伊予西条まで鉄道旅 7 | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

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土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の夜須駅から予土線を経由して伊予西条駅まで、四国左半分を周遊する鉄道旅は予土線の十川駅を出発して行きます。

 

 

四万十川の蛇行はずっと続いていて、真っすぐに伸ばせると3倍ほどの長さになるのではないかと思うほどです。

国道はその蛇行にほぼ沿うように続いていますので、大きく遠回りしているのですが、鉄道はトンネルと鉄橋で真っすぐに貫いています。

 

 

予土線のうち若井からこの先の江川崎までは昭和49年の開通した比較的新しい区間なので、線路の敷き方は新幹線や近年の路線を思わせるようです。

そのため、所要時間の点では車などよりも鉄道の方がはるかに優位なのですが・・・・。

 

 

四万十川の川床は岩礁が多く、澄んだ水がそれらを洗い流すようにゆったりと流れています。

車窓から見ると、そんな風に見えます。

周辺では低い段丘の上に耕地があり、黒ずんだ板壁の農家が点在しています。

 

 

11時58分に予土線の中では一番有名かも知れない半家(はげ)駅に到着します。

 

 

半家駅を出発すると半家沈下橋を見ながら次の江川崎に向かいます。

四万十川と国道381号に沿っていて、国道381号線のおにぎりも見えます。

 

 

江川崎の中心地に入り、四万十川の支流の広見川を渡る吉野川橋梁に差し掛かります。

ここでも広見川に架かる橋梁なのに吉野川橋梁?という疑問が出てきますが、広見川は愛媛県と高知県との境にある高研山の懐を源流として、愛媛県のエリアをぐるりと回って、ここで四万十川と合流します。

その途中の三間川と合流した辺りに吉野と言う地名があることから吉野川とも呼ばれているのです。

地図上では広見川と表記されているのが多いですが、昔の書物や地図では吉野川と表記されているのもあります。

 

 

別の日に撮影した、吉野川橋梁を通過するホビートレインです。

 

 

同じく、別の日に撮影したキハ32形で、広見川(吉野川)を渡る様子です。

この吉野川橋梁のすぐ東で、これまで車窓から見ていた四万十川と西北から流れてきた広見川が合流し、四万十川は南に流れています。

予土線はここで四万十川の景色とは別れるようになります。

 

 

12時6分に江川崎駅に到着します。

昭和28年に開業した駅で、当時は宇和島からこの駅までが宇和島線として運行されていました。

他県から高知県内の端の地まで繋がっていた鉄道は、東の阿佐海南鉄道が県東端の甲浦駅までとなっているのに似ています。

 

 

以前に見た、江川崎駅に停車していたホビートレインです。

海洋堂が当地に来られたことを記念してラッピングされたキハ32形です。

 

 

江川崎駅は旧西土佐村の中心的な場所にあり、早くから鉄道が宇和島方面に繋がっていた事や道路が整備されていた事で、初めて訪れた時には愛媛県側の空気が感じられたのが印象的です。

そんな名残か、乗客の動向が窪川圏と宇和島圏に分かれていたのです。

時間調整のため5分停車した後、12時11分に出発して行きます。

 

 

高知県最西端の駅となる西ヶ方駅に12時16分に停車します。

 

 

開業は江川崎駅と同じく昭和28年で、手前にある建物は駅舎ではなくトイレです。

 

 

西ヶ方駅を出発すると線路は広見川の谷間を進んで行き、県境に架かる葛川沈下橋が見られます。

 

 

愛媛県に入り、愛媛県最南端にあると言われる真土駅に到着します。

ホームの長さは25mしかなく、JR四国管内では1番短いホームとなっているので、何となく路面電車の停留所のような雰囲気も感じられます。

 

 

別の日に見たホビートレインが停車している様子です。

キロポストがありますが、元の車両であるキハ54形がぎりぎりとなっています。

 

 

真土の次は吉野生(よしのぶ)に12時28分に到着します。

開業は大正12年12月12日というぞろ目日で、当時は吉野駅と言う駅名でした。

この辺りにある吉野と言う地区と蕨生(わらびお)と言う地名を合わせた駅名に昭和8年に変更されました。

ここを流れる広見川の別名である吉野川はここの吉野からきているようです。

 

 

相対式ホームの2面2線の形となっているので、窪川から乗って来ると、久しぶりに大きな駅にやって来た感じがします。

江川崎駅もまあまあ広いですが、この駅が大きく感じるのは跨線橋があるからでしょうか。

トラスののようなデザインが特徴です。