豊かさ  パート4 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-08-01(月)⑤】

 

  ※ 前以て 豊かさ パート1~3を読んでからをお勧め致します。

 

  求めなければ得られない、求めれば全てを得られるか

 

 人が生れつき持っているものはあるんだろうし、しかもその持つものは段々と増えていくということなんでしょうかねえ。

 

 それが人によって違いがあるんだろうとは何となく分かる気がするんですよねえ、そして見た目で比較をすることによってどちらが豊かか豊かでないかを認識するんでしょうかねえ。

 

 比較をしなければ「豊かさ」なんて概念は成立しないものなんでしょうかねえ、それとも比較したとしても全てがみんな同んなしだったら差は生じないから、そんなことは考えることはないんでしょうかねえ。

 

 人に比べてとか余所と比べてとかで豊かか豊かでないかってことなんですかねえ。

 

 比べることに依って、その結果が自分で満足できるものであれば豊かだなあと納得するんでしょうかねえ、満足できない時にモアモアって思うんでしょうかねえ。

 

 そして求めれば何かを得ることができて、得ることができないのは求めなかったからなんでしょうかねえ。

 

 比べるものを多さん持っている人と余んまり持っていない人とでは、どっちが豊かなんでしょうかねえ。

 

 豊かさを求める力が弱いと豊かにはなれないんでしょうかねえ、個人も社会も豊かにはなれないんでしょうかねえ。


 

 時間を知る為に時計を持っている人がいて、その持っている人に時間を聞いて時間を知る人がいて、どっちが豊かなんでしょうかねえ。

 

 時間を知る為だったらどっちも差がないように思えちゃうんですけどがねえ。

 

 けどが、すぐ壊れちゃうのより長持ちするのがいいと思ったら、性能がいいしっかりとした時計のがいいなあって思って、いいのを持ってる方が豊かなんでしょうねえ。

 

 そして、時計を持ってる同士だと片っ方は100均の時計で片っ方はロレックスだと差が付いちゃうから、そこで豊かか豊かでないかの判断をせざるを得ないんでしょうかねえ。

 

 価値という概念ができて、その価値に対する満足感を埋める為にはより豊かに感じるものを目指すんでしょうかねえ。

 

 どんな時計だったら最終的に満足できるんでしょうかねえ、どんな価値を持つ時計だったらもうこれ以上のものは求めないって思うんでしょうかねえ。


 

 一番手っ取り早いのは、時計が失くても誰にも聞かずに時間を知ることができるってことなんですかねえ、でもそれだって若しかしたら持ってないってことには我慢ができないんでしょうかねえ。

 

 そうすると皆んなそれぞれ気が済むまでやるしかないんでしょうかねえ、どこで気が済むかはそれこそ千差万別なんでしょうかねえ。

 

  ※ 以下 豊かさ パート5 に続く、但し掲載日は未定です。