過去の話 6 | にゃんころ餅日記

にゃんころ餅日記

「西の魔女」と呼ばれる、うどん県の霊能者兼ヒーラーです。
日々感じたこと、真面目な話、怖い話、オラクルカード、
猫たちやうさぎの話などを書いてます

母は、私について「私の物」と表現していた。それは、「娘」ではなく「物」だった。そう、自分にとって都合のいい品物だったのだ。

私は、旦那と結婚式を挙げ新婚旅行に旅立った。それは、旅行から帰ってきた翌日の夜に起きた。
夜、10時を過ぎて電話が鳴った。母からだった。内容は、妹が暴れて手に負えない、私を呼べと叫んでいる、だから来いと言うものだった。
私は、旦那の両親と同居を始めたばかりだった。舅が電話を受けて、異常を察知して「もう、うちの娘になったからダメだ」と言った。が、母は引き下がらない。私は行くことにした。
旦那は、心配してついてきた。実家に着いて玄関に近づくと妹の罵声が聞こえた。
旦那は驚いて目を丸くしていた。そりゃそうだろうなとは思う。普通の家庭では見られない光景だもの。
玄関のドアを開けると、祖母が避難していた。母は私を見つけると「妹が2階で暴れているから行ってきて」と言った。
旦那が怒った。「何言よん」旦那は「こんなん、一発殴られたら大人しくなるんや」と言った。ちなみに、旦那は女性に手を挙げたりしません。
旦那は私を守りたい一心だったのだ。母は、「絶対にそんなことはせんといて、あの子が可哀想やから殴らんといて」と言った。
旦那は「じゃあ、この子は可哀想じゃないのか」と私をかばった。母は何も言わなかった。言えなかったのだ。
でも、そうこうしていても解決にはならないので私は妹の元に1人で行った。旦那は、母と祖母に通せんぼされていた。
妹の暴れていた理由は、自分が捜しているものが見つからなかった、ただそれだけ。私が見つけると大人しくなり、「さっさと帰れ」と言った。

この後も、何度か夜に母から電話があったけど、新しい家族が守ってくれたので、行かなくて済んだ。


それでも、やはり母親ということで実家との交流は続いていた。結婚して3ヶ月目に私の妊娠が分かった。
実家に旦那と妊娠の報告に行った。母は、「おめでとう」とも言わずに、「私は、男の孫だったらいらんから」と言った。
旦那の肩が怒りで震えていた。悲しかった。
そして、長男誕生。普通、出産後の最初の夜は母親が付き添ったりするものだ。だけど、私たちは旦那に付き添ってもらおうと約束していた。
案の定、分娩室にて安静にしている私に対して母は、仕事があるからとすぐさま帰ろうとした。
その時、一緒にいた妹が「初孫なんだから付き添えよ」と言った。その一言で母は付き添うことになった。

夜、母は私に言った。「私に付き添ってもらって助かるやろ。やっぱり母親がついてやってないとな」と。「トイレに行くのにも大変やろ。こんなん男の人に頼めんからな」とも。
誰だ、仕事があるからって付き添いもせずに帰ろうとした奴はとにかく、母は自分の都合のいいように物事を解釈する人だった。

母に、初めて長男を抱いてもらった時、怖かった。なぜなら、母の長男を抱いた姿勢が抱きしめるではなくて、賞状を受け取る姿勢だったのだ。受け取る時なら話は分かる。だが、何分か抱いていたのだが、ずっと賞状を受け取るような姿勢だったのだ。
生まれてすぐの我が子を床の上に落とされはしないか、生きた心地はしなかった。
その時も、旦那の目の前でだった。未だに、その時の話になると二人で怖かったと言い合っている。旦那は、万一のことを考えて身構えていたそうだ。

その後、長女が生まれ、双子の次男と三男が生まれた。