ジョーカー、心理療法、ドライブマイカー | 柴犬カン、福の日記

柴犬カン、福の日記

柴犬カンと福、筆者の出来事、想い、政治、経済、文学、旅行、メンタルヘルス、映画、歴史、スポーツ、等について写真を載せながら日記を綴っていきます。柴犬カンは2018年12月に永眠しました。柴犬福が2020年4月7日夕方にわが家にやってきました。その成長記録。

 「ドライブマイカー」を映画で見て、小説も読んで、どうも心が揺さぶられ不安定になってしまう。下手くそな臨床心理士や 精神科医みたいに、患者やクライアントの心の中まで手を突っ込んでぐちゃぐちゃにして、かえって患者の精神を混乱させ、症状が悪化するということもよくある。臨床心理士や精神科医はあくまで患者の内面のそっとしといたほうが良いものを掘り返すことは必要ではない。クライアントの外側に出た見える部分から類推して治療する。これが優れた精神科医だと思う。
 ただ小説においては逆に、心の奥底に強い刺激を与えるものの方が感動を呼ぶ。
 今回は、小説よりむしろ映画の方が私の内面を強く揺さぶって不安定にさせた。

 人の行動すら変えてしまったりきっかけを与えてる映画はいい映画なのだろうが、例えばディズニーの映画「ジョーカー」、これを見て凶悪な犯罪に手を染めることになってしまった人もいる。私はこれをジョーカー現象と呼んでいるが、ただこの手のやけになった人物が起こす事件は、「ジョーカー」以前からあったわけだから、「ジョーカー」だけのせいとは言えない。ただインスパイアされている人がいるであろう。

 いずれにせよ精神科医だろうが臨床心理士だろうが、またその他のカウンセラーにしても、何にしてもあまり患者の心の奥を抉り出す必要はない。その方がリスクがある。死ぬまでそっとしておくほうが良いし、経済状況が改善すると症状が収まることもある。

 また私にも経験あるのだが、心の不調の時に、様々な心理学や精神分析の本などを読まないほうがいい。もちろんネットも。確かに自分と同じような症状を持つ人を探してしまうが、深入りは禁物だ。精神科医は表面に見えるもの、または日常的な会話の中から患者の症状の程度を測るべきだ。精神科医の腕の見せ所は基本的には投薬である 欧米でもフロイトから始まる精神分析はあまり大きく発展していないようで、そもそも精神分析は何回も患者と面談する割に治療効果が少ない。

 カタリバというNPOかなんかがあるが、これはあまりにも学生、生徒の心の中のものを吐き出させすぎる集団で、やめさせたほうがいい。 また若い人で内面に不安定なものを抱えている人が大学の心理学科などを受験するケースがままある。これもやめたほうがいい。心理的な治療をする人は、自分自身が不安定であるのは良くない。基本的にはメンタルが強い人、安定している人、しかし弱さも見抜ける人。こういう人がやるべきだろう。