歌舞伎『女形の歯』(おやまのは)二代目澤村藤十郎 | 映画ドラマ芝居のとびら(映像全般)

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歌舞伎
『女形の歯』
(オヤマノハ)

 


自分が社会人になって大病を患った後の静養中で、まだ若かりし頃。歌舞伎のことは何も知らずに観覧しました。


関西では南に中座角座、北に梅田花月もあって、お笑いの劇場に行ってやすきよさんの漫才や、藤山寛美さんの舞台を観たことがありましたが、松竹座に行くのも歌舞伎のお芝居を観るのも初めての経験でした。


初めて観た演目が「二代目澤村藤十郎」さんが演じられた『女形の歯』でした。


初めから最後まで、ひと時も目が離せないほど惹きつけられました。幕末から明治にかけて絶大な人気を誇った「三代目澤村田之助」さんの壮絶な運命に涙が止まりませんでした。若かったですし、歌舞伎に対しての知識はなくて、大袈裟な物言いのお芝居としか思っていなかった自分が恥ずかしくなりました。


扇を口で回す場面は圧巻でした。黒子さんとの息はピッタリで瞬きすることも出来ずに釘づけになり、息をのんで観ていたことを覚えています。



『女形の歯』はそれ以降上演されておらず、観ることが出来ず残念です。あの鬼気迫る舞台が脳裏に焼きついて離れません。

この舞台を観て「二代目澤村藤十郎」さんの大ファンになりましたが、それ以降ご病気で療養されているそうで、お見かけすることが少なくなり本当に残念です。


【演目の三代目澤村田之助について】

幕末から明治にかけて、美貌の女形として大変な人気がありましたが、絶頂期の頃、舞台上の装置からの落下により、命にかかわる「脱疽」という病いにかかります。

しかし、アメリカから来た医師ジェームス・カーティス・ヘボン博士の執刀により左脚切断が行われて、後にアメリカから取り寄せた義足をつけて舞台復帰を果たすことになり、横浜のヘボン博士夫妻の前で御礼興行を行った際には大喝采を浴びます。

人気が復活し観客を魅了しますが、その後も右足、両手の切断と続き、四肢を失ってしまいます。

それでも舞台に上がり続けた三代目澤村田之助でしたが、徐々に精神にも異常をきたし、若くして亡くなってしまいました。

ヘボン医師は日本の医学発展に尽くされた方ですが、ヘボン式ローマ字でも有名です。


『関西で歌舞伎を育てる会』結成から『関西・歌舞伎を愛する会』へ

 

1978年(昭和53年)に、低迷していた歌舞伎をもっと盛んにしようと結成されたのが

『関西で歌舞伎を育てる会』です。

二代目澤村藤十郎さん、大阪の民間労働組合の高畑敬一さんはじめ、歌舞伎復興への熱い思いが多くの関西著名人、行政をも動かし、現在の『関西・歌舞伎を愛する会』へと発展していきます。



こんびら歌舞伎


テレビの企画で四国琴平町にある「金丸座」を訪問した3人の役者さんがいました。その3人とは、二代目澤村藤十郎さんと今は亡き二代目中村吉右衛門さん、同じく今は亡き十八代目中村勘三郎さん(当時五代目中村勘九郎さん)です。

1835年(天保6年)に建てられ、現存する日本最古の芝居小屋であるこの「金丸座」に魅了されたお三方からの熱い思いから「こんぴら歌舞伎」へと発展していくのです。

ここでも尽力された二代目澤村藤十郎さんのお名前があがります。本当に素晴らしい方ですね。


役者さんなら誰もが演じてみたい舞台だそうですが、せり出しも手作業で回し、開催中は全国からのボランティアが集まるほどの愛溢れる芝居小屋だそうです。文化財の「金丸座」から芝居小屋の復活までには大変なご苦労があったことでしょう。お茶子さんが座席を回られるような作りなんですね。母が幼い頃戦前にお芝居を観たのがそんなところだったと聞いています。私もいつかは行ってみたいです。



古畑任三郎「動機の鑑定」


「二代目澤村藤十郎」さんは「田村正和」さん主演の『古畑任三郎」第2シリーズ第7話「動機の鑑定』に出演されています。私は再放送で見ました。

歌舞伎の「女形の歯」を観た後でしたので、あまりの違いにびっくりしました。美しいお顔と品のある身のこなし、柔和な表情の奥に隠された強烈な悪意。ますます二代目澤村藤十郎さんにこころ奪われました。

骨董商の主人と古畑任三郎さんの対決が見応えあり!です。多分この回はシリーズの中でも多くの方のベストテンに入っていると思います。