探訪②歴史上のチェ・ヨン
お次は実在のチェ・ヨンについてですが、、。
(歴史に興味の無い方、読んだことあるよ、という方はスルーしてくださいね。)
ウィキペディア「崔瑩」
↑こちらからかいつまんで一部抜粋すると、、。
○武臣として倭寇討伐で功を挙げ、朝廷の近衛兵隊長となる。
趙新日。実は忠実な家臣よりも反逆者として名を残している。
○相次ぐ反乱に苦しんでいた元からの救援要請を受け、この援軍は至る所で武勲をたて、特に崔瑩は元にもその名を知られるようになった。
○元に占領されていた鴨緑江西域の八つの軍事基地を奪還し、また、元の双城を攻撃して咸鏡道一帯を収復した。
※鴨緑江:天門近くの領土。ドラマの最終回ではここでヨンとウンスが再会。
※双城(双城総管府):元が高麗に置いた統治機構。元の勢力が衰えた頃、双城の高官、李小春(イ・ソンゲの父)が元を裏切り高麗側についた為、容易に陥落することができた。
○倭寇(前期倭寇)が侵入してきたので、迅速に出陣して倭船400隻を焼き払った。
○中国で盛んになった紅巾軍が高麗に侵攻してきたため迎え撃ち、殆ど全滅させた。紅巾軍が大軍で再び侵攻してきたが、総指揮官として撃破した。紅巾軍の侵攻などにつけこみ権力を握った反逆者を滅ぼした。
※一時は開京も占領され、王様も南方へ逃れる事態に。
○元は高麗の態度を不遜だとし、王の叔父である徳興君を王位に就かせようとしたが、高麗はこの要求を拒んだ。
元は高麗に侵攻させたが、崔瑩ら率いる高麗軍に国境近くで殲滅されたので恭愍王の復位を容認した。これにより高麗は元の干渉からほぼ完全に脱することに成功した。
○済州島では元の残党が度々、反乱を起こしていたため、崔瑩は大軍で反乱を制圧し、捕虜は容赦なく殺害した。
○倭寇と1376年に鴻山、1377年に西江、1378年に昇天府で戦い大勝した。
崔瑩は1376年の戦いの後に鉄原府院君と称され、1378年の戦いの後は安社功臣の号を受けた。
以上、ウィキペディア「崔瑩」より抜粋
きっと読んだことある方多いですよね。
功績を上げるたびにどんどん位が上がり、最後はキ・チョルよりも高い位にいったのでは。
ドラマの中と史実ではチェヨンの年齢も、事件が起こった年代もだいぶ違うので、年号は省いてみました。
とにかく強い。高麗を脅かすもの(倭寇、紅巾、元の軍勢)全てを打ち倒し、60歳過ぎても戦で功績をあげるという。
LeeMinho FBより
他にも有名な武将さんは沢山いるのでしょうが、こうやってみるとホントに高麗のヒーローって感じー。
晩年についてはまたイ・ソンゲの探訪を書くことがあったらその時に。