一昔前の乳児院では、決まった時間に起き、
一人で遊び、だっこを求めるでもなく、
ミルクもベットでおとなしく飲み、
泣くことも滅多にない。
しっかりした赤ん坊がよく見られた。
だが、彼らは実は、時計仕掛けの人形にすぎない。
押しつけられたスケジュールに自分をあわせて、かろうじて安定を保っている。
それは全くの他律であって自律とはほど遠い。
だから、他からの強制がなくなったとき、
激しいフラストレーションを起こす。
初めて見る玩具、珍しい食品などに何一つ関心を示さない。
起きる時間、眠る時間、そして食事から排泄までぴったりと決まっている。
親の寵愛を一身に受けて育った子は、一般や他人に対して寛容だ。
玩具など他人にとられても気にせず
激しい攻撃的行為にでることもない。
噛みつきが乳児院では多発したが、ほとんどは愛情への餓えが原因である。
よその子を虐めることの多い子は、たいてい愛情に不満がある。
しつけを、規律にしてはならない。
一つの形式を絶対的な形式にして、
子どもに守らせることは、決して自立した人間を育てることにはならぬ。
それは服従とあきらめの心を育むだけだ。
食べること、排泄すること、眠ること、これらは元来人間にとって生理現象だ。
他人が勝手に干渉すべきものではない。
現代の文化は、人間の自然を極端に歪めた上で成り立っている。
本質的に不健康である。
赤ん坊には、不健康な文化を押しつけないようにしよう。
そうすればきっと、大人たちも健康な文化に気づき、それを取り戻す契機をうるだろう。
だから、本に書いてあるように、
何歳の子は何時間眠らなければならぬなどと考えることはない。
医者や保母がよく言うように、昼寝は何回何時間で、夜は何時に寝かしつけるべきなどと決めつけてしまういわれはない。
眠りは、そのこの心身の欲求と、生活の都合にあわせて、適当にとられれば、それでよいのだ。
眠たそうなのに眠れない様子が見られたら、安心させてやることが大切だ。
寝かしつけるという営みを、行儀にしてはいけない。行儀では、快適な睡眠は得られない。
寝付きは満足の産物だ。
従って、心身の活動に満足を与えてやらねばならぬ。赤ん坊にとって、一番いい方法は、その子が信頼し、抱擁を求める人が、すぐそばにいてやることだ。
眠れぬ子は抱いてやるのがもっとも良い。
オススメの新エミール、絶版からの引用でした。