十国峠は富士山の見える本当に景色の良いところだ。
熱海や伊豆方面は山の陰になって見えないが、真鶴半島はよく見える。
山頂の広々とした展望広場も明るい雰囲気でよい。
ここで1時間ほど過ごしたのち、下りのケーブルカーに乗った。
この室内の天井の窓際にこのケーブルカーの製作会社のプレートがつけてあった。
それは日立製作所。昭和31年。
ここで記憶を整理してみた。
自分の修学旅行は昭和40年。
つまりその当時にはこのケーブルカーはあったということだ。
日本のケーブルカーは高尾山、筑波山などの有名観光地には戦前からあった。
しかし戦中に廃止されている。
そして戦後に復活している。
昭和31年開設もそうした波に乗ったものだろう。
つまりじぶんもこのケーブルカーに乗って、山頂まで行ったということだ。
そしてそこから枯草模様の伊豆高原、箱根高原を見た。
しかし富士山はみえなかった。
西日本の人間にとって、いや関東以外の人間にとって、富士山はあこがれの的だ。
自分の高校には変な都市伝説があった。
受験で東京に行く際に、富士山が見えれば受験に落ちるということだ。
したがって見ないほうが良い。
自分はあの時、夜行急行の『出雲』で行ったので富士山は見えなかった。
ケーブルカーを降りたときに、ここの社員に自分は昭和40年にこのケーブルカーに乗ったことがあるといった。
そうしたらバスの駐車場だけでは景色が見えないので、確実にそうでしょうと答えていた。
ケーブルカーのことはすっかり忘れていたが、山頂からの枯野のことは記憶に焼き付いている。
この景色は昔と全く同じだ。
なぜここに連れていかれたのか言う疑問はここで解けた。
それは富士山を見せたかったからだ。