西側メディアで 何も無かったかのように、ほとんど無視され続けているのが ロシア領クルスクに侵攻したウクライナ軍と外国人傭兵による地元のロシア人住民への恐ろしい戦争犯罪です。

 

クルスクにはお年寄りを中心に、逃げ遅れた人々が多数自宅に隠れていましたが、それら逃げ遅れた住民を暴行し、女性はレイプされ、子供まで殺されて、恐ろしい戦争犯罪が行われていました。(下の過去記事でもご紹介しています。)

 

 

 

 

今回の記事では その逃げ遅れて最終的には死亡した被害者の1人、高齢77歳のロシア人女性が 戦闘で窓が全て割れた状態の寒い納屋や小屋で数か月を過ごしながら、だんだんと体が弱っていって死を覚悟する日記をつけていたことが話題になっていますので、ご紹介させていただきます。

 

その高齢ロシア人女性の死を覚悟した日記は こちらに掲載されています。本当にお気の毒だし、どんな気持ちで最後の数日間の日記を書かれていたかと思うと、かわいそうでなりません。

 

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スジャのすぐ北、マルティノフカ出身の老婦人は、占領中に何ヶ月も日記をつけていたが、それがロシアの解放軍によって発見された。彼女は、寒さと飢えに徐々に屈していく中で悪化する状況について書き、戦後娘に「少なくとも骨を一つ」見つけて、妹の隣に埋葬してほしいと懇願していた。

長い間ウクライナ軍の占領下にあったクルスク地方のマルティノフカ村で遺体で発見された老婦人の日記より。

1947年7月25日生まれのタチアナ・セルゲエヴナ・ヴァスコワさんは、自宅で飢えと寒さで亡くなった。

「今日は10月20日、小屋の気温は6度です。私は生きています。」

「今日は10月26日、外はまだ7度と暖かいですが、外に出ることはできません。彼らはカメラを持って飛び回ったり、爆弾を落としたりしています...私は5時か6時に寝ます。私は本当に地獄のような生活を送っています。

「私がどのように暮らしていたかを書きます。納屋のテーブルの下で寝ていました...毎日死を願っていました。納屋から小屋に移り、ベッドに横になりました。時計はありません。そしてベッドの下に横になりました。」

「12日間何もなかったよ。」

私はあなたのすべてを許します。そしてあなたも私がこんな風になったことを許します。私は避難するべきでしたが、愚かにも避難しませんでした。

「レナ(娘様の名前)、戦争が終わったら戻ってきて、少なくとも骨を見つけて、スヴェタ(亡くなった妹)の隣に埋めて、十字架と写真を立てなさい。」

小屋の気温は零下3度、終わりはもうすぐです。あなたが元気で長生きしてくれることを願います。私は長年生きてきましたが、元気ではありませんでした。窓はすべて割れ、スレートが小屋から落ち、小屋は雨漏りするでしょう。」

「さようなら、子供たち、私たちはもう二度と会うことはないでしょう。私もあなたたちに会うことはないでしょうし、あなたたちは私に会うこともないでしょう。みんなにキスを。」

「レナ、ディマ、お互いに気をつけて。レナ、泣かないで。両親と夫は死にかけているのに、何もできないのよ。」

「風が強くて、寒い。少なくとも苦しまずに死んだほうがいいと思う。あまりよく生きられなかったから死んだけど、77年だった。」

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そして、ようやくクルスクのほぼ全域からウクライナ軍兵士が追い出されましたが、トランプ大統領がプーチン大統領にクルスクで包囲されている数千人のウクライナ軍兵士を殺さないでくれ と数日前に頼んでいたようですが、彼らクルスクに侵攻したウクライナ軍兵士の多数は ロシア軍から見れば、戦争犯罪人であり、民間人を容赦なく襲って殺したテロリストと同じです。

ですが、ロシア軍は そんな憎きテロリストが相手でも 自ら武器を置いて降伏しさえすれば、命を保障し、人道的に彼らを扱っています。ですが、彼らウクライナ軍兵士がクルスクで逃げ遅れた民間人に対して行った極悪非道な戦争犯罪を考えれば、彼らは戦争犯罪人として厳罰に処せられるべきでしょうね。

戦争犯罪に参加した者たちの中には 多数の外国人傭兵も含まれていますが、彼ら傭兵についてはジュネーブ条約による保護がないので、ウクライナ人よりもさらに重罪になる可能性は高いでしょう。

 

そして、クルスクでの占領を守り切れなかったウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官については「解任」の噂が飛び交っています。

 

ウクライナメディア、「ストラナ」が報じているそのニュースを最後にご紹介します。

 

 

 ↓(日本語に変換したもの)

 

 

Главкома Сырского могут уволить после "провала" в Курской области - нардеп Гончаренко

 

(和訳開始)

 

シルスキー司令官はクルスク地域での「失敗」により解任される可能性あり - ゴンチャレンコ国会議員

ウクライナ軍のアレクサンドル・シルスキー司令官は、ロシア連邦のクルスク地域での「失敗」を受けて解任される可能性がある。人民代議士オレクシー・ゴンチャレンコ氏がこれについて書いている。

同氏によれば、現在国防副大臣を務め、以前はヴァレリー・ザルジニー副司令官だったエフゲニー・モイシューク中将が後任となる可能性があるという。

「クルスク方面の失敗後、モイシューク・エフゲニー中将がシルスキーの後任として検討されている」とゴンチャレンコは書いている。

前日、人民代議士マリアナ・ベズグラヤがクルスク作戦の失敗についてシルスキーを非難したことを思い出そう。ルステム・ウメロフ国防相は、失敗はなく、クルスク地域で「より有利な防衛線への計画的な再配置」だったと述べた。

(和訳終了)

 

シルスキー氏も 元々前総司令官のザルジニー氏がゼレンスキーとの不和で解任された時から、次の総司令官は誰がやっても 「貧乏くじ」を引くようなものだと分かっていたので、本当は総司令官など、やりたくなかったのではないでしょうか。

一度は断ったという話もありましたし、国防省情報総局長のキリロ・ブタノフ氏にも断られて、他になる人が誰もいなかった為に引き受けざるを得なかった という話もあります。

 

また、シルスキー氏のご両親や弟はロシアに在住していて、しかもご両親は戦勝記念式典に毎年出席するほどの愛国者でもあるそうです。シルスキー氏もウクライナ語が非常に苦手、「ロシア語しか話さない」ということで極右過激派からは嫌われているという話もあります。

 

下の写真はモスクワ・赤の広場で行進する若かりし頃のシルスキー氏です。

(上の写真:1986年、モスクワの赤の広場で行われた軍事パレードに参加して行進する現ウクライナ軍総司令官、シルスキー氏の若かりし頃)※上の写真からはビデオは再生できません。見たい方はこちらからどうぞ。

 

上の写真のシルスキー氏は 当時、モスクワ高等連合軍司令部の士官候補生だった時のものです。

 

そして、以前過去記事でご紹介したことがあるのですが、ロシアに住むシルスキー氏のご両親のご近所の方の話が面白くて、その話が事実ならば、シルスキー氏はウクライナ人を憎んでいて、ロシアの為に?ウクライナ軍をわざと弱体化することに一役買っている 可能性もあります。

 

ロシアのニュース記事RTによれば、ロシアにいるシルスキー氏のご兄弟のオレグさんはウクライナにいるシルスキー氏とは「長年連絡を取っていない」とのことでしたが、長期間連絡を取っていないのはオレグさんだけ、あるいはRTの記事は意図的な誤報で、シルスキー氏のご両親はウクライナにいる息子のオレクサンドル氏(シルスキー氏)とビデオ通話で頻繁に連絡を取っていた と隣の住人の方が言っているようです。

 

(上の写真:シルスキー氏のことを語るシルスキー氏のご両親の自宅の近くに住む隣人の方)※ビデオは上の写真からは再生できません。見たい方はこちらからどうぞ。

 

以下、シルスキー氏のご両親の近所に住む女性の話(英語字幕からの和訳)

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女性:彼が前回ここに来た時、私はいつだったか覚えていないけれど、彼は「私達はウクライナ人と一緒に働いていて、彼の本部の1つにいる。私達は彼ら全員、ウクライナ人を憎んでいる」と言っていた。

記者:そうなんですか。

女性:そうです。これらは彼の言葉です。

記者:でも、なぜ?

女性:そう、なぜなら彼ら(ウクライナ人)はとても狡猾でずるい、皆がそんな感じで、まるで彼らがそんな人達と混ざっているようだからよ。分かる?
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この近所に住む女性の言うことが本当だとすれば、ウクライナ人が大嫌いなシルスキー氏が ロシア側の工作員として、「肉挽き器」と言われたバフムートにしろ、アウディーフカにしろ、わざと大量のマンパワーをそこで消耗させた可能性も出てくるのではないかと思います。

 

シルスキー氏が退任するにしても、次に誰がなろうと、もうマンパワーが限られているウクライナ軍では 戦術どうのこうの という話ではなくなってくるかと思います。

 

誰がやってもザルジニー氏やシルスキー氏以上の「貧乏くじ」を引くことになる のは間違いないでしょう。