過去の話 8 | にゃんころ餅日記

にゃんころ餅日記

「西の魔女」と呼ばれる、うどん県の霊能者兼ヒーラーです。
日々感じたこと、真面目な話、怖い話、オラクルカード、
猫たちやうさぎの話などを書いてます

双子を出産後、まず私が退院した。そして、その足で双子達に会いに行った。2ヶ月近く寝たきりだったので足に力が入らなかった。
双子達は保育器に入れられ点滴を5本挿されていた。小さな体に5本の点滴・・・。涙で見えなくなった。
双子達は何度も呼吸停止や敗血症、初期の腸捻転の手術などを乗り越え、成長し、退院した。

上の2人は年子、下の2人は双子という4人の子供の育児は想像していた以上に大変だった。
そんなある日私は、母にぼやいた。「双子の世話って大変やわ」と。私が言ったのは誰でも口に出すようなことだと思う。
だけど、母から帰ってきた言葉は違った。「犬の子みたいにぽこぽこ産むからや」と。
自分の孫のことを「犬の子」扱いである。

そうかと思えば、「妹の子はほんまに可愛いと思うけど、あんたの子はどの子にしても生まれた時から可愛いと思ったことはない」とこれまた、笑いながら私に言った。

私は、自分に対する悪意は我慢できるが我が子に対する侮辱だけは許せなかった。母のことを心底憎いと思った。

双子が生まれて数ヵ月後、私と妹はあることで喧嘩した。私と旦那は妹親子と母のいる家に乗り込んでいった。
玄関先で私と妹の言い争いになった。妹が私の服を掴みにきた瞬間、私は妹の胸を思い切り蹴り飛ばしていた。
それを見た母は私に言った。「あんたとは、もう親でも子でもない。親子の縁を切ってやる」と。
私は「こっちこそ望むところだ」と言い、踵を返して帰った。
帰りの車中で、旦那が言った。「あんたが、妹を蹴った瞬間すっとしたわ。それにしてもあの足の動き、早かったなぁ」と感心していた。
私にしてみれば、今までの仕打ちに対する逆襲の一蹴りだった。
そして、私と母は近くに住んでいながら顔を合わせることはなくなった。


追記。母の仕打ち
長男を妊娠中、私はインフルエンザに2度もかかった。その最中に妹の結婚式があった。式といってもスナックで僅かな人たちで祝うだけのものだった。
私は、その日40度近い熱を出して寝込んでいた。そして、母に熱があるから出席できないと電話で伝えた。一度は了承してくれたのだけど、電話がかかって「何で妹の結婚式にでてこれない?」と怒られた。
再度、説明したのだけど聞き入れてもらえず、やむなく「今、無理したら私もお腹の子も死んでしまう」と言った。
そしたら「死んでもいいから出席しろ」と言われた。その日は日曜だったので、旦那も姑もいた。そして、近くで聞いていた。
姑が電話を代わってくれて母を説得してくれた。結果、旦那と旦那の弟が出席することで納得してくれた。
けど、後々この日のことでまた、「姉なんだから、死に掛けても出席するもんだ」と言われた。

それと、これまた長男の妊娠中に父方の祖母が亡くなった。私は、妊婦でありまたまたインフルエンザということで旦那だけが参列してもらった。
祖母が亡くなった後で、孫の代までに遺産を僅かずつだけど分けてくれた。私の分は母が預かったらしい。
長男が生まれ、長女が生まれてから、伯母が私に聞いた。「おばあちゃんの遺産受け取ったか」と。
私は、「そんなの初めて聞いた」と言うと「あんたのお母さんに渡したんやで」と言われた。
母にその事を聞くと、「ああ、あれ使ったからないわ」と言われた。その額100万円。
私が子供を妊娠していて、お金を必要としている時に自分の為に使ったのだ。しかも、私にと残してくれたお金をだ。
「別に、あんたにあげる必要はないと思ったから」とのたまった母。金の亡者は恐ろしい。

今、現在絶縁状態は続いています。次に母の顔をまともに見る日が来るのか私には分からない状態です。だけど、母から離れた今、母を憎む気持ちはなく仕方のない人だなというあきらめの気持ちでいます。そして、母を許せる気持ちにもなりました。


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以上までが過去の話です。これを書いた年の3月に母が大怪我をして入院。その時に妹と母と再会しました。

その時にはわだかまりを持たずに会うことができました。

母が入院中は何度か顔を見せていました。

退院後、母に「お前と会うのは妹が嫌がるから家には来ないでほしい」と言われ、数年間、今も会っていません。

母に対しては、正直な話、感謝しています。読み返して辛くなかったと言えば嘘になりますが、それでも育ててくれたことに感謝しています。

そして、これらの過去があったからこそ今の私があることに。

今、何らかで辛い思いをされている方もいると思います。ですが、腐らずにいることで幸せはつかめるものと私は思っています。

本音を言えば、ここに書かれていることの一部は忘れていました。怒りの感情を引きずることは無駄なことばかりだからです。

私より、苦労をされている方もいると思います。ですが、必ず光は見えると信じてください。最初は小さくてわかりにくいかもしれないけど、見つけることができれば掴めると思います。