追記・・・「ドライブ・マイ・カー」の「ワーニャ伯父さん」 | 柴犬カン、福の日記

柴犬カン、福の日記

柴犬カンと福、筆者の出来事、想い、政治、経済、文学、旅行、メンタルヘルス、映画、歴史、スポーツ、等について写真を載せながら日記を綴っていきます。柴犬カンは2018年12月に永眠しました。柴犬福が2020年4月7日夕方にわが家にやってきました。その成長記録。

 村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」は短編集「女のいない男たち」の最初に綴られている。2013年に文芸誌にものされている。最近の彼の長編はあまり面白くないのだが、短編は光っている。また村上春樹がもう72歳くらいになっていることに驚いた。その分自分も年老いているので当然なのだが・・・。

 短編では「ヴァーニャ叔父」と記載されている。短編でもキーとなっているが、映画では「ワーニャ伯父さん」が3時間すべてを貫いた基調となっている。

 そこで本棚にあった「ワーニャ伯父さん」をたぶん20年以上ぶりに取り出してみた。埃をかぶっていたのと、20代後半の自分が付箋を貼ってあった。そこだけ取り出して読んでみると、映画で取り上げられた部分と重なりところが一つだけあった。それは「ワーニャ伯父さん」のラストでソーニャとワーニャ伯父さんが会話する部分だ。そして私の今の人生と、10数年前に病んだうつ病とその後遺症について頭によぎった。20代から、いやもっと幼い、物心ついたころから、私は厭世的だった。そして何のために生きるのかが良くわかっていなかった。だから探していた。付箋の部分を、映画の部分を重なり合ったところを、「青空文庫」を拝借して抜き出してみる。太字は私が加工した。

 

ワーニャ 

 (ソーニャの髪の毛をでながら)ソーニャ、わたしはつらい。わたしのこのつらさがわかってくれたらなあ!

 

ソーニャ

 

 でも、仕方がないわ、生きていかなければ! (間)ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてその時が来たら、素直に死んで行きましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送って来たか、それを残らず申上げましょうね。すると神さまは、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあうれしい! と、思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち――ほっと息がつけるんだわ。わたし、ほんとにそう思うの、伯父さん。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの。……(伯父の前に膝をついて頭を相手の両手にあずけながら、精根つきた声で)ほっと息がつけるんだわ!

 

テレーギン、忍び音にギターを弾く。
 

ソーニャ

 ほっと息がつけるんだわ! その時、わたしたちの耳には、神さまの御使みつかいたちの声がひびいて、空一面きらきらしたダイヤモンドでいっぱいになる。そして私たちの見ている前で、この世の中の悪いものがみんな、私たちの悩みも、苦しみも、残らずみんな――世界じゅうに満ちひろがる神さまの大きなお慈悲のなかに、みこまれてしまうの。そこでやっと、私たちの生活は、まるでお母さまがやさしくでてくださるような、静かな、うっとりするような、ほんとに楽しいものになるのだわ。私そう思うの、どうしてもそう思うの。……(ハンカチで伯父の涙を拭いてやる)お気の毒なワーニャ伯父さん、いけないわ、泣いてらっしゃるのね。……(涙声で)あなたは一生涯、嬉しいことも楽しいことも、ついぞ知らずにいらしたのねえ。でも、もう少しよ、ワーニャ伯父さん、もう暫くの辛抱よ。……やがて、息がつけるんだわ。……(伯父を抱く)ほっと息がつけるんだわ!

 

 太宰がチェーホフに入れ込んで、のめり込んで、抜け出せなくて自害したのが、本当はもう少し苦しみに耐えなければならなかった。

 映画の中でも「チェーホフの脚本に入り込むと抜け出せなくなる。」という部分がある。