霧ケ峰高原から諏訪盆地に下る道の途中に茅野市尖石縄文考古館という施設があるのでそこに行ってみた。
正直縄文時代の遺跡がこの付近にあるというのは最近始めて知った。
社会科の歴史教科書には縄文時代の記述は少なく、弥生時代になってからが日本の歴史の始まりだっというような論調で書かれている。
『古事記』『日本書紀』もそのあたりのことから始まっている。
縄文時代のことは北海道北東北の縄文遺跡群が世界遺産に指定されてから急に存在がカミングアウトし、広く知られるようになったのはほんの最近のことだ。
この赤い点が諏訪湖周辺の縄文遺跡群。
おびただしい数になる。
この写真は撮影した方向がねじれているので、右上方向が甲府方面、右下方向が伊那、駒ケ根、飯田方面になる。
縄文人の生活のためには水と自然環境は絶対必要で、淡水の諏訪湖に流れ込む川や天竜川上流の支流がその役割を果たしている。
この博物館のメインと思われる縄文土器。
土器は主に鍋として使われている。
この中にドングリや栗などの好みを入れて煮炊きしたものと考えられている。
決行形の整った土器も出ている。
かけらで出てきたものは修理補修がされている。
この博物館の最大の見世物といえばこの土偶だろう。
土器と違って鑑賞に堪ええる芸術性がある。
姿は抽象的であり、何故写実的ではないかはちょっと自分にはわからない。
弥生の埴輪になるとかなり実物に近くなり、飛鳥時代からの仏像になると完全に人間の姿と同じものになる。
ここにも黒曜石があった。
右の小さい三角形は石鏃(せきぞく)といわれる槍の矢じり。
この諏訪湖周辺の縄文集落も当然霧ケ峰を挟んだ反対側の和田峠付近からの黒曜石採取場から手に入れていたものと思われる。
ここにも同じく縄文土器作成のためのクラフト体験場があった。
子供の夏休みの宿題や自由研究の材料として使われているようだ。
その他にもおびただしい数の出土した土器の展示がある。
近くにいた学芸員に質問をしてみた。
これだけの出土品や遺跡跡があるのなら何故世界遺産の指定を目指さないのかと。
答えはここは北海道北東北と違って、遺跡の存在時期が7000年くらい前の縄文中期に偏っており、ちょっと存在感が薄いのではないかと。
北海道北東北は日本の新石器時代のすべてにわたって縄文遺跡が存在している。
なおかつ紀元前後の続縄文時代や擦文文化(平安時代)、アイヌ文化(鎌倉時代以降)などを通じて現在に連なるものもある。
ただしこの地方がこんなに縄文時代の出土品が多いとは思わなかった。
めぼしいところを掘ればまだまだ出てくるだろう。