神戸市北区に伝わる怖い話~唐櫃に伝わる有馬海道怪談~四鬼家の火縄 | こじょるのおこじょなえぶりでい

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暑くなってきましたね。


暑くなってきたら恋しくなるのが夜とかき氷。


そして、怪談ですね♪笑





***




私が子供の頃に住んでいた神戸市の唐櫃はとても古い村?町?で


三ノ宮等の繁華街と六甲山を越えて反対側です。


古くは、三ノ宮の方を「六甲山」と呼び


有馬温泉(唐櫃)側を「唐櫃山」と呼んでいました。





神功皇后が朝鮮半島から帰って来た時に布土の森に金の鳥の入った櫃を埋めて


「唐櫃(からと)」となったとか。


この櫃は、村に危機が訪れた時にあけよといわれていたのに


村の若者が悪ふざけであけてしまい、結局櫃には何もありませんでした。


当事者の若者3名から死がうつり、村中疫病が蔓延。


殆どが息絶えました。


この時、櫃のフタを反対にして若者たちが戻したから良くなかった等で


元に戻して丁重にお参りしたそうです。


「それ以来、布土の森の祠ではなく、もう少し北の大きな岩の下に埋め直した」


と、当時小学生だった私たちの中ではまことしやかに伝わっていました。






さて、こんな古いお話が普通に息づいている村?(笑)町?(笑)


で育った私達にとって、恐ろしい昔話がありました。


有馬海道の闇の化け物


のお話です。









唐櫃では「四鬼さまの火縄」という伝説があり、これに関連しています。


私が小学生の時、普通に四鬼家のおじさんおばさんがいらっしゃいましたので


今も「四鬼家」は残っています。


この四鬼家は、古くは奈良の行者の家系で、はるか昔は唐櫃を治めていたようです。





唐櫃山(有馬海道)にはたくさんの魔物が住んでいて、


四鬼家はそれらの魔物から身を守ってくれる「火縄」を作ってくれる


ありがたいお家でした。


唐櫃村に住むものは皆、夜外出は控えていましたし


もしどうしても山越え・有馬海道を夜行く時には


四鬼家火縄を頂いたようです。









ある日、有馬海道をどうしても行く必要があった村の若者は


四鬼様の火縄を持って、街道を行きました。


当たりは塗りつぶしたような漆黒の闇。


木の騒めき、自分の足音、動物の気配。



歩き進めていくと、どこからかクスクス、クスクスという笑い声が聞こえます。


振返っても、誰もいない。


真っ暗な森の中を、自分の行灯を頼りにまた歩き進めると


どんどん、笑い声が大きく、耳のすぐ息のかかるところまで


近くなってきます。


恐ろしくなった若者は、四鬼様の火縄に火をつけまわし始めると


自分のすぐ周りからざざざざーっと「闇」そのものが逃げて行ったそうです。


そして、笑い声も、消えました。






ある日、大阪の方からの商人がやってきて、このまま山越えをして、有馬海道を


行くということになりました。


村の人たちは彼を止め、どうしても行く必要があるのなら


「四鬼さまの火縄」を持って行くようにと伝えましたが


商人は「オオカミであれば刀があるし、火もあるから大丈夫だ」


といって行ってしまったそうです。


男は無事にたどり着けただろうか。



村人たちが心配をしていると、翌日、有馬海道を抜けてきた人が助けを呼びに来ました。


村人たちが駆けつけると、無残にもバラバラになってしまった


商人だったものが有馬海道にぶちまけられていました。










・・・・・・・。


ね?笑


これ、当時8歳の私には衝撃でした。笑





兵庫県、唐櫃にある吉祥院多聞寺の前身は四鬼家で


六甲の西側「唐櫃山」の修験道を取り仕切っていました。


神戸に開拓の波が来て、市町が山を売り払い、


山に光が入り、ブナやコナラは死に絶え、伐採と山火事が繰り返され


100年ちょっと前の六甲山はかなり土が露出していました。


植樹活動が進んで今の山に残っても、


もう、そこにいた「何か」たちはきっと、消えてしまったんでしょうね。





子供の頃、山でそんなことを沢山感じました。