『曽根崎心中』歌舞伎 | 映画ドラマ芝居のとびら(映像全般)

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特に海外の映画・ドラマが大好きです。心を動かされたセリフや感じたこと、紹介したい作品などについて、つぶやいていきたいと思っています。


石川県は自分にとってお里です。今回の地震災害は本当に苦しいです。どうかお一人でも多くお命が助かり、一日も早く町が復興していきますようにお祈りいたします。お力添えされている皆様に感謝申し上げます。

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、あの日、あの時間、兵庫県南部を震源として発生した未曾有の大地震が起きました。阪神高速がなぎ倒され、火災が神戸の町中を焼き払ってしまいました。本当に多くの方が亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。
自分も被災にあい昨日のことのように思い出し、いまだに身体中が震えます。震災は関西一帯に被害が大きく、本当に長く苦しい時間を過ごしました。多くの方々のお力、支えをいただき、関西の街は復興していきました。
今年はルミナリエも点灯されますね。震災は辛く忘れられないことですが、様々に傷つかれた多くの方々がすこしでも前に進めますようにと願っております。





『曽根崎心中』歌舞伎』
三代目中村鴈治郎


若い頃、東京の歌舞伎座で『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう)三代目中村鴈治郎(なかむら がんじろう/のちの四代目坂田藤十郎さかた とうじゅうろう)さんの当たり役、お初の舞を観れました。

東京の友人のところへ遊びにいった時のことです。待ち合わせまで時間があったので、お芝居でもみようかと探したところ、歌舞伎座と杉村春子(すぎむら はるこ)さんの舞台のチケットが取れました。

今回は歌舞伎座のことをつぶやきたいと思います。


歌舞伎座の席は前から2列目で役者さんの汗も見てとれるほど近いところでした。当時三代目中村鴈治郎さんのお初の舞はしっとりと色気があり、しびれました。首筋から腰のあたりの妖艶さ、指先の動きひとつひとつが言葉をあらわすようで、本当に素晴らしかったです。

よくみると、三代目中村鴈治郎さんは、はらはらと涙を流しておられるではありませんか。それを観た瞬間、雷にでも打たれたような衝撃というのでしょうか、体がビリビリしました。激しい場面ではないのに二代目澤村藤十郎(さわむら とうじゅうろうさん)『女形の歯』を観た時以来です。動けなくなりました。


ふと我に帰ると自分の頬にも涙がつたっておりました。あのお姿は目に焼きついて離れません。それぐらい心を打たれた三代目中村鴈治郎さんの『曽根崎心中』でした。のちに重要無形文化財保持者(通称 人間国宝)となる四代目坂田藤十郎さんの素晴らしい舞台をあんなに近くで拝見することができたことは自分にとって忘れられない宝ものであります。



1000回目公演
阪神淡路大震災


1995年1月大阪中座で1000回のお初の公演を迎えられました。あくる日の1月17日は未曾有の災害、阪神淡路大震災が起きました。大阪も大きく揺れたのですが、まさにその時にも、お初を演じられていたそうです。




お初を演じるにあたり、四代目坂田藤十郎さんはこのように話されています。

「お客様にお初をご覧いただくのではなく、お初の生涯をやりますので、お客様もその時間をどうぞご一緒に…」

何回演じてもお初は新しくみずみずしい。10代の娘を演じる四代目坂田藤十郎さんの可愛さに心奪われます。一千数百回を超えるお初。80代とは思えません。いつも初演のような気持ちでお初を演じるとおっしゃって舞台に臨んでおられたそうです。


『曽根崎心中』はこの世では添い遂げられない二人の悲恋を描いた物語です。お初はこれで終わりではなく、次の世では徳兵衛と手を取り合い幸せな人生につながっていくという思いも込められていたからこそ、お客様もご一緒に体験してくださいというお声がけをされたのでしょう。本当に引き込まれる舞台です。




人形浄瑠璃から歌舞伎へ


1703年(元禄16年)近松門左衛門が大阪で起きた実際の事件を題材に人形浄瑠璃として『曽根崎心中』を書き上げました。事件からひと月後のことで、近松門左衛門の名を世間に広め、人気を博しましたが、長く上演が途絶えていました。

昭和になり、歌舞伎の演目として上演されました。その時のお初二代目中村扇雀のちの四代目坂田藤十郎徳兵衛父の二代目中村鴈治郎が演じました。1953年(昭和28年)8月新橋演舞場での公演は社会現象と言われるほどの人気となりました。



『曽根崎心中』
あらすじと感想

近松門左衛門、作

醤油屋の手代の徳兵衛(しょうゆやのてだいのとくべい/商家で番頭と丁稚の中の使用人)堂島の遊女お初(どうじまのゆうじょおはつ)とのこの世では結ばれない悲恋を描いた作品。2人は恋仲にあったが、叔父に働きを認められ、縁談が持ち上がり田舎の母に結納金まで納められてしまう。当時の江戸時代では商家の主や家長は絶対的存在でした。結納金を取り戻すも、そのお金をだまし取られた上にあらぬ疑いをかけられ、仕事も失い行くあてもなくなり、お初の元へ行く徳兵衛。そしてふたりは言葉を交わさずとも気持ちはひとつとなり…。

言葉を交わさずとも2人のきもちが通い合う場面は涙が溢れます。次の世では幸せになって欲しい、そう願わずにはおれません。長年多くの方に愛される『曽根崎心中』はこの先も多くの方と共にお初の生涯に心を寄せて観るものを魅了してくれるのでしょう。



惜しまれつつ2020年(令和2年)四代目坂田藤十郎さんはお亡くなりになりました。88歳でした。心よりご冥福をお祈りいたします。