ウクライナのゼレンスキー大統領が 「ロシアの領土のうち東側の6つの地域は歴史的にはウクライナの領土だ」と突然言い始めました。下はイギリスの新聞、デイリー・テレグラフの記事です。

 

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ウクライナーロシア戦争:ロシアの地域は”歴史的にはウクライナ”だとゼレンスキーは主張

 

 

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(ゼレンスキーが署名した政令の)書類には ウクライナ国境を接するブリャンスク、クルスク、ベルゴロドの各地域が含まれており、ヴォロネジ、ロストフ、クラスノダール地域もリストされており、いずれもクリミアが住民当方でロシアに入ることを決定してドネツク、ルガンスク人民共和国がキエフ政府からの独立を宣言した2014年以前にウクライナと国境を接していた。

 

ゼレンスキーは これらの地域の住民は「強制的なロシア化」を受けていると主張し、ウクライナの「国家のアイデンティティ」を維持ずるための「行動計画」を策定するように命じた。

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上のゼレンスキー大統領が署名した政令というのが いかに馬鹿げているかは

下の地図でご確認下さい。黒い丸で印をつけた6州が「歴史的なウクライナの領土」で、そこにいる住民は強制的に「ロシア化」されて「ロシア人」のアイデンティティを持つようになった と、ふざけたことを言っているのです。

 

 

ゼレンスキー大統領の声明を真に受けると、上の地図の丸で囲った州を含めた実に広大な領土が「歴史的なウクライナの土地」だと言うことになります。

この馬鹿げたゼレンスキー大統領の妄想に対し、ロシアのメドベージェフ安全保障会議副議長は下のように強烈な皮肉を言っています。

 

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ウクライナの上級麻薬中毒者は前線での失敗によって生じた単純なプロパガンダを作った。無慈悲に(コカインの)倍の容量を吹いて、彼は「歴史的にウクライナ人が居住していた」土地におけるロシアに対する領土的な主張の法令に署名した。

ウクライナ人はロシア人であり、"小ロシア"はロシアの一部なのだから、ここで何もコメントすることはない。(訳者注:ウクライナはかつては"小ロシア"と呼ばれていました。)

そして主役の”ウクライナ人”が辞める時が来た。(訳者注:ゼレンスキー氏はウクライナ国籍を持つユダヤ人) それで彼はすぐにカナダを併合するでしょう。

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ウクライナが そもそも最初に独立宣言をしたのはロシア帝国崩壊直後の1917年のことでした。しかしたった1年ほどで1918年、ポーランドとの戦争に破れて西ウクライナがポーランドに併合されます。

 

そして2回目の独立宣言が皆さんご存知のように、ソ連崩壊時の1991年です。

現在のゼレンスキー政権が「ロシア軍が1991年当時の国境まで撤退すべき」と主張しているのは もちろん、ソ連でスターリンの死後に書記長になったウクライナ人のフルシチョフがクリミアをロシアからウクライナへと移管したことでクリミアがウクライナの管轄になった為に クリミアも含めた地域からのロシア軍の撤退を要求している ということです。

 

しかし、クリミア半島は1783年からロシア帝国が海軍基地として使用していました。

西側メディアではロシアが2014年に突然クリミア半島に軍事侵攻したかのように言っていますが、完全に間違っています。「ロシア軍はずっと前からそこにいた」 のであって、そうでないと、クリミアには当時自称ウクライナ人も数万人はいたと言われているのに、彼らが何の抵抗もせず、「無血」で住民投票を行ってロシアが奪還など、できるはずがありません。(詳しくは私が字幕を付けた下のビデオをご覧下さい。)

 

 

 

 

歴史家・評論家の八幡和郎氏も言っていますが、ウクライナは ソ連崩壊時に独立するまでは まともに「独立国家」としての歴史もなかった地域です。

 

ウクライナが独立した国で民族である というアイデンティティが強く出てきたのが

ナチスの協力者として第二次世界大戦中にユダヤ人、ポーランド人、ロシア人を虐殺したステファン・バンデーラ等の極右ナショナリストの台頭以降です。

 

ナチスよりももっと酷い方法でポーランド人、ユダヤ人、ロシア人を虐殺していたステファン・バンデーラとそのグループについては私のブログの過去記事で何度かご紹介していますのでご興味のある方は下の過去記事をご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

つまり、「ウクライナ」が独立した国家であって民族である というアイデンティティ自体が生まれてきたのが最初に独立を宣言した1918年頃以降なのであって、それ以前には ウクライナの地域は「小ロシア(Little Russia)」と呼ばれ、ウクライナ人は Little Russians (小ロシア人)と呼ばれていました。

 

そして、ポーランド人の歴史家の方曰く、第二次世界大戦前までは 今のウクライナ人に当たる人々はポーランドでは「ルテニア人(Ruthenians)」と呼ばれていて、第二次世界大戦前は「ウクライナ語」という言葉も存在しなかったそうです。

(詳しくは下の過去記事をご覧下さい。)

 

 

 

つまり、どう見ても ウクライナという国家、ウクライナ人というアイデンティティの形成はステファン・バンデーラのような極右民族主義者によって起こされた運動であって、プーチン大統領がロシア人とウクライナ人、ベラルーシ人は同じ先祖を持つ兄弟のようなほぼ同じ民族 と言っているのは正しいと思います。

 

見た目も全く見分けがつかない、言語も方言程度の違いしかないのですから、いくらウクライナでロシア正教会の聖職者を逮捕や監禁したり、ロシア文化・芸術を禁止したり、クリスマスの日を正教会の1/7ではなく、12/25に変えたりしても 自国の歴史そのものを否定しているようなもので、虚しいだけではないでしょうか。