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「15年間で4,800の手紙をビンに詰めて海に投げたら、
世界中から3,100の返信があった」という短い話

$shellvalleyのブログ-ボトルを投げる

カナダのプリンスエドワード島に住むハロルド・ハケットさんの趣味は、
手紙をビンに入れて海に投げること。
手紙には、「お手紙をください」と書いてある。

そして、こんな古典的で信頼度の低いソーシャル・ネットワークが、
まるでツイッターのように世界の人々と繋がることができることを証明してみせた。
過去4,800のメッセージを大西洋を経由して送り、なんと3,000以上の返信が
世界中からあったのだ。

ハケットさんがこの偶然に頼ったコミュニケーションをはじめたのは、1996年の5月のこと。
蛍光の紙に書かれた手紙は、クランベリーやオレンジ・ジュースのボトルに入れられる。
手紙には日付が書かれている。中には13年後に返信があったものある。
海に投げる前には、風向きを確認する。
西風または南西の風なら最高だ。

shellvalleyのブログ-ボトル

ハケットさんは、世界中から返事を貰った。
アフリカ、ロシア、オランダ、イギリス、フランス、スコットランド、
アイルランド、ノルウェー、そしてバハマからも。

shellvalleyのブログ-帰ってきた手紙

そして世界中に友達ができた。
今での世界中からクリスマスカードやプレゼントが贈られてくる。
ハケットさんは手紙には電話番号はわざと書かない。
この手紙を待つという「古いやり方」がだいすきなのだ。

shellvalleyのブログ-世界地図

via BBC
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-14859116


CNN presents: Footnotes of 9.11

500ページを超える「9.11調査報告書」は、以下の文章から始まる。

2001年9月1日は、雲ひとつない快晴だった・・・

そして、この報告書には1000を超えるFOOTNOTES=「脚注」がついている。
報告書の本文には掲載されなかった脇役の人達に、何がおこり、そして10年たったいま
どのような事を考えているのか。

これがこの番組の趣旨だ。


番組は、複数のストーリーが同時に進んでいく。

アメリカン航空のチェックイン・カウンターで働いていた男性は、
ボストン発ロサンジェルス行きの11便の担当だった。

ワールドトレードセンターに最初に突入した航空機だ。

「ファーストクラスの2400ドルもするチケットを持った2人がきました。
 主犯格のモハメド・アタは、身分証明書を見せるときに私の顔を全く見ないで
 うつむいていたのです。
 まるでアラブのテロリストみたいだと思いましたが、
 アラブの人達をそんな偏見の目で見てはいけない、と思い直したのです。」

数時間後、彼はすぐに気付く。
「あいつらだ!」
FBIがたくさんの写真を持ってきた。
「すぐにあの2人が分かりました。」

そして彼は10年間苦しみぬくことになる。
「定年退職後、8ヶ月ほどたったときに、ノイローゼになりました。
 家の前に停まっている車から、犯人たちが私を見上げる幻覚をみたりもしました。
 もちろん彼らが死んだということは分かっています。
 でも・・・」


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別の空港の職員は当時の状況をこう話す。

「搭乗時刻が近付いて、空いているカウンターに2人がやってきましたが、
 すぐにチェックインしない。おかしいなと思ったのです。」

ワシントンDC発ロサンジェルス行きのアメリカン航空77便。
ペンタゴンに激突した飛行機だ。

そして、犯人のアルハズミ兄弟について、
「ロスに行くのに荷物は一つだけ。さらに一人はニコニコしすぎているし、
 もう一人は落ち着きがない。
 通常このような不審者がいると、暫く後を尾行してから、
 空港の警備員に教えるのですが、この日は2、3歩、歩き出して止めてしまいました。
 私は人種的な偏見でやっているのではないかと思ったからです。」

9.11の犯人がその2人だと分かったのは、翌日、FBIの捜査官がやってきたからだ。

「1秒で犯人が分かりました。」

それから後悔の日々が続く。

「私がやったんだ。私が犯人達をチェックインさせてしまったんだ。
もし私があの時、別の行動をとっていれば・・・
今でも一日として、そのことを考えない日はありません。」

仕事に戻ることが辛く、職場に復帰するまで数ヶ月の時間が必要になる。
いっそ仕事をやめようかと思った。
復帰しても、またテロリストを飛行機の中に入れてしまうかもしれない、
その恐怖と戦わなければならないからだ。

それを救ったのが妻の一言だった。
「あなたが仕事に戻らなければ、それはテロリストの勝利ということよ。」
この一言が彼を職場に復帰させた。

「非常に残念なことが一つあります。
それは雲ひとつない青空を、嫌いになってしまったことです」



shellvalleyのブログ-19歳の女性兵士

中央の女性が今回のニュースの人、ニスリーン・アル=フォルガニさん。



19歳のリビア女性が、少なくとも11人の反体制派の捕虜の頭部を
AK-47で撃って殺害した。カダフィ大佐に代わって死刑執行を行ったというのだ。

「私が一人目を処刑すると、彼らはまた別の一人を部屋に連れてきました。」
リビアの首都トリポリの軍病院で武装警備員がついたベッドで
ニスリーン・アル=フォルガニさんは話し始めた。
「連れて来られた捕虜は、既に処刑された死体を見てショックを受けたようでした。
そして私は彼も射殺しました。私はわずか1mほど離れたところから撃ったのです。」

ニスリーンさんは、自分が好んで捕虜を撃ったのではないと主張する。
「彼らは、もし私が捕虜を殺害しなければ、私を殺害するといいました。
私は捕虜を殺したくなかったのです....
引き金を引くとき、私は捕虜を正視することができませんでした。
でも一人の(カダフィ軍の)兵士がライフルの安全装置を外し、
私に狙いをつけました。
私は、10人・・・たぶん11人を3日間にわたって処刑しました。」

ニスリーンさんは家族の友人に勧誘され、カダフィ大佐の女性防衛隊の支部に、
他の約1,000人の新兵と共に入隊。狙撃手としての訓練を受けた。
そして首都トリポリに戦火が広がるとともに、
カダフィ大佐邸宅近くの第77旅団本部に配属された。
リビア最高指導者の跡取り息子サイフにも会った。

「サイフは防弾チョッキを着用し、ヘルメットに飛行士用のサングラスを
掛けていました。友達がもっと近くで見ようと近付いたら、
サイフのボディーガードに頭を撃たれました。
友達は、本当に近くで見たいと思っただけなので・・・」

まだティーンエイジャーのニスリーンさんは、
何人かの軍幹部によってレイプされたという。
これは彼女が入院している病院の医師によっても確認さている。
「ニスリーンも被害者なのです。」
児童心理学者で現在ニスリーンが入院している病院でボランティアで働く
ガジャム医師は言う。
「彼女の兄弟が言うには、家族はニスリーンを取り戻そうと、
第77旅団の本部に行ったそうです。しかし兵士に脅かされて無理だったそうです。」

ニスリーンは、ビルの2階から飛び降りて逃亡し、今は反体制派のもとにいる。
彼女に付いている警備兵はいう。
「私たちの仕事は彼女の逃亡を防ぐことだけではなく、
カダフィ軍から彼女を守ることと両方あるのです。」


Via National Post