【2011-08-01(月)②】
何も持っていないということは全てを持っているということと同じだ
昔何かで読んだことがあるような気がするんですよねえ、うーんと昔のその又昔の人がもっと昔の人に聞いたことを伝えたものなんでしょうかねえ。
このことを考えることっていうのは、この言葉を知って以来長い間この偏屈男の暇つぶしの一つであり続けて来たんですよねえ。
「豊かさ」ということを考えるのには多分ここから始めないといけないのかなあという思いになったのはずっと後になってからなんですけどが、何とまあ今やこの言葉を知ってからもう五十年近くも経っちゃったんですよねえ。
五十年近く掛けてそれだけなんですよねえ、けどがそれだけ長いこと掛けなかったならば「豊かでない時代」と「豊かになって行く時代」と「豊かな時代」と「豊かを通り越した時代」を続けて見られなかったような気もするんですよねえ。
これだけ文明や科学や文化や思想ってもんが発達して来てんだからそろそろ誰かいい知恵出して「豊かさ」ってえのを分り易く簡単に説明して呉れりゃあ良かりそうなもんなんですけどがねえ、ここんとこさえ解決すりゃあ世の中の大概のことは丸ーるく納まっちゃうような気するんですけどがねえ。
今迄この件に関してはこの偏屈男スパッとした切れ味の技を見舞われたことないんですよねえ、ってことは矢っ張り自分で諸歯流性感崩し以外の構えを編み出すしかないんですかねえ、最近長いのには慣れちゃったから滅っ茶んこ時間を掛けて「豊かさ」ってもんに付いて考えてみるしかないんですかねえ。
ですけどがねえこれはパート幾つなんてもんじゃ終わらないような気がするんですよねえ、何せつくり話じゃないんですもんねえ、内容も実は「豊かさ」ってテーマじゃないんじゃないかなあって思えるようなもんになっちゃうかなあとも心配してるんですよねえ。
そんでも寄り道しながらボッチリボッチリ行くことにしましょうかねえ、取敢えずこれが「豊かさ パート1」なんですよねえ、何で数字がローマでなくてアラビアなんだってかと言うとローマ数字は十までしか知らないからなんですよねえ。
※ 以下 豊かさ パート2 に続く、但し掲載日は未定です。