繰り返し、木々に覆われた場所から眺望が開ける場所へと景色は変化して行き、道周辺には畑や民家が点在しています。
四国山脈が東西に割れた隙間に生活空間があり、そのはるか下を吉野川が流れています。
これより先は昨年にアップした内容を覗いてみてください。