2014年、県境ライン全走破計画 stage10(吉野川中流域)-2 | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

柴犬と小規模農家の奮戦記!

ロンリーライダーの農業と趣味の日常です

2014年の高知県と他県との県境を跨ぐ車道の全走破計画ツーリングも、愛媛県から徳島県へと舞台を移しました。

記念すべき徳島県境第1弾の境ではカントリーサインの無く、林道表示の標柱に書かれた管理主の県名で県境を確認する寂しいものでしたが、次の県境ではどうか楽しみとなってきます。

吉野川が流れる深い谷を形成する山肌を縫うように続くルートで県境を目指して行きます。

 

■走行日2014年7~8月

 

豊永の集落からは、いよいよ“谷間豊永林道”が始まります。
林道といっても、生活道を兼ねた集落と集落を繋ぐ道なので全線舗装となっています。
この道はこれよりも5年ほど前に走ったばかりですが、祖谷に聳える山々の外側を走るので、四国山脈の割れ目の景色が広がる所があり、変化もあって意外と退屈しません。

 

 

豊永の集落から国道439号線を少し上がった所に林道表示があります。

これが未舗装だったらな~と思いながらアクセルを開きます。

 

 

一気に駆け上がりますので、あっという間に吉野川と国道32号線は、はるか下に見るようになります。

こんな高い山肌にも幾つかの集落が点在するのです。

 

 

県境の京柱峠方面から吉野川へ流れ込む支流が何本も流れていて、それらに架かる橋を幾つか渡りながら急斜面の山肌を縫うように進んで行きます。

 

 

まず、“八川(やかがわ)”という地区では“八川川(やかがわがわ)”を渡る“八川橋”を渡ります。

高知県には地名に川が付く場所が多く、そこを流れる川は〇〇川となり、県内各地にたくさんあります。

 

 

続いて、赤根川を渡る“霧石橋”という橋を渡ります。
赤根川は吉野川支流としては高知県最下流の川となっていて、中流の霧石渓谷は断崖に囲まれた険しい峡谷があり、上流は綺麗な紅葉の見られる渓谷になっているそうです。

 

 

道の壁面には集落への表示がコケを押しつぶした形で書かれていました。

 

 

八川から筏木(いかだぎ)という地区を過ぎると、大きな“東谷川”という川を渡る“岩原(いわはら)大橋”を渡ります。

この橋を渡ると高知県最奥の本村という集落へ入って行きます。

 

 

この赤い鉄橋の竣工は“昭和62年11月”とありましたが、ほとんど昭和の終わりごろに竣工されたようです。

それまでは橋は無かったのでしょうか、集落へ繋がる細い道が下の“土佐岩原”という集落から延びていますので、その道を通って行き来していたかも知れません。

 

 

本村の集落から先ほどの岩原大橋方面を見ますが、この集落も急斜面にへばりつくように民家があります。

よくもまあ、こんな山の急斜面に、と驚きと感心を同時に憶えてしまう光景です。
険しくそびえる山々の谷間も目がくらむほど深いです。

そのような山深いこの地にも人々の生活の舞台があります。

 

 

山裾に沿うように本村の集落をくるりと抜けると景色が広がる所があり、これから向かう対面の山肌にある集落が見られます。

対面の集落は徳島県の“有瀬”という集落です。

 

 

そろそろ県境に近くまで来ようかと思った時、『にほん農国「いわはら村」へ』という看板が突如現れました。

何の作物が出来るのか、ちょっと興味がありましたが、そこは何も書かれてなくて分りませんでした。

広くて水の便が良ければ、夏の暑い時期でもトマト栽培が出来るかも知れません。

この辺りはトマトの故郷のアンデスに何となく似ているな、と思ったことでした。

 

 

まさに天空の秘境というに相応しい光景が続きます。

 

 

やがて、木々に覆われた区間に来ると、カーブミラーの支柱には「岩原長男会」という高知県側の表示が設置されていました。
そこから少し進みます。

岩原と言う名は高知県最奥のエリアにある地名なのです。

 

 

木々に囲まれた区間に入り、少し進むと・・・。

 

 

約150mほど進んだ所にあるカーブミラーの支柱には「西祖谷山村」と貼られていました。
徳島県に入ったようです。

県境の表示やカントリーサイン等はありませんでしたが、どうやら木々に覆われた150mほどの区間が県境のようです。

う~ん、ここの県境にもはっきりとした表示は無く、いつの間にか徳島県に入っている状態となります。

何らかの表示があれば県境を越えた感覚が増すのですが・・・。

 

 

今度は道路の壁面に不思議な矢印が描かれていました。

何かと思って様子を伺いましたが、何も分りませんでした。

 

今回のルート