小豆島大観音 老僧 ジジの一言 : お釈迦さまの 誕生日 を 迎えて ( 降誕会 ) | ジジの一言

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小豆島 八十八ケ霊場 第80番札所 《 子安観音寺 》では 卯月の八日に お釈迦さまの誕生日を寿ぎ . 誕生仏を お祀りした 春の季節の花々で 飾った花御堂 ( おすや )が 安置され 参詣者には 甘茶が 振舞われます


【 大本山 小豆島大観音 老僧 ジジの一言 】



♬ ジングルベル〜 ジングルベル〜

12月の 終わりになると 街街には クリスマスソングが流れ 国の大小 .宗教の違い .老若男女を問わず . キリストの誕生を祝う クリスマス一色で お祝いをしますが . 仏教徒の1人として 生まれ育ってきた 私どもは 嬉しいような そして 少し寂しいような気持ちで それを 迎えます。

皆さんは ご存知ないでしょうが . 実は お釈迦さまの誕生日には 日本各地の寺院では [ 花まつり ]と 称して 誕生をお祝いし 甘茶を振舞って 子供の “ 無事成長 “ を 祈願する風習があります。

わが “ 小豆島大観音 “ や “ 子安観音寺 “ を はじめ 小豆島の寺院では “ 卯月の八日 “ ではなく 1ヶ月遅れの 5月の8日に 〈 灌仏会 〉を 行います。



[ お釈迦さま ]は インドの 少し北にある ルンビニという国の “ 王子 “ として 生を 受けました。

4月8日 あけぼのの前 奇跡は 天と地に広がり
それは 生きとし生けるものの 心を 感動で 推しつつんだ

あるものは 天上から 美しい音楽を聞き あるものは 芳しい 匂いを 嗅いだという

そして 心の中に 誰かが 告げるのであった
「 見よ 見よ その人が 生まれた 」と
         手塚治虫 先生 ブッダより


言い伝えでは “ お釈迦さま “ は お生まれになると 直ぐに 六歩半 お歩きになって《 天上天下 唯我独尊 》と 仰られたそうです。

聞きようによると「 この世の中で わたしほど 偉いものは いないんだ 。我こそは 天下国家を 統治する指導者である 」と 穿った 独りよがりの言葉に 取れますが . それは 大きく 間違っております。

お言葉の中の “ 天上天下 “ は 自分の上 自分の下 . つまり[ 宇宙全体 ]で ある事を 意味しています。

全宇宙の 生命と 恵みを 一身に受けて . 人間の 1人として 生を頂いた その喜びと 尊さを お叫になったのです。

哀れにも 獣として 生を受けたものは 悲しいかな その身体を整えることも 心を律し 言葉を正しく使うことも 分からないまま 生涯を 終わるのです。

愛犬は 犬小屋から 1〜2mの 長さで繋がれ 何の楽しみも 持たないまま 生涯を終えるのです。

無心に草を喰んでいる 牛馬や 魚は . 本人の意思とは 全く別に . 人間の口に 入ってしまう事も あります💦

そんな中 . 生まれながらにして 私たち人間は 1人 1人が 尊い [ 身体 ]と [ 言葉 ]と [ 心 ]を 授かっております。


生まれながらにして 私たちは [ 仏心 ]といって . 仏さまの心を持って この世に 生を 受けているのであります。

“ お釈迦さま “ が . 6歩半 お歩きになられたという事は . 生まれながらにして “ 六道輪廻 “ の世界を ただ グルグルと 迷い歩くだけではなく . これを あと半歩 踏みだされて 真実の人の 人たる道を 歩こうと 決意なさった事を 意味しています。


そんな お釈迦さまに あやかって . 折角 全国の お寺さんでは “ 花まつり “ の 行事をしているのですから クリスマスのように “ 国の壁 “ “ 宗教の壁 “ 等を 乗り越えて . 歌を歌い ケーキをみんなで 分け合うような . そんな 誕生会に したいですね。💘
             村垣 慧晃 合掌🙏