2014年、県境ライン全走破計画 stage7-last(瓶ヶ森ルート) | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

柴犬と小規模農家の奮戦記!

ロンリーライダーの農業と趣味の日常です

早いもので10年前となってしまった高知県と他県を跨ぐ県境ルートの変化を見てみたいとスタートしたツーリングは、四国の最高峰をエリアを走破して行きました。

残念ながら全線舗装されてしまった瓶ヶ森林道から、四国の尾根の眺望を眺めなら県境ルートを東に進んで行きました。

 

■走行日2014年7月~8月

 

県境ラインを走る絶景ルートの瓶ヶ森林道を十分に堪能して、寒風山登山口に着したところで林道は終わります。

 

 

瓶ヶ森林道の出入り口には寒風山への登山口があるため、駐車場や茶屋があります。

そして、そこには旧国道194号線で抜ける寒風山隧道が目の前にあります。

 

 

寒風山は標高1763mの愛媛県と高知県の境にそびえる山で、その直下に寒風山隧道があります。
トンネル入り口付近には、以前は白い県名表示がありましたが、今は無くなっていました。

 

 

かつてあった白の県境表示板です。

トンネル側から見たところです。

 

 

トンネルに入り、愛媛県側に走って行きます。

今や観光化した瓶ヶ森ルートへの連絡道は、どちらかと言うと高知県側からの方が若干距離が短い事や険しさが緩い事でよく利用されます。

殆どは知る機会の無かった愛媛県側を懐かしく下って行きます。

 

 

逆光で見にくいですが、トンネル出口には愛媛県の県名表示があります。

ちなみに高知県側にはありませんでした。

 

 

これは以前に訪れた時の、ほぼ同じ場所からのアングルです。

まだ草木が伸びておらず、若干景色が良い他はほぼ変わらないようです。

 

 

トンネル出口側から見ると高知までの距離表示が設置されていました。

今は新寒風山トンネルが下を通っていますが、この県境ルートはかつては瀬戸内と高知県を繋ぐ険しい街道の一つでした。
標高1120mにある寒風山隧道は昭和39年竣工で延長は944.7m。

この位置にあってはかなり長い距離です。

 

 

高知県も日本一の山林面積を有する県ですが、愛媛県もかなりの山林県というのが実感できます。

県面積の7割が山地で、松山など瀬戸内に面した平野のイメージで旅をすると、その落差に驚くことになりそうです。

旧道となったため、おにぎりなどは撤去されているようで見ることはありませんでしたが、道路表示板にはしっかりと国道表示が残っています。

 

 

急坂をクネクネと下って行きます。
おにぎり設置のポールと地名表示は残っていましたが、やはりおにぎりは残されていませんでした。

 

 

こうして下り坂を下って行くと、目の前には先ほどまで通ってきた伊予富士、黒森山と続く四国山脈と北側に連なる中央構造線の赤石山脈の山々が目の前にくっきりと立ち塞がってきます。

 

 

鋭く曲がったヘアピンカーブをクリアすると、下って来た道がすぐ上にあり、それに沿うように下って行きます。

 

 

旧国道区間を約12キロほど下ると、現国道194号線に出ます。

そこからは現寒風山トンネルを抜けて高知県側に戻って行きます。

 

 

トンネル内の県境で撮影しましたが、残念ながらちょっとピンボケになってしまいました。
寒風山トンネルは1999年4月13日に開通した延長5,432mのトンネルで、一般道のトンネルでは日本最長となっています。

寒風山トンネルを抜けて高知県側に戻ります。

かつては、先ほどの旧道をあえぎながら越えていった県境の寒風山峠も、あっという間に抜けて行きます。

 

 

新寒風山トンネルを抜けると、新国道194号線上に“高知県いの町“というカントリーサインが出迎えてくれます。

旧名で言うと“本川村”でした。

 

 

トンネルから5キロほど下って194号線から県道17号線へと入って行くと、吉野川支流の桑瀬川が葛原川となっていきます。

 

 

実はこの県道17号線の“登川橋”という橋が架かるルートを含める3キロの区間は、本川トンネルが抜けるまでは、ここが国道部分でした。

少し前までは白い道路標示も残っていましたが、今は無くなっていました。

どんどんと古い物が無くなっていきます。

 

 

かつてあった白い表示板です。

XRの後ろのポールの上に設置されていました。

 

 

表示板にある長沢方面への道が国道194号線旧道区間になります。

 

 

やがて、吉野川本流にある“大橋ダム”にやって来ます。

ダムの前では葛原川と吉野川が合流します。

 

 

県道16号線を吉野川に沿って走って行きます。
交通安全の表示アーチゲートがあり、旧本川村と大川村との境となっています。

このアーチは今は撤去されてありませんが、大森トンネルを抜けた旧吾北村との境にも、このアーチはあります。

 

 

吉野川は流路延長194キロで流域面積は3750㎢と、四国一の大河です。
そんな天下の吉野川も、ダムが出来てからは昔日の面影は無くなったと言われています。

15mはある淵にいるコイの群れが水面からはっきり見えるほど澄んだ水を持つ川だったそうです。
今や四万十川が「日本一の清流」として有名ですが、ダム群が出来る前の吉野川は四万十川など足元には及ばなかったと言います。

 

 

途中、“奥吉野渓谷”を見ます。

大橋ダムから早明浦ダムの貯水池までは吉野川の渓谷美を見る事が出来ます。

何といってもこの辺りは石鎚山系の四国きっての山岳地帯。

あるのは深い谷と、そして川。
この渓谷は川の流れによって侵食された「甌穴」がたくさん見られるという渓谷です。

 

 

そんな吉野川上流部もやがて早明浦ダム貯水池となって、大川村の中心地へとやってきます。
丸ポストのある大川郵便局前で、stage7の行程のゴールとしました。
今回の全行程は215キロでした。

 

今回の行程

 

stage7の全行程