がんばれ、ホークス!その1 | うさぎの音楽談議

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ソロとバンドでかれこれ36年ライブ活動やってます!
絶叫する営業兼二種電気工事士です(笑)

そう、タイトル通り私は福岡ソフトバンクホークス のファンであります。

そもそも福岡出身でもなく、子供の頃野球少年でもない私が何故ホークスファン(親会社が2度変わっているので、あえてそう言います)になったかと言うと…特に理由はないのですが(^^;;

プロ野球を見るのが好きになったのは昭和50年でした。その年は常勝巨人軍が長島監督1年目で初の最下位に低迷し、逆に今までお荷物球団だった広島カープがセリーグで初優勝した年でもあります。
子供の頃からあまのじゃくだった私は、当然の如く周囲にあふれる巨人ファンに辟易しており、どうせ応援するならとカープファンになったのでした。
やがて名監督である古葉監督のもと、広島カープは常勝軍団と変貌して行きます。するとどうでしょう、段々応援する気が失せてきて「別にオレが応援しなくても勝てるじゃん」と思い始めたのです。つくづく、へそまがりな子供でした。

で、次に面白そうなチームはないかと、当時ほとんど試合中継のなかったパリーグに目を向けてみました。すると…それまで知っている選手がほとんどいないチームを見つけたのです。それが、当時の南海ホークスでした。

確かに野村克也が選手兼監督をしていたり、盗塁王の広瀬がいたり、阪神からトレードで江夏がいたりしましたが、とにかく知らない選手ばかりで私は「このチームを応援して強くなれば、みんな知らない選手が有名になる過程が見られる」と喜んで、関東では滅多に入らない関西球団の応援を始めたのでした。多分、中学生の頃だったと思います。

以来、応援しても万年Bクラスのチームは野村を放出しても監督が外国人になっても、一向に広島のような奇跡的優勝を果たす事がありませんでした。唯一の楽しみは、主砲門田博満のホームランでした。決して大きくない体を使ったフルスイングで、40歳で40本を打った時は正直あきれましたが愚直なほどに真っ直ぐな姿勢を貫き通せたのは、村田兆治と同じくある意味パリーグならではだったのでしょう。

ああ、長くなりました。まだ福岡に移転してないし(笑)。この項、続きます…。