豊かさ  パート12 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-08-01(月)⑬】

 

  ※ 前以て 豊かさ1~11 を読んでからをお勧め致します

 

  豊かでないと感じなければ豊かってことでいいんでしょうかねえ

 

 誰でも半信半疑なんでしょうかねえ、確信を持って自分は豊かであるとか豊かではないとかを言えるんでしょうかねえ。

 

 他人のことになれば、一瞥するだけで白か黒かを決め勝ちですけどがねえ。

 

 こと自分のこととなるとそう簡単には結論は出せませんかしらねえ。


 

 まあーっ、取り立てて豊かではないとも感じないんなら、豊かかなって思っていてもいいのかなあ。

 

 死ぬ時には腹ペコの儘んまでは死にたく失いなあって思ってた時があったけれど、どうやらこの状態ならばそんな心配いらないんだろうなあ。

 

 間違い失く豊かさを感じられてるよなあ。

 

 今なんか逆に廻りにものが一杯あっても全部消化し切れないくらいだもんなあ。


 

 何か足りないってものあるのかなあ。

 

 想像力が貧困だからなのか、「元気」くらいしか思い浮かばないんですよねえ。

 

 「お金」は多くさんあるに越したことは失いけどが、自分の器量では使い切れる量ってのはそんなに沢山じゃ失いだろうから、間に合ってる分だけで足りちゃうしなあ。

 

 「暇」はもう、ブログ記事でお分かりのように暇人の極みですもんねえ、閑居して不善を為さないだけでも儲けもんなんですよねえ。

 

 「元気」さえ揃えば豊かでないとは感じないんでしょうけどが、年のこと考えればそれは贅沢な考えなんでしょうよねえ。


 

 期待値と実現率とのギャップが少なければ少ない程、豊かさを感じられるんでしょうかねえ。

 

 期待するものが大きければ、うんと頑張って実現すればいいんでしょうかねえ。

 

 大きく期待もしてうんと頑張った積りでも実現できてないと思えば豊かさを感じないんでしょうかねえ。

 

 そこそこの期待ならば、そこそこで手に入るんでしょうかねえ。

 

 そこそこなのにそこそこも得られなければ豊かさを感じられないんでしょうかねえ。

 

 どっちも豊かさを感じられないんでしょうけれど、それは人それぞれの好みの問題からですかしらねえ。

 

 個人の好みの問題ならどっちであろうが、どっちでも失かろうが、はたまた全然別のもんでもいいんでしょうねえ。


 

 個人の問題じゃ失くて社会の問題ならどうなんですかねえ。

 

 「豊かな社会」って何なんでしょうかねえ。

 

 「豊かな社会」って皆んなで目指した方のがいいんでしょうかねえ。

 

 「豊かな社会」って皆んなで築いていった方のがいいんでしょうかねえ。

 

 そうなると難しいんですよねえ、皆んな尺度が違うんですもんねえ。

 

 誰かが上手い絵図を描けますかねえ。

 

   ※ 以下 豊かさ パート13 に続く、但し掲載日は未定です。