ラッキーピエロ港北大前店のプレスリー | 全国のスーパーで買うご当地食品を探しに(Seeking for the local food products in Japan)

全国のスーパーで買うご当地食品を探しに(Seeking for the local food products in Japan)

食品スーパーが好きな私は、その土地でしか売られていないものを見つける旅に最近車でよく出かけています。現在住んでいる首都圏のスーパーでは見かけられないものを、各地のスーパーの売り場でご当地食品見つけたいと思います。

前日のラッキーピエロでのハンバーガーでの感動がすごかったので、あらためて今度は別の支店に行ってみた。

 

この日の午後大間行きのフェリーで帰る予定だったので、行ったのは港にも近いラッキーピエロ港北大前店。

 

 

 
この店はハンバーガーの他にも色々とやっているようだ。
 
 
一般的な洋食である。
 
 
そして店に入る前の入口のところに置いてあったのは車に乗っているプレスリーの模型。
 
 
 
 
この店のコンセプトはアメリカンなのだ。
 
 
前日の店が1950年代のアメリカだったが、ここも同じか。
 
 
 
 
店の販売方式はショッピングモールのフードコートと同じ形式だ。
 
 
しかし前の店とは違うところがあった。
 
 
それはプレスリー。
 
 
 
やたらとプレスリーが置いてある。
 
 
思わず懐かしさがこみあげてきた。
 
 
今振り返ってみても自分はアメリカの偉大なシンガーで、ロックの大御所プレスリーをリアルタイムでは見ていない。
 
 
プレスリーは1950年代の後半(昭和30年代の前半)に大ヒット曲を連発した歌手である。
 
 
ロック曲のハウンドドッグ、監獄ロックは言うに及ばず、バラード曲でもさえわたり『愛さずにはいられない』、ラブミーテンダーなどの名曲を残した。
 
 
しかし自分はそれらを知ったのはずいぶん後ほどだった。
 
 
自分がポピュラーミュージック(今の言葉では洋楽)に興味を持ったのは1965年の1月。
 
 
当時多数あったラジオの音楽リクエスト番組、特に9500万人のポピュラーリクエストから聞こえてきたのは、ビートルズの『I FEEL FINE.』。
 
 
ボーンニョーで始まるいたずらっぽい逆再生音がキャチャーだった。
 
 
ビートルズは前年の1964年にヒット曲を連発して世界を席巻した。
 
 
その勢いは1965年も続くばかりか増していた。
 
 
そして日本ではもう一つの雄があった。
 
 
それはベンチャーズ。
 
 
テケテケテケテケの下降ミュートグリッサンドがこれまたキャチャーな『ダイアモンドヘッド』も絶賛ヒット中で、日本にエレキブームが走った。
 
 
さてプレスリーはどうかというとこのビートルズなどのイギリス系ロックグループの大量デビューにより隅に押しやられていた。
 
 
 
 
プレスリーのヒット曲は初期のものが多く、1958年に兵役入隊、そして1960年の満期除隊までの2年間のブランクは大きく、その後はかつての勢いはなかった。
 
 
韓国の東方神起、BTS、プロスポーツ選手なども同じ問題を抱えており、勢いのある芸能人にとってこの兵役問題は極めて深刻である。
 
 
自分は勢いの衰えたプレスリーしか知れないが、1970年ごろラスベガス公演で派手な衣装をまとって、多少太めのプレスリーが登場したのにはかなりイメチェンしてきたと思った。
 
 
これはプレスリーを復活させたので成功だと思った。
 
 
1977年の42才での死は突然だった。
 
 
アメリカの芸能界には薬物の問題が常に付きまとっている。
 
 
 
 
1935年(昭和10年)生まれなら今年で87才であり、まだ生きていてもよい。
 
 
ビートルズの面々より5才ほど年上だ。
 
 
そして長嶋茂雄と同学年、加山雄三より二才年上。
 
 
ビートルズにプレスリーは20世紀後半、(昭和戦後)の音楽界における偉人であったことには間違いない。
 
 
さて今回は何を注文しようか。
 
 
せっかくいろいろなメニューがあるのでちょっと違ったものをと思った。
 
 
実はその前にクラシックカレーで有名な五島軒にも行ったので腹が続かない。
 
 
 
 
選んだのオムライス。
 
 
上にかかっているのはデミグラスソースだったのか、カレーだったのかは忘れた。
 
 
 
 
マイルドな感じで特に何か特徴があるというわけでもない。
 
 
しかしここでこのメニューをたのむ人はあまりいないと思う。
 
 
8割がたはチキンバーガーだということだ。
 
 
有名飲食店に最初に行った場合は、自分の好みはさておき、やはり一番の人気メニューを選ぶべきだ。
 
 
そうしないと話題性に欠ける。
 
 
ここで北海道の旅は終了で、こののち青森県大間行きのフェリーに乗った。