私のブログでは ハマスは元々、イスラエルが パレスチナ解放機構(PLO)対策の為に作ったものだった という事実を過去記事でご紹介してきました。

 

 

 

そして、ハマスの母体であるエジプトで誕生した「ムスリム同胞団」はイギリス、アメリカ、イスラエルが支援して組織されました。ムスリム同胞団の影響力が強い国は 2013年モルシ大統領を(おそらく米の策略で)追い出してその後2017年に不審死までさせたクーデター発生前のエジプト、そして世界6位のガス産出国のカタール、カタールの重要な同盟国であるトルコがあります。トルコとカタールはいずれもムスリム国家の中では親米のスタンスを取っている国(どちらも米軍基地がある)ですので、米英イスラエルが ムスリム同胞団をあやつり資金援助することで中東での覇権を強めようとしたり、パレスチナ国家の樹立を妨害していたことが分かります。

 

今回、ハマスの母体である「ムスリム同胞団」とイギリスとの関係についての記事をご紹介します。

ご存知の方も多いと思いますが、イギリスはイスラエルーパレスチナ問題の元凶を作った国で、イギリスが 戦費欲しさにユダヤ人のロスチャイルド男爵に送った手紙の中で、ユダヤ人国家樹立を約束した1917年の「バルフォア宣言」がイスラエルの建国の理由になっていますが、一方でアラブ人たちには1915年、オスマン帝国相手に戦えば彼らの独立を保証する というフサイン=マクマホン協定(マクマホン宣言)によって二枚舌、三枚舌外交を行ったことが今の悲劇を産んでいます。(アラブの分割を1916年に米英露で決定したサイクス=ピコ協定にも矛盾するのでイギリスの「三枚舌外交」と言われている)

 

なお、イギリスは 1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議を採択してユダヤ人が入植を始める直前まで、事実上「委任統治」という形でパレスチナを植民地支配をしていました。

 

では、早速記事をご紹介します。記事は個人の方のブログ記事になりますが、大変分かりやすくイギリスとムスリム同胞団、イスラエルとハマスについて書かれています。

 

Israel Created Hamas to Avoid Peace

 

(和訳開始)

 

平和を避けるため、イスラエルはハマスを作った

 

イスラエルは平和を望んでいない。イスラエルがハマスを創設

 

イスラエルは平和を望んでいません。イスラエルはパレスチナ人と戦争をする口実としてハマスを創設した。
それに比べればハマスのロケット弾は単なる豆鉄砲に過ぎない。
しかし、彼らは民族浄化の新たな口実を与えている。

「大衆は世間知らずで、特定の指導者が訴えるであろうマキャベリの極論を疑うことができない。これには偽りの敵、この場合はハマスを作り、それによってイスラエルの右翼指導部が何らかの「敵」を非難できるようにすることが含まれる。おそらくプロセスを停滞させた責任は重大だ。」

2011年9月6日から
デビッド・リヴィングストン著

イスラエル人はハマスを創設した。しかし、その理由を探る前に、イスラエルは平和を望んでいないことをはっきりさせておきます。彼らはパレスチナ全土を望んでおり、彼らの好戦的な入植慣行がそれを裏付けている。

しかし、イスラエル人は「和平」について話し合うつもりであるかのように見せかけているが、実際にはパレスチナのさらなる植民地化を進めるためにその和平プロセスを遅らせているだけである。
したがって、言い訳として提供できるものはすべてそうなります。メディアのお世辞的な援助を受けて提示された最も都合の良い策略は「テロ」です。

大衆は世間知らずで、特定の指導者が訴えるであろうマキャベリのような極端な行為を疑うことができません。
これには、偽りの敵、この場合はハマスを作り出すことが含まれており、それによってイスラエルの右翼指導部は、おそらくプロセスを遅らせた責任をある「敵」に向けることができる。

歴史的背景
西側諸国によるイスラムテロ支援は何も新しいことではない。1924年のオスマン帝国崩壊後、イギリスとアメリカは独自の「イスラム」指導者を擁立してその空白を埋めた。これは英国からの助成金によるムスリム同胞団の設立から始まった。

英国の後援の下、同胞団は今日イスラム世界の強力な勢力を代表しており、イスラムの名の下でほぼすべてのテロ行為の背後にいる。
より正確に言えば、同胞団は、ナチスから始まり、CIAだけでなく、ロシア人、フランス人、ドイツ人、イスラエル人も含めた、数多くの西側諜報機関によって共有されてきたツールである。
トルーマン政権とアイゼンハワー政権以来、ムスリム同胞団は、イスラム教の旗の下に純朴なイスラム教徒を結集させるために利用されてきた。戦後、アメリカ人やその他の人々は、「無神論者の共産主義者の脅威」を寄せ付けないよう、同胞団をひもでつながれた狂犬のように管理することができた。
しかし冷戦の崩壊により、同胞団はアメリカ人がイラクやアフガニスタンを皮切りに中東や中央アジアに攻め込むための代役として利用されるようになった。


イスラエルとハマス
イスラエルとムスリム同胞団との長年にわたる関係は、派生組織ハマスの創設に貢献した。
『悪魔のゲーム: 米国は原理主義イスラム教の解放をどのように支援したか』の著者ロバート・ドレイファス氏は次のように述べています。:
そして1967年から1980年代後半にかけて、イスラエルはムスリム同胞団が占領地に定着するのを支援した。イスラム主義的性格がPLOを弱体化させることに賭けて、同胞団指導者アハメド・ヤシンのハマスの創設を支援した。

元駐サウジアラビア米国大使チャールズ・フリーマンによれば、「イスラエルがハマスを始めた。これはシン・ベット(イスラエル国内諜報機関)のプロジェクトで、彼らはそれをPLOの包囲に利用できると感じていた
その戦略の 1 つの側面は、ヤシンと同胞団が大きな影響力を行使したヴィレッジ・リーグの創設でした。イスラエルは連盟のメンバー約200人を訓練し、多くの有給情報提供者を採用した。

ニューヨーク・タイムズNew York Times記者デイビッド・シプラーは、イスラエルがPLOに対抗する原理主義者たちに明示的に資金を提供したと自慢しているイスラエルのガザ軍事総督を引用し、次のように述べている。

「政治的に言えば、イスラム原理主義者は、PLOの世俗的支持者と対立していたために、イスラエルにとって有益であると時々見なされていた。ヨルダン川西岸の大学キャンパスでは、2つのグループ間の暴力が時折勃発した。ガザ地区のイスラエル軍総督、イツハク准将はかつて、PLOや共産主義者への対抗手段としてイスラム運動にどのように資金を提供してきたかを私に語った。「イスラエル政府は私に予算を与え、軍事政権はモスクに予算を与えている」と彼は語った。
ドレイファス氏が指摘する1980年代、ガザとヨルダン川西岸のムスリム同胞団はイスラエル占領に対する抵抗を支持しなかった。そのエネルギーのほとんどは、大学キャンパスでのPLO、特にその左翼派との戦いに注がれた。

1987年のパレスチナ蜂起後、PLOはハマスとヤシンが「反動的なアラブ政権の直接支援を受けて…イスラエル占領と共謀して」行動していると非難し、ヤセル・アラファト大統領はイタリアの新聞に対し、「ハマスはイスラエルが作ったもので、シャミール首相の時代にイスラエルに資金と学校、大学、モスクを含む700以上の施設を与えた」と不満を述べた。

アラファト大統領はまた、イスラエルのラビン首相がホスニ・ムバラク氏の面前でイスラエルがハマスを支援していたことを認めたと主張した。(訳者注:ホスニ・ムバラク氏はエジプトの元大統領で、イスラエルのラビン元首相はパレスチナのアラファト初代大統領との和平協定のオスロ合意に調印し、アラファト氏とともに1994年ノーベル平和賞を受賞したものの、和平合意に反対するユダヤ人青年のイガール・アミルに1995年暗殺された方です)

本質的に、アナリストのレイ・ハンナニア氏がカウンターパンチ誌に掲載された 「シャロンの恐怖の子」で指摘したように「和平プロセスを弱体化させることは常にハマスの本当の標的であり、リクードの政治的野望に影響を与えてきた。イスラエルとパレスチナの交渉者が登場するたびに」和平実現に向けて大きな一歩を踏み出そうとしているところに、ハマスのテロ行為が和平プロセスを妨害し、双方を引き離した。」(訳者注:「リクード」はネタニヤフ首相が党首を務める政党)

現在の歴史誌の「ハマスとパレスチナにおける政治的イスラムの変容」の中で、サラ・ロイは次のように書いている。

「一部のアナリストは、ハマスの指導者が標的にされている一方で、イスラエルは(パレスチナ自治政府の)最終的な崩壊を確実にする方法として、そしてパレスチナのナショナリズムを これを最後にきっぱりと消滅させる取り組みとして、世俗国家主義勢力よりもハマスを推進するという古い戦略を同時に追求していると主張している。」

結論
ムスリム同胞団と、ハマス、アルカイダ、ビンラディンなどのその多くの現れは、常に存在し、でっち上げられた「テロリスト」
脅威として機能し、国内での抑圧措置を正当化し、国外で拡大する帝国主義的目的を正当化する口実として常に利用されている。


なぜなら、一般大衆には知られていないが、「政治的イスラム」の脅威に関するあらゆるレトリックにもかかわらず、世界中でムスリム同胞団を操作することが依然として米国外交政策の柱となっているからだ。

(和訳終了)

 

 

そしてイスラエルとハマスの関係が今も続いているのかどうか、私は知らなかったのですが、最近、下のような記事を発見しました。少なくとも2019年か2020年までは イスラエルとハマスの関係(イスラエルがハマスに資金援助)は続いていたようです。

ネタニヤフ首相がムスリム同胞団が実権を握っているカタールに対し、ハマスへの援助を続けるように要請していた というのです。

その記事はイスラエルの新聞のHaaretzから2020年に出ているものです。↓

 

 ↓

モサド長官、ドーハ(カタールの首都)を訪れ、カタールにハマスへの資金援助を続けるように促した

イスラエルのモサド長官とイスラエル軍の司令官がネタニヤフの任務で(カタールへ)送られたことはアビクドール・リーベルマン氏によって明らかにされた。

(写真下の説明文)
モサド長官のヨッシー・コーエン氏がテルアビブ大学でのサイバーセキュリティ会議に出席。
 

__________

 

上の記事は ハマスの母体であるムスリム同胞団の影響力が強いカタールに対して、イスラエルがハマスへの資金援助を継続するように要請していた というイスラエルの新聞の記事ですが、もう1つ、イスラエルとハマスの密接な関係が 少なくとも2019年までは続いていた という決定的な証拠の記事をご紹介します。

 

イスラエルのネタニヤフ首相が2019年、彼が党首を務める政党「リクード」のミーティングで、ハマスの強化と送金を呼びかけていたのです。下のリンクはカナダ発のオルタナティブメディア、GlobalResearchの記事です。

 

Israel Fostered the Rise of Hamas, Even After It Turned to Terror

 

(以下、記事の和訳開始)

 

イスラエルはテロに変わった後でさえもハマスの台頭を支援した

 

土曜日のパレスチナ組織ハマスによるイスラエルへのテロと軍事攻撃を受けて、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は次のよう に宣言した。

「文明の力はハマスを倒すイスラエルを支援しなければなりません…ハマスとの戦いにおいて、イスラエルは自国民のために戦っているだけではなく、野蛮行為に立ち向かうすべての国のために戦っているのです。」

こうした感情は、ネタニヤフ首相が2019年に非公式に共有した感情とはかなり異なっている。

パレスチナ国家樹立を阻止したい者は誰でも、ハマスの強化とハマスへの送金を支持しなければならない」とネタニヤフ首相はリクード党議員らに語った。

そうすることで、ヨルダン川西岸に本拠を置くパレスチナ自治政府(PA)がガザを支配し、パレスチナ人に交渉の場で比較的穏健で統一された発言権を与えることを防ぐことができるだろう。

「これは、ガザのパレスチナ人をヨ​​ルダン川西岸のパレスチナ人から隔離するという我々の戦略の一部です。」

 

イスラエルによるハマスの無謀な搾取は、ハマス自体と同じくらい古いものである。実際、ネタニヤフ首相の密室での率直な発言の数十年前に、イスラエル政府は直接的および間接的な財政支援によってハマスを初期の台頭へと押し上げた。

1970年代を通じて、イスラエルの宿敵はパレスチナ解放機構(PLO)であった。ムスリム同胞団から生まれたハマスとはまったく対照的に、PLOはファタハ派を率いるヤセル・アラファト氏が率いる世俗的左翼組織だった。

元CIA高官が2001年にUPIのリチャード・セールに語ったように、イスラエルによる最初のハマス強化は「競合する宗教的代替手段を利用することで、強力で世俗的なPLOへの支持を分断し、弱めようとする直接的な試みだった」。

1967年の戦争後、ガザではイスラム主義団体が台頭し始め、ガザでのパレスチナ難民の生活をより良くするために教育、文化、社会、インフラの取り組みに取り組んでいた。

1978年に初めてイスラエル当局に登録されたとき、ハマスは半盲で車椅子のイスラム教聖職者シェイク・アハメド・ヤシンによって率いられ、ガザ全域で学校や診療所を立ち上げた。イスラエルは彼の努力を支持し、ガザ・イスラム大学の設立も承認した…この大学は後にイスラエルの爆撃に値するとみなされる過激派の中心地となる。

ガザ知事でヤシンと頻繁に連絡を取り合っていたイスラエルのイツハク・セゲフ准将はウォール・ストリート・ジャーナルに対し、ヤシンの究極の目的――イスラエルをイスラム国家に置き換えるという――とハマスのイデオロギーの危険性を完全に理解していたと語った。しかし、当時イスラエルはPLO主導のファタハを弱体化させることを優先していた。

米国が支援する世俗的な政権がイスラム共和制に取って代わられた1979年のイラン革命をきっかけに、ハマスや他のイスラム主義者の人気はさらに高まり、野心的かつ暴力的になった。

それにもかかわらず、イスラエルの財政的支援は継続したと米国情報筋はUPIに語り、支援には新たな根拠ができた、つまり情報を得てハマスのメンバーの中で最も危険な人物を特定するためだと述べた。

しかし、別の米政府関係者は、イスラエル・パレスチナ紛争解決の進展のチャンスを消し去るという、はるかに邪悪なイスラエルの目的を強調した。「一部の右翼イスラエル支配層の考えは、ハマスや他のグループが支配権を掌握すれば、和平プロセスへの関与を拒否し、締結された合意を台無しにするだろうというものだった」と述べた。関係者は言った。

そうすれば、イスラエルはパレスチナ側に「和平のパートナー」がいないことを不誠実に嘆きながらも、二国家解決への口先だけの対応を続けることが可能になるだろう。その間、イスラエルはパレスチナ人の住宅を取り壊し、ヨルダン川西岸のイスラエル人入植地をさらに承認し、イスラエル占領地での隣接するパレスチナ国家の樹立を阻止することで「現場の事実」を変え続けるだろう。

宗教シオニスト党の党首であり、2015年には現在イスラエル財務大臣を務めているバザレル・スモトリヒ氏は、2015年にこう述べた。

「国際的な競技場、非合法化のこのゲームでは…パレスチナは負債であり、ハマスは資産である。テロ組織だよ。誰もそれを認めないだろうし、誰もそれを[国際刑事裁判所]で地位を与えないだろうし、誰もそれを国連で決議を推し進めさせないだろう。」

「イスラエル右派の目には、イスラエルに対する本当の脅威はハマスの暴力やテロリズムではない。危険なのは和平協定…そしてパレスチナ国家の樹立だ」とテルアビブを拠点とする+972マガジンのメロン・ラポポート氏は書いた。

イスラエル右派が好意を寄せる過激派集団はハマスだけではない。初期のネタニヤフ政権下では、イスラエルは負傷したアルカイダメンバーに医療援助を与え、シリアの世俗的なイランと同盟を結んだ政府と戦うために彼らを送り返した…そこで彼らは必然的に民間人も拉致し、拷問し、殺害することになるだろう。元モサド長官エフライム・ハレヴィ氏は、「私の記憶の限りではアルカイダはイスラエルを攻撃していない」ため、イスラエルの援助は受け入れられると述べた。

ネタニヤフ首相は、自身に対する汚職事件の一つに対する証言録取書の中で、ハマスとレバノンに本拠を置くヒズボラについて言及し、次のように述べた。

「私たちには敵対する隣人がいます…彼らと合意に達することは不可能です…誰もがそれを知っていますが、私たちは炎の高さを制御します。」

この発言はネタニヤフ首相の伝説的な傲慢さを示すだけではない。エジプトの情報大臣がハマスの奇襲攻撃――「何か大きなこと」――に備えるようネタニヤフ首相に直接警告したとの報道を踏まえると、ネタニヤフ首相が未知の次元の攻撃の展開を容認して満足していた可能性も強調している。許容できる高さであれば、彼の過激派政府の政策には役立つだろう。

 

(和訳終了)

 

上の記事の中でネタニヤフ首相が ハマスは「炎の高さ」を制御できるが、ヒズボラと合意に達することは不可能 というようなことを言っているのは ハマスは自分たちが作り上げてその前身の「ムスリム同胞団」の時代から資金を与えて育て上げてきたのでイスラエルの諜報機関でほぼ制御ができるが、レバノンの合法政党でありシーア派武装組織でもある「ヒズボラ」は イラン軍のレバノン支部(一部はシリアでも活動)みたいなものなので、米英イスラエルが育ててきたアルカイダやハマスとは違って、米英側のコントロール下にはないということです。

 

上でご紹介した2つの記事で分かる通り、イスラエルとハマスの関係は 少なくとも2019~2020年までは続いていたことが誰でも記事で確認できるわけで、もしも今でもその関係が続いているのであれば、10/7にイスラエル民間人に対してテロ攻撃を行い宣戦布告したハマスは ガザからパレスチナの一般市民をイスラエルが「民族浄化」するのを 結果的に助けたことになります。