過去の話 7 | にゃんころ餅日記

にゃんころ餅日記

「西の魔女」と呼ばれる、うどん県の霊能者兼ヒーラーです。
日々感じたこと、真面目な話、怖い話、オラクルカード、
猫たちやうさぎの話などを書いてます

私は、3度妊娠したが、3度とも切迫早産で入院した。それでも、長男と長女は予定日より17.8日早く生まれただけだった。

だけど、双子の時は6ヶ月の時に入院して、8ヶ月の時に帝王切開で出産することになった。

その間、上の2人は姑が世話してくれた。というか、娘の時も長男の世話を姑がしてくれた。母は何もしなかった。聞いてもくれなかった。

入院中、母は時々家に居づらくなったときだけ私の所に来ていた。6人部屋で私はいたのだか、母の異常さは話題になっていたらしい。そして、私は同情されていた。

私は、絶対安静ということでベッドに寝たきりに近い状態だった。なので、何か欲しいものがあると母や旦那に買ってきてもらった。母は、必ず手数料を私から取った。金の亡者だった。

妊娠8ヶ月目になって状態が安定してきたので一時退院しようという話が出た、翌々日、微弱陣痛が始まった。そんな時に母が現われたので、近く生まれるかも知れないといったら、「こんなに早く生まれたら助からないかもしれんな」と言った。

その時、双子の1人の足が触れる状態だった、逆子だったのだ。とりあえず、点滴で一度は落ち着かせたが翌日の深夜、陣痛が再び始まった。
担当医が病室に来て、朝になったら帝王切開で子供を取り出します。病院のスタッフ、小児病院のスタッフで全力を尽くしますと言ってくれた。
私は、8ヶ月の早産の上、子供が未発達、体重は1500gもない状態だったので、手術室には大勢のスタッフがいた。
産婦人科の医師2人、小児科の医師2人、助産師2人、看護師6人、そして、小児病院からも小児科の医師2人に看護士数名。
よく、テレビでドキュメントで放送されているような感じ。

無事、子供たちは生まれ、そして処置を施された後、保育器に入れられ救急車で車で30分ほど離れた小児病院に搬送された。
看護師が生まれたての子供の写真を後で私にくれた。とても小さな赤ちゃんだった。
次男1348g三男1288gだった。

手術を無事終えた私は、個室に運ばれた。旦那と姑と子供たちと母と妹と妹の子供たちが待っていてくれた。

妹は、子供がいると迷惑になるからとすぐに帰った。旦那は、小児病院に手続き等があるので行かなければならなかった。姑は、上の子を連れて帰らなければならなかった。
なので、旦那と姑は母に術後の私を1人にできないので、私に付き添ってあげてくれとすがるようにして頼んだ。
旦那も姑も私のことを本当に案じてくれていた。母は「いや、私は用事があるから」と逃げるようにして帰っていった。
旦那と姑は困った。そこへ看護師が訪れ、小児病院から催促の電話がかかっていると言った。
私は、2人に「大丈夫だから、何かあったら看護師さんを呼ぶから」と言った。その場にいた看護師は状況を理解してくれて、「私たちがいますから」と言ってくれた。

旦那は姑と子供たちを連れて、家に立ち寄り、小児病院に向かった。
そして、病室に独りになった。けど、こまめに担当医や看護師が様子を見に来てくれたので安心だった。
けど、麻酔が切れ掛かったときは呼吸困難になって死ぬかと思うくらい苦しかった。
手術の痛みは痛み止めのおかげであまり感じなかった。麻酔も切れ、呼吸困難もおさまりうとうとしかけた時、旦那が戻ってきた。

子供たちの様子を見てきたらしく顔が青ざめていた。旦那は、車を走らせている間、子供たちと私の心配をしていた。本当は、子供たちの側にもっといたかったに違いない。
だけど、私が1人病室に取り残されているという思いもあった。母がいてくれたら・・・。

翌日、旦那が家に帰っているときに母が病室に顔を出した。そして、悪びれた様子もなく「私がいなかったら困ると思って」と言って付き添いを始めた。
だけど、本当にいて欲しかったのは昨日だった。私は言えなかった。母の考えてることが分からなかった。