先日3/22に発生したモスクワ郊外でのテロ事件についてですが、逮捕された4人のタジク人の狙撃手が 匿名の人物とやり取りをしていて、犯行後はウクライナに逃亡し、ウクライナ側では スーミ州の一部でロシアとの国境に設置されていた地雷を撤去し、4人の狙撃手を迎え入れる準備をしていた ということを自白したようです。

 

下のインド発のTimes Of India というメディアのYoutubeビデオニュースから内容をご紹介します。(ビデオのタイトル:モスクワのテロリストの衝撃的な尋問:ウクライナとの国境で車を燃やし、キエフで100万ルーブル)

 

 

 

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ロシア連邦保安庁は非難を明らかにする

モスクワのテロ事件の容疑者の尋問のビデオ

 

 

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モスクワのコンサートホールの攻撃者はウクライナへの2つの逃走経路を持っていた。

 

 

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ロシア連邦保安庁は 攻撃者はウクライナへの逃走を計画していたと明らかにする。

 

 

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容疑者はカメラの前で彼らがキエフでお金を約束されていたことを認める

 

 

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ロシア連邦保安庁(FSB)は尋問ビデオの一部を公開。

 

 

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クロッカスホールの攻撃者はウクライナへの逃走経路を認めているのが確認されている。

 

 

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カメラで 攻撃者は 彼らが支援者である”SAYFULLO”の指示に従っていた と述べた。

 

 

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FSBは今、”SAYFULLO”の身元を特定する作業をしている。

 

 

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各容疑者はキエフに到着する時、100万ルーブル(11,000ドル)がSAYFULLO"から約束されていた。

 

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容疑者たちはウクライナの国境近くで彼らの車を捨てるように指示されていた。

 

 

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FSB:ウクライナ当局は2か所で地雷除去を行っていた。

 

 

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FSB:これらの場所は国境近くにあり、可能な逃走経路を示している。

 

 

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容疑者たちは彼らの車を破壊し、森を通って国境を徒歩で超える計画だった。

 

 

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ロシアの捜査委員会は容疑者のひとりの電話から親ウクライナのイメージを発見した。

 

 

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4人のタジク国籍者は3/22に攻撃を実行した。

 

 

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少なくとも145名の人々が命を落とし、500名以上が負傷している。

 

 

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攻撃者たちは翌日ウクライナに逃げようとした間に逮捕された。

 

 

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数日のうちに 追加で ほとんどタジク系である他の容疑者たちが逮捕された。

 

 

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イスラム国・ホラサン州(ISIS-K)がその攻撃への関与を主張した。

 

 

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しかし、ロシア当局はそのテロ攻撃においてウクライナとのつながりがあると指摘している。

 

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ウクライナ、アメリカ、イギリスはクロッカス市庁舎ホールでの事件へのいかなる役割も断固否定していた。

 

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以上が動画の内容となりますが、ロシアが「ウクライナ軍または諜報・工作機関、または政府が関与している」と主張している重要なポイントは「容疑者たちが徒歩で国境を越えられるように、ウクライナ側で支援者が2か所の逃走経路で地雷除去を行ったので、国境手前で車を燃やして徒歩で国境を超えるように、と容疑者たちに伝えていた」という証言です。

 

このウクライナでの地雷は ロシア軍が近い将来、ハリコフ、スーミへの侵攻が予想されていたので、それを防ぐために何か月も前にウクライナ軍が設置していた地雷です。

 

それを軍関係者でも政府関係者でもない一般人が地雷除去を出来るかというと、できません。

 

個人で地雷除去の道具だけならどこかで手に入れることができるかもしれないし、地雷除去の方法も習えば素人でもできるかもしれません。

しかし、実際のハリコフ・スーミ州のロシアとの国境沿いの地雷原の地雷の除去作業を政府・軍関係者でない個人が 許可なく出来るか というと、勝手にそんなことができるはずがないのであって、ですから、ロシア政府が今、「ウクライナ当局とのつながりの強い裏付けを容疑者の証言から得た」と言っているのです。

 

もちろん”SAYFULLO”と名乗っていて、タジク人狙撃手とSNS上で連絡を取っていた人物が誰なのか という捜査を容疑者のスマホの通信履歴を確認する等して、今やっていると思います。

 

そして、続報で4/9に彼らテロ実行犯に賞金を与えた団体として、バイデン米大統領の息子のハンター・バイデン氏が過去に役員をしていて、ほとんど活動実績がないのに法外な報酬を貰っていたウクライナのガス会社、ブリズマの名前が挙がっています。↓

 

 

字幕付きの動画は↓にあります。

 

 

そして、このブリズマの情報が出る前からフランスの独立メディアでは 狙撃手のうちのひとりが ウクライナの極右ナショナリストの名刺を持っていた と3/26の時点で報道しています。 そのニュースも下でご紹介します。

 

Moscow attack reminds us of the links between Islamists and Kiev’s fundamentalist nationalists

 

(和訳開始)

 

モスクワ攻撃はイスラム主義者とキエフの国家原理主義者のつながりを思い出させる

 

モスクワのクロッカス市庁舎でのコンサート聴衆への襲撃が、ウクライナ人の有無に関わらずダーイシュによって計画されたかどうかは問題ではない。彼らは協力することに慣れている。
これは 四半世紀にわたって続いているが、依然として集団的認識には統合されていない。現在キエフで権力を握っている「統合国家主義者」は、アングロサクソンの秘密機関(注:米CIAと英MI6のこと)の監督の下、ムスリム同胞団およびその民兵組織と協力して活動している。彼らの基本的な役割はロシア人と戦うことである

 

(上の写真:キエフ政権が ロシア(傭兵企業のワグナー)へ対抗するため、兵士をアフリカのスーダンに送っている という記事)

 

 

024年3月22日、クラスノゴルスク(モスクワ北東郊外)のクロッカス市庁舎でロックコンサートの観客を4人の戦闘員からなる特殊部隊が襲撃し、133人が死亡、140人が負傷した。その後、建物に放火した。(注:死亡者数、負傷者数はこの記事が出た3/26時点でのもの)

ロシア人は、ウクライナ国境を越えようとしたテロ特殊部隊を阻止したが、反対側では彼らが期待されていた。彼らはタジク人であることが判明した。彼らは、インターネットを通じてお金のために人を殺すよう勧誘されたと告白した。

 

彼らは雇用主との接触はなかったと述べた。しかし、ドミトロ・ヤロシュの名前の名刺が発見された。ヤロシュ氏は民兵組織の右派セクターの創設者であり、ウクライナ安全保障会議ナンバー2で、当時は軍首脳部顧問でもあったため、ロシア当局は即座にウクライナを非難した。ヤロシュは自国の関与を否定した 。共犯者7人も逮捕された。

ロシアの対テロ警察はこれらのテロリストを拷問し、彼らの行動を撮影した。公共テレビはそれらを放映し、コメントしました。ロシアの文化はヨーロッパであり、アジアでもあります。ロシア国民は犯罪者に同情を感じない。

ダーイシュは「ロシアの偽旗​​作戦」であると非難し、攻撃の犯行声明を出した。

これらのテロリストは狂信者ではなく、専門家だった。彼らは公の場で焼身自殺はしなかったが、2015年にパリとサンドニを攻撃して130人を殺害した人々と同様に逃走した。つまり、彼らはロシアへの憎しみから行動したのではなく、戦略的意味を持つ軍事作戦の一環として行動したのだ。それは事前に考えられていた。

米国家安全保障会議報道官エイドリアン・ワトソン氏によると、今回の攻撃はイスラム(IS)のテロリストが単独で責任を負っているという。多くの評論家が、イスラム組織とキエフ政府支持者とのいかなる融合も非難している。ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、ロシアが反射的にウクライナを攻撃していると非難した。しかし、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ダーイッシュを無視して、もっぱらキエフに対して非難を続けている。

2014年と選出されたウクライナ大統領の打倒以来、私たちは、不可欠な国家主義者とイスラム主義者の間のつながり、特にドミトロ・ヤロシュの役割を定期的に強調してきた。事実がすべてを物語っている。ウクライナ人がこの攻撃を組織したのかどうかは分からないが、彼らが攻撃者をよく知っていたことは明らかである。ウクライナの不可欠な国家主義者と聖戦士は四半世紀にわたり共に戦ってきた。

• 第二次世界大戦前、ムスリム同胞団は英国に対抗してナチスと関係を築いた。

当然のことながら、当時のすべての反植民地主義運動(インドのMKガンジーを含む)は、当然のことながら同盟国を求めて枢軸国に目を向けた。一般に、彼らはその場で人種差別を確認するとすぐに距離を置いた。しかし、同胞団は長年にわたって第三帝国(ドイツ)からの補助金の恩恵を受けており、戦争中もこうしたつながりを維持した。

 

解放の際、イギリスとアメリカの秘密機関が多くのナチス指導者を捕らえ、ソ連との「冷戦」に再利用したとき、彼らはムスリム同胞団の統治も引き継いだ。したがって、CIAがソ連のイスラム教のナチス専門家ゲルハルト・フォン・メンデと同胞団創設者の義理の息子サイード・ラマダンを結びつけるのは極めて自然なことだった。

 

ラマダンはパキスタンの公共ラジオの番組を担当していたので、CIAは彼をミュンヘンのラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティに配置した。そこで彼はソビエトのイスラム教徒のためのプログラムを主催し、ウクライナ民族主義者組織(OUN)の指導者ステパン・バンデラと彼の右腕で元ウクライナ・ナチスのトップ、ヤロスラフ・ステツコに会った。

 

選出されたウクライナ大統領ヴィクトル・ヤヌコビッチに対して2014年のクーデター(「ユーロマイダン」)を実行したのはまさに「バンデリスト」(クレムリンからは「ウクライナナチ」と呼ばれているが、自らを「統合国家主義者」と呼んでいる)だった
1970年代、サウジアラビアの億万長者オサマ・ビン・ラディンは蒋介石とヤロスラフ・ステツコが主催した世界反共連盟の会合に出席した 。オサマ・ビン・ラディンは同胞団のメンバーであり同胞団の戦略家でジハード理論家であるサイード・クトゥブの弟から訓練を受けていた。この文脈で、彼はアフガニスタンでソ連に対抗するムジャヒディーンの指導者に、米国によって選ばれた。

 ナチスとイスラム主義者は、イッチュケリア・イスラム首長国創設の際、再び協力してロシア人と戦った(第二次チェチェン戦争、1999~2000年)。しかし、彼らの関与を示す正確な文書は見つからなかった。

2007年5月8日、ドミトロ・ヤロシュはテルノポリで、ウクライナの「統合民族主義者」とムスリム同胞団民兵組織の同盟を率いた。

• 2007年5月8日、イッチュケリア首長、ドッカ・ウマロフ、ドミトロ・ヤロシュ(その後ステパン・バンデラ率いるウクライナ民族主義者組織(OUN)を再結成)の共同議長の下で、テルノーポリ(ウクライナ西部)で、CIAの主導により、ウクライナ人民自衛団の「統合国家主義者」とムスリム同胞団のイスラム主義者が反ロシアの「反帝国主義戦線」を創設した。

この会合には、クリミア、アディゲ、ダゲスタン、イングーシ、カバルディノ・バルカリア、カラチャエヴォ・チェルケシア、オセチア、チェチェンのイスラム分離主義者を含むリトアニア、ポーランド、ウクライナ、ロシアの組織が出席した。国際制裁のため出席できなかったドッカ・ウマロフは寄稿文を読んでもらった 。

• 2013 年 11 月から 2014 年 2 月まで、ウクライナの統合民族主義者は、当時ユーラシア問題担当国務次官補であったシュトラウス派(シュトラウス派はネオコン的な考えの人々のこと)のビクトリア・ヌーランドの監督の下で「尊厳革命」を実行した。

西側マスコミは、大統領率いる警察が群衆に向けて発砲したと主張した。それどころか、後にキエフの裁判所は、屋上の正体不明の武装集団がデモ参加者と警察を同時に暗殺したことを推定したが、これは他の多くの国ですでにCIAが疑似革命を引き起こすために使用していた手法である。

イスラム青年運動アザトリクの指導者、ロシア人のネイル・ナビウリンは、同胞団の伝統に基づいてシリアのイスラム教徒に対して聖戦を遂行するために去った。その後、彼はウクライナに戻り、戦闘員とともにクーデターに参加した 。

•ニューヨーク・タイムズ紙によると、ロシア語を話す住民に対するキエフの不可欠な民族主義者によるドンバスでの作戦には 主にグルジアとウズベキスタン出身のチェチェン人で構成されたシェイク・マンスール大隊とジョハル・ドゥダイエフ大隊、およびシリアでイスラム教徒と戦ったタタール人で構成されたクリミア大隊が従事していた。

• 2015年8月、タタール人の指導者ムスタファ・ジェミレフは、ロシアからクリミアを奪還するためにアンカラ(トゥルキエ)に国際イスラム旅団を設立した。彼はトルコ大統領レジェプ・タイップ・エルドアンに迎えられ、エルドアンはこれら聖戦戦士たちに資金を提供することを約束した 。

この民兵組織は同胞団から分裂したヒズブ・ウト・タハリールに依存している。タタールスタンとチェチェン(ロシア)、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、メスヘティア(ジョージア)からの戦闘員が集結していた。ヘルソンに拠点を置いていたが、その役割はタタール人がモスクワに結集する中、クリミアから飲料水と電気を奪う妨害活動に限定されていた。

過去 1 か月間、100 名のウクライナ特殊部隊コマンドーがアブデル・ファッタ・アル・ブルハン将軍を支援するためにスーダンに駐留している。後者は、ムスリム同胞団の指導者として認められた元ムフティのエル・サデク・エル・ゲリヤニに会うためにリビアへ行った。彼はまた、ウクライナ人とともに自分のために戦う特殊部隊を派遣した。この支援のおかげで、アル・バーラム将軍は、2024年3月12日に、ライバルである「将軍」モハメド・ハムダン・ドゴロ(「ヘメティ」として知られる)の軍隊からカルトゥームを奪還することができた。

20年にわたり、私たちはアングロサクソンの特務機関によるイスラム主義者の道具立てを記録してきた。 9.11  に対するイラク戦争や「アラブの春」について説得力のある説明はない。この真実は、ウクライナ戦争はロシアの侵略に他ならず、ウクライナの「完全な民族主義者」は自分の国のため、そして自分の国のためだけに戦っていると信じる人々にとってのみ認めるのが難しいだろう。

 

(和訳終了)

 

 

そして、モスクワのテロ事件の狙撃手の一人が名刺を持っていた、ウクライナの極右民族主義者でネオナチの「右派セクター」のリーダー、ドミトロ・ヤロシュ氏とは下の写真の人物です。(写真はwikipediaからの抜粋)

 

 

このドミトロ・ヤロシュ氏は 思想がかなり過激で、いわゆる「白人至上主義者」です。彼に言わせれば、「ロシア人は白人ではなく、アジア人」なのだそうです。

 

しかし、かつて「モンゴル帝国」に支配されていたのは現在のウクライナ地域も同じなのであって、見た目や言語、宗教でも区別が難しいウクライナ人とロシア人を「ウクライナ人は白人でロシア人はアジア人」 というのは 非常に矛盾する理論ですが、とにかく、ロシア人、ユダヤ人、ロマ人等に対して強烈な差別意識を持っている極右の政治活動家であり、ネオナチ軍団のリーダーのひとりと言ってよいでしょう。

 

そして、この右派セクターのヤロシュ氏 といえば、大統領に就任直後のゼレンスキー大統領を脅したことでも有名です。↓

 

 ↓ (日本語に変換したもの)

 

当初、大統領選挙でのゼレンスキー氏の公約であった「ミンスク合意を守る」「ロシアと話し合って内戦を止める」というのに 強烈に反対してキエフでデモをしていたのが ドンバスで親露派住民を攻撃し戦闘を行っていた右派セクターの連中です。

 

ネオナチの抗議活動に恐れおののいたのが 大統領に選ばれた後のゼレンスキー大統領です。

その後は 右派セクターのリーダーをヤロシュ氏の後に務めていたドミトロ・コチュバイロ氏(2023年バフムートでの戦闘で死亡) を2021年に「ウクライナ英雄勲章」を与えたり、ヤロシュ氏をウクライナ軍の総司令官ザルジニー氏のアドバイザーに指名するなど、ゼレンスキー大統領自体が ネオナチに完全にもてあそばれる、名前だけの大統領になっていったわけです。

 

(上の写真:ウクライナ軍の元総司令官ザルジニー氏(向かって左)とそのアドバイザーになっていたドミトロ・ヤロシュ氏)

 

(上の写真:当時の右派セクターのリーダー、ドミトロ・コチュバイロ氏にウクライナの最高の勲章である「ウクライナ英雄勲章」を2021年に与えたゼレンスキー大統領)

 

ゼレンスキー大統領がいかにして極右ネオナチ軍団のあやつり人形になったかについては下のGrayxzoneの記事が面白いです。

 

How Ukraine’s Jewish president Zelensky made peace with neo-Nazi paramilitaries on front lines of war with Russia

(どのようにウクライナのユダヤ人大統領ゼレンスキーはロシアとの最前線にいるネオナチ民兵組織と和解したか)

 

CIA、MI6とISやアルカイダ等のテロリスト、そしてジョージア(グルジア)やチェチェンにいた反ロシア政府のテロリストやイスラム教徒の過激派、そしてウクライナの極右ネオナチ軍団と、完全につながっている存在なのであって、アメリカやイギリスの全く知らないところで ISのテロリストのみが単独で あのようなテロ事件を起こすことはありません。何より、ウクライナ国内にCIAの拠点が12か所もあったということを西側メディアのニューヨーク・タイムズ紙が認めているのです。

 

 

ですから、テロ計画を米政府、英政府が「事前に知っていた」というのも当たり前の話なのです。自分たちの下部組織であるウクライナの諜報機関が 自分たちが育ててきたISのテロリストを使って実行させているわけですからね。

 

米英宇が 責任を回避しようと、テロ事件発生からわずか55分後、事件の概要すらよく分かっていない時に「ウクライナはやってない」と言えるところも ロシア政府にとっては 実に白々しい、腹立たしいことだったのではないでしょうか。