母のオルガノン【aboutクラシカルホメオパシー】 | こじょるのおこじょなえぶりでい

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私の母は、ホメオパス(クラシカルホメオパシーをする人)です。

私の母であり、私のクラシカルホメオパシーの先生でもあります。





中学生?高校生?の時、初めてクラシカルホメオパシーの本を手にした時

(百科事典でしたが)

私の趣味に合致する、その不思議な魅力に惹かれながらも

幼さから反発心を持つこともありました。





しかし、きちんと向かい合うと非の打ちどころがなかった。



数百年の歴史の中で数えきれない人たちが実証し続けてきた裏付けとして

症状別に膨大な情報を事典化した赤いレパートリィ。

鉱物・植物・動物のレメディのそれぞれの細かな薬効書としてのマテリアメディカ。

美しいと思いました。

これほど体系化された自然療法はほかにあるのでしょうか、と。

私には、衝撃でした。










母の書いたBlogがとてもわかりやすく、良かったので

ここに掲載してみます。

そ、と優しい気持ちで読んでやって下さると幸いです。

優しい母ですから。









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ホメオパシーの創始者サミュエル・ハーネマンは、亡くなる前年まで推敲を重ね、その生涯をかけて、「オルガノン」という本を残しました。
ホメオパシーのバイブルと言われ、ホメオパシーの原理・原則が書かれています。





「オルガノン」は、次のように始まります。






§1 療法家の使命は、「病の人」を「健康」にすることであり、これが本来、治療と呼ばれるものである。

§2 理想的な最高の治療は、速やかに、穏やかに、持続的に、「健康」を回復させることである。

すなわち、容易に理解できる諸原則に基づき、最も短時間で、最も確実に、最も負担なく、病気をそのすべてにわたって除去し根絶させることである。






私の主人が、初めてホメオパシーの入門セミナーにでかけて、話を聞いてきたのは、2000年の春、脳出血で倒れてから5年後のことでした。

講師は、ルーマニア人の女医である、ミハエラ・シェルブレア先生。

彼女は、5か国語を使いこなせる才媛ですが、彼女にとっては、母国語ではない言葉での講義。
そのうえ、観念的なところも多かったのだと思います。
とてもわかりにくいお話だったようです。






しかし、それにもかかわらず、主人は彼女の話に強烈に引き付けられ、興奮して帰ってきました。

「そんな、うまい話はないだろうな。でも、なにか、本物のような気がする。」

「俺は、自分の勘にだけは、自信がある。なにか、ピンと来るものを感じる。」

たしか、こんな風なことを、いっていたようでした。




ホメオパシーの入門セミナーですから、オルガノン§1、2について、ミハエラ先生は、彼女なりに、一生懸命お話ししてくださったのだと思います。





ホメオパシーでは、人間の肉体を部分の寄せ集めではなく、ひとつの全体としてとらえます。

人間は機械ではなく、バイタルフォース(生命力)によってまとめあげられた存在。
自ら、進歩し、機能し、修復する力を持っています。

病気というのは、単に肉体のある部分に起こったものではなく、全体をまとめあげる、目に見えないバイタルフォース(生命力)の乱れです。
ですから、ホメオパシーでは、部分に起こった症状を取り除くのではなく、それらを支配しているバイタルフォース(生命力)に働きかけることをします。
そして、ホメオパシーには、それをするために、レメディという「手段」があるのです。





このようなことを話されたのではないでしょうか。





当時の、主人の状況といえば、大規模脳出血を起こし、開頭手術によって一命をとりとめてから、5年がたっていました。

199411月、突然の脳出血の発作は、東京出張中の出来事でした。
私は、あわてて病院に駆けつけましたが、時間とともに、死が近くなっていくのが、誰の目にも明らかな状態でした。

一昔前なら、突然死ということだったと思います。

それを、現代医学は、高度な技術を駆使することによって助けてくれました。





死を覚悟で望んだ手術でしたが、手術の翌日病院にいくと、主人はすがすがしい表情で、目も、パッチリ開けていました。

意識も鮮明で、食欲も旺盛。

体の自由はまったくきかないものの、生きる意欲にあふれていました。

東京の日本医科大学での、42日間は、死の淵に立たされたところから、リハビリをして、なんとか杖を突いて歩けるところまでの回復を体験した、感動の日々でした。






今の医学はすごい!
こんなすごいことができるのですから、それから先も、順調に「健康」を取り戻せるものだと、わたしたちは気楽に考えていました。





しかし、現実には、発症して5年たっても「健康」のレベルはずっと足踏み状態。
後遺症の左半身の麻痺と、痙攣発作と、それを止めるための薬の副作用の三重苦にもがく、「病気の人」のままでした。
医者は、体の不自由さや、発作、副作用とうまく付き合いながら生きていくことを、受け入れるようにいうけれど。
主人は、それができなくて、「健康」を求め、様々な民間療法を彷徨う「病気の人」をずっと続けていました。




発症して5年。
主人が、ミハエラ先生から、ホメオパシーのお話をきいたのは、「病気の人」の自分が「健康」になることを、そろそろ、あきらめかけていたころだったかもしれません。
そのときにホメオパシーの入門セミナーで聞いた、なんだか、不思議で、ありえないような話。
疑いながらも、勇気を出して、一歩踏み込むことを決めたのだと思います。




それから、かれこれ14年がたちました。
主人は、「病気の人」からずいぶん、「健康」な状態に回復することができたと思います。
痙攣の発作は起きなくなりましたし、副作用に苦しんだ薬からも解放されました。
左手は、まだ麻痺したままなのですが、身体全体の柔軟さのせいか、麻痺していることに気が付かない方も多いようです。
歩くのは、五体満足な私より、はるかに速いです。
これは、せっかちな性格のせいだと思うのですが・・・。





200年前に生きていたハーネマンは、当時の医療を、「病気の人」を「健康」にしていくことが、あまりできていないと感じたようでした。

彼は、絶望して医師をやめます。

そして、翻訳の仕事をしていたときの偶然のできごとから、それが、可能になる方法を確立します。

現実への絶望からスタートしていますから、オルガノンは、大変批判的な調子で書かれています。

そして、当時の医療に、厳しい言葉を投げつけたハーネマンは、自らも、世間から激しい攻撃を受けました。




でも、オルガノンを読んでいくと、ハーネマンは、足元からしっかりと現実を見つめて考えた人だということがわかります。

そして、残念ですが、今も、やはり、ハーネマンが批判したようなことが行われているようにも感じます。





私も、ホメオパシーを学び、その恩恵を受けることで、ずいぶん元気になってきました。

それは、レメディを使ったからということだけではなく、健康観が変わったことが大きいと思っています。




私は、ホメオパシーに出会い、オルガノンに親しめたことを、とても幸運だったと思っています。

そして、ともに学ぶ人が、もっと、もっと、もっと、増えて欲しいなと思うばかりです。





SUNNY GARDEN
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