村上春樹の「女のいない男たち」という短編集の少し紹介 | 柴犬カン、福の日記

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 村上春樹の「女のいない男たち」という短編集を少し紹介をしたい。もちろん感想も。

 この短編集を見て読んで思うのは、基本的にもはや高齢となった村上春樹が、若い頃の出来事を回想するというスタンスの作品が多いということだ。つまり若い頃の出来事を何十年も経った後から振り返るという形。
イ 「エスタデイ」という作品は村上春樹自身も母校である早稲田大学が登場する。僕と呼ばれている主人公は早稲田の学生。おそらく村上春樹自身の体験が着想させた作品だろう。早稲田のそばでアルバイトをしていてそこで出会った男との数奇な運命を描いている。浪人をしているこの男には彼女がおり、幼馴染であり、またこの男にとって不釣り合いなほどの女性と交際している。そこで主人公のぼくと呼ばれる男は、この浪人男のサジェスチョンで自分の彼女と「僕」とデートするという設定になっている。その後主人公ともう一人の男は疎遠になりそして数十年後に・・・・といった展開になっている
 「独立器官」という作品は、僕という人物が、渡会と言う医師との交流とその後を描く。渡会は独身で、経済的にも満たされており複数の女性との交際も続けている。そのスケジュール管理は秘書である男が行なっていた。ところが渡会は、数いる交際している女性の中で、中年になり初めて本気で好きになってしまった女性が出てしまった。そしてその恋は結局実ることがなく、また渡会はその後惨めな末路を迎えていく。
 

 恋愛というのは本当に不思議なもので、恋は盲目であり病気のようなものである。精神に取り付いて離れることがない。特に若い頃は恋の病にかかると妄想が肥大し、心が激しく痛む。私も経験があるが、いまだに忘れることができなく、その初恋の相手とは結局会話すらしたことがなかったが、今どうしてるのかということを気にしてしまう。
 恋の病というのが、どういう心のメカニズムで発生してるかは謎である。もちろん見めかたちもあるだろう。それだけでなく言葉やまたその出会った時の年齢においての、成長の一時期、非常に魅力的に見える時期が人間はどうやらあるようで、その時期の彼女に出会ったことが、より病状が重くなってしまう。
 ユングは彼の説の一つである「元型」の中に、アニマとアニムスという元型を持ち出し、心の中に自分が理想とするアニマ・・・自分の持つ理想の女性(男の場合)・・・があり、それに近いものを持っている女性に急激に惹きつけられるという説を唱えている。女性の場合はその逆で、女性の中にあるアニムスに近い男性に惹かれるという。私が知り得る限り、恋の病に関わる説明として唯一それを証明しようとしているのがユングの心理学である。まあ寡聞にしてこれ以外の説は聞かないのだが、他にも別の説を唱えている人もいるかもしれない。
 恋の病は、例えば受験の失敗や失恋などと同じで、その人物が人生を破壊したり他者を傷つけたり、統合失調症のきっかけになったり、廃人同様になったり そして場合によっては死に至る事もある。特に年をとってからの恋の病は本当に人生を破壊してしまうこともある。

 ちなみに、村上春樹も若いころ恋の病にかかり苦労したのではないかと推測する。
 誰か科学者がこの心理的メカニズムについて説明してくれることを望む。