豊かさ  パート2 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-08-01(月)③】

 

  前以て 豊かさ パート1 を読んでからをお勧め致します。

 

 誰かが持っていればそれで足りていた

 

 時間を知りたい時に時計を持っていなくとも時計を持っている人に「今何時ですか」と聞けば時間が分かる、持っていないということは持っていることと同じなんですかねえ。


 

 家にテレビがない頃、「テレビ見せて」と弟や妹を連れて親戚のおばちゃんの家に毎晩行ったんですよねえ。

 

 うちのお風呂に近所の方が一家揃って「貰い湯」に来てたんですよねえ。

 

 遠足の時リュックが失くて友達の家で借りて、水筒は余っていたので友達に貸して2人で仲良く出掛けて行ったんですよねえ。

 

 お醤油を切らしていて隣に借りにいかされたんですよねえ、お米もお味噌も。

 

 うちの井戸は誰でも勝手に使い放題だったんですよねえ。

 

 2,3歳の頃、家には見知らぬ親子が同居してたんですよねえ、親戚でもなくどんな縁だったのか今でも分らないんですよねえ。


 

 貧乏な時代だったんですよねえ、豊かさなんて感じてなんかいなかったんだと思うんですよねえ、ですけどが足りてたんでしょうかねえ、いっぱい一杯で。

 

 常に不服は感じてたんだと思うんですよねえ、けどが不足は感じてたんでしょうかねえ。

 

 持っていなくとも誰かが持っていればそれで足りていた、その条件であれば、「持っていないということは持っているということと同じだ」は真理なんでしょうかねえ。

 

 「自分のものは他人のもの」そして「他人のものも自分のもの」っていうことが暗黙のルールとしてあったんでしょうかねえ。

 

 持っていてもいなくても変わりはなかったってことなんでしょうかねえ。

 

   ※ 以下 豊かさ パート3 に続く、但し掲載日は未定です。