3月にタカセ貝の貝型を2,000個仕入れましたが、

既に残り1,000個を切ってしまいました。


タカセパイナップル型を1,000個注文してありましたが

貝型とパイナップル型を各1,000個追加注文を

しました。


貝型は3月に値上げになり、今回のパイナップル型も

値上げになりました。

とにかく毎回毎回値上げです。

私の思う適正価格があり、これ以上の価格転嫁は

心苦しいです。


すでに消費税も8%になりました。


境川沿いの桜並木。

毎日、会社に自転車で川沿いを通っています。

今年もきれいに咲いてくれました。


4月は前の勤めていた社の先輩、同輩、後輩との

定期ゴルフの月です。


土佐に着けばまず母を見舞う。97歳にしてまずまずです。


夜は高校の同級生との飲み会ですが、

時間があるので久し振りに高知城に登る。






3の丸の桜。新入社員の時は花見の場所取りに

行かされました。


城を下りてもまだ時間がありました。

ひろめ市場に寄ってチューハイにしらすと大根おろし、

カツオの角煮、カツオのたたきを注文。



ころを見計らって酒友の待つ場所に行く。

6時の約束だったので丁度に行くが、すでに皆出来上がって

いる様子です。







高校の同級生だが、とにかく男性の平均余命まで

あと数年しか残っていないので、今のうちに飲めるだけ

呑んでおこうと申し合わせた酒友たちです。


いつも宴会幹事に帰郷日を知らせますと2時間以内に

酒席の場所、時間の連絡が入ります。


帰郷しますとだいたい7~8名のメンバーが

集まってくれます。

今回は紀貫之国府史跡保存会の都合で一人参加

出来ず、代わりに同窓会にも参加せずの友が3年振りに

来てるれました。

彼は冬は沖縄、夏は長野、時にはピースボートで

世界一周の旅と老後を満喫している男ですが、

高知にいれば私の帰郷の席には参加してくれる男です。


明けて翌朝8時、先輩がホテルに迎えに来てくれ、

ゴルフ場へ。




先輩のスイング。御年77歳。

両ひざのテーピングが痛々しい。

医者にゴルフは月1回までとされているようだが

月4回のゴルフと週日は2,3回の練習を欠かせない

らしい。

同僚はかってシングルだったが、今はアプローチに

その面影を見るのみ。

現在は海釣りに嵌っているようです。

後輩は67歳。まだ現役で社に残っている。

仕事が忙しいのか、この日の成績は振るわず。


結果は77歳の老人の一人勝ち。


ゴルフ場は桜祭りが開催されており、フロントも

茶店のおねえさんも着物姿です。


キャディさんはいつもの服装でした。

茶店のお姐さん。


10月は17日開催を約して解散。

幾つになっても遊ぶことではすぐ意見が合います。


翌日は母の見舞い、筆山の友の墓参りをして空港へ。

空港ではいつもの蒲鉾盛り合わせに樽ハイを飲みながら

出発時間を待つ。


帰藤すれば4日にセブを出た荷物が8日に届く。



白蝶貝型を4サイズ作らしましたが全て黄蝶貝です。

東南アジアの白蝶貝は(gold-lip)黄蝶貝と云われます

ので仕方がないのですが、大きい白蝶貝の蝶つがい

の肉厚部分で作れば白いのが撮れますが、

量産が効かず、割高になります。


他には他の貝パーツ、水牛、ウッドパーツの入荷で

したが、若干デザインが違っていたりして問題ありの

商品もありました。

フィリッピン商品は気を緩めると手抜きが有りがちですので

要注意が必要です。

このような時にはすかさずクレームをつけます。


タカセ貝型、パイナップル型(M)の追加をする予定です。

貝型は3月に2,000個入荷して丁度1ケ月ですが、

500個残すのみとなりました。1ケ月で1,500個の

売れ行きは少しペースが速いようです。

1,000個追加注文をしてありますが、入荷は5月中旬を

予定しています。

あと1,500個ほどの追加注文をします。


白蝶貝型NO.6270は50名の方が入荷を待ってくれています。

NO.6395,486も待たせて、ご迷惑をおかけしています。


5月のセブは職人にハッパを掛けて量産と、修正指導と

少し忙しくなりそうです。


フィリッピン製の貝型は全て20年以上前に作らしたもので、

そのころは白蝶の材料もふんだんにあり、作る道具も

ない時代でしたが職人の腕だけは確かでした。

ミセスポンセからの仕入れでしたが、彼女が偲ばれます。


クチムラサキサンゴヤドリスライス(これもミセスポンセから

20数年前に10,000個)仕入れた物ですが、残り1,000個を

切りました。最近の物はタンブル(角採り)されていず、

角があり、艶もなく値段も高くなります。

希望の品質が保たなければ売り切りで終わる予定です。

マクタンリィリィも近々売り切れになりそうです。


歳を考えますと仕事の方も終盤に向けて

ソフトランヂィングする年が近づいてきています。


長年セブのホテルに預けてあるスーツケースの中味、

ゴルフバッグも徐々に整理する段階に来ています。


洗ったプカシェル。

プカシェルの13~15mmの注文をいただきました。

休みの日に次亜塩素酸ソーダで洗って乾かして

いるところです。

プカシェルも半分くらい(5,000本)に減りました。


売れ残りのプカシェルがあれば庭の蛇口の下に

玉砂利の代わりに撒くつもりでいます。


プカと出会って40年、庭に出るたびに思い出す

ことになるでしょう。


ミセスポンセのことを本人もわれわれ日本人も

通常は“ママさん”と呼んでいました。


ポンセの品物は出来るだけ残して、近年になって

売り出しています。


ポンセの商品。

右上の白蝶貝型は左右75mmあります。

売りつくして破損品が残っているだけと思いましたが

1ケ出てきました。

右下の白蝶シズクはフィリッピンで上を削り穴を開けて

もらう予定です。


白蝶貝の象、飛行機もサンプルをフィリッピンに持参して

作らそうとしましたが上手く出来ません出した。


30~40年前は今より道具もない時代でしたが良い品が

出来ていました。

しかし誰でもが作れる訳ではなく、腕利きの職人が

ポンセの名声を聞き、ポンセの工場に集まった結果と

思います。


出来るだけポンセの品はサンプル程度でも残しています。

まだまだポンセの品々はどこかに残してあるはずです。

出てくればその都度ブログで紹介します。


弥生3月、響きのいい3月ですが、真冬並みの寒さです。

フィリッピン、台湾行きの月です。


寒さ対策に腰にホカロン1つ、中から暖をとるために

お湯割りを数杯飲んでの出発です。

薄手のジャパー(ブルゾン)に薄手のチノパンと

フィリピン用のいでたちです。


羽田に着くと両替。先ず世界の両替商のレートを覗く。

次に邦銀2社のレート。2社の差は30銭。

両替商と邦銀安値との差は1円92銭で差は大きい。

替えるべきが迷いましたが、出国審査後の某国の

銀行に託す。

1月にまとまった金を両替したので両替手数料30%

引きの割引券をもらっていました。


結果は邦銀の安値より更に10銭安、両替商との差は

2円02銭の違いでした。

その上、両替手数料30%引きで数百円安かったです。


一仕事終えて、JALのさくらラウンジです。


①JAL新旧機体。

JALの機体も80%くらいは鶴のマークに変更された

ようです。

水割りを飲みながらスカイツリー、行き交う航空機を

眺めて出発時間を待ちます。


CX543香港行きはジャンボ機です。ほぼ満席です。

全日空のジャンボ機は3月31日が最終フライトで廃止

されるようですが、CXはまだまだ大量輸送で

稼ぎ頭のようです。


機内でのほろ酔い加減も香港に着くころは

すっかり醒めています。

キャセイのラウンジでクリームとマシュポテトスープと

を飲み、時間を待つ。

CX921便でセブ行き。予定通りでセブ着。

ホテルに着き、TM氏に来島の旨電話。


持参のつまみを肴にウイスキーの水割りを飲み始める。

ボトル1/3くらい飲んで明日に備えて就寝。


翌朝は旅行代理店に行き、5月、7月、9月の航空券を

購入。11月はバリに行くかも知れないので航空券の予約は

せず。

たぶんバリまで行くパワーはないと思う。


貝屋に行き、頼んであったマツカワガイ、キンチャクガイ、

ヒオウギを確認する。

夕刻、TM氏の迎えで、氏のメンバーズクラブ“カジノ

エスパーニョ”でご馳走になる。


9日(日)はTM氏の迎えで、セブカントリークラブでゴルフ。

5か月ぶりのゴルフでやはり皆さんにお支払い。


この夜は台湾の張氏と日本食堂で飲む。

彼にホテルまで送ってもらう。


10日(月)から本格的に仕事。

貝の職人、水牛の職人が来る約束だが現れず。

メインの会社とウッドの職人の所に行き、出来上がり商品の

確認、追加注文をする。


11日、12日は貝の職人の仕事振りを見る。



バリで仕入れたパウアシェルの不良品を修正さす。



白蝶貝、貝型を作らす。



持参の白蝶貝バラ彫りに右下のように白蝶貝を裏貼り。



ヤコウ貝のパーツを作った後のスクラップ。

この状態のスクラップがかなり溜まっています。

コブの部分を切り取りタスク(ツノ)のパーツを

作るように指示。



マガキガイのトップのスクラップ。

これもパーツを作るように指示。



パウアシェルのスクラップ。

これも再利用でパーツ作りを指示する。



スポンジコラルの原料。最近大きいのの入手が困難。


2日間、職人の仕事ぶりを見ていたので、少し喉を

やられたようです。




マンゴアベニューを東に入った通りを歩いていたら

こんな光景に出合いました。

黄色い落ち葉が敷き詰められて秋の風情。

セブでもこんな光景が見られました。




12日ミセスポンセの墓参り。

手製の竹筒に花が生けられすっかり枯れていましたが

ミセスポンセのゆかりの者がお参りに来てくれていると

思うとすこし安心しました。


13日(木)香港経由台北行き。

セブのCXラウンジではいつもの朝がゆ。

香港のラウンジはクリームスープ。






香港の空港。相変わらずスッモグに覆われて

対岸の島が霞んで見えない。

ここ数年ひどくなっているようです。


台北のホテルには8時半頃着。

コンビニでウイスキーのミニボトルを買い、水割りを

飲んで就寝。


14日は取引先に行き、タカセ貝型(2,000個)と

イケチョウ星型(1280個)を受け取り。

中国で作らせているが、台湾人なので台湾に

送ってもらっています。





行きつけの喫茶店での朝食。トマトジュースのコーヒー。

いつも目玉焼きは1個にしてもらい、その代わり野菜を

多めに付けてくれます。




台湾ではコンビニがおお流行りです。




以前はこのような露店が流行っていましたが、

コンビニの便利さ、清潔さが受けているようです。

露天商の方々には大打撃ではないでしょうか。



街で見かけたバーの看板。

飲み屋に行くこともなくなりました。


15日帰国の為にバスで桃園空港。

出発時間までCXのラウンジ。

水割りを飲みながら静かに時間を過ごす。

みかんを置いてあったので食べてみる。

沖縄の知人が毎年贈ってくれるタンカンの味でした。





今回、セブでハナマルユキタカラ貝のストラップを

作る。


次回のフィリッピン、台湾は5月です。

奇数月の年6回はフィリッピン、台湾です。

2,10月は沖縄、4,10,12月は高知です。

これが私の1年のスケジュールです。


日本にいる時(フィリッピン、台湾でも)仕事は

いい加減適当にやっています。

私の脳細胞は酒で完全に破壊されていて、

以前のように仕事はできません。

全てはスタッフまかせです。




2月は先週の雪かきで筋肉痛が治らないのに

また14,15日の雪で、雪かきを余儀なくされました。







さらなる筋肉痛に腰痛も加わりました。

それでも18日は念願の沖縄に着きました。


機内放送で那覇は気温19℃、雨とのことでした。

確かに地面は濡れていましたが曇り空でした。

気温はぐんぐん上がって23℃のようで歩くと汗ばむ

陽気でした。


まず昼食は沖縄そばです。


紅ショウガと島とうがらしのエキスをかけて

食します。

緋寒桜。

国際通りの大湾洋服店裏の緋寒桜も終わりでした。

大湾洋服店にはsince 1927と書かれていました。

国際通りもほとんどの店が様変わりをしましたが

ここだけは変わっていません。

しかし43年前は洋服のオーダーメイドの店だった

ですが、今は扱う商品が既製のようです。


酒豪に行く頃はかなりの雨でした。

酒豪でマイボトルにご対面です。



初日の肴はフーチャンプルにイカの丸焼でした。

ストラップのサーフの先まで残っていましたが

呑み干して新しいボトルを開けました。


2日目は市内でブラブラしていました。


シーサー達。

一銀通りの第一ホテルの庭先で見つけました。


2日目の夜はソーメンチャンプルにポークタマゴの肴で

泡盛でした。


3日目はコンビニでミネラルウオーターとおにぎりを1個買い、

9時のバスで糸満に行き、そこでバスを乗り換え

姫ゆりの塔でした。


那覇から糸満に行く途中は新しい大きな道路が通ったり、

バイパスが出来たりで見違えるような様変わりです。


自民党の、札束で有無を言わさぬ攻勢のお陰でしょう。

戦後処理にアジア諸国に自民党政権が行ってきた政策と

同じではないでしょうか。



姫ゆりの塔は多くの修学旅行の学生さんたちで

溢れていました。


姫ゆりの塔横の土産物屋さん。



ここで貝を見るのも楽しみです。

下のルリサンゴには18,000円の値段がついています。

少々高いと思いますが、ワシントン条約で採取禁止です

ので仕方ないと思います。


姫ゆりの塔で少し時間を潰し、平和記念公園行きです。
ここではまずブーゲンビルの塔にお参りです。




道路は全て隆起サンゴのタイルが張り巡らされています。




途中こんな物騒な看板も立てられていますので

道の中央を歩きます。






ここにはブーゲンビル島で亡くなった沖縄出身の方々が

眠っています。

持参のミネラルウオーターを献水して、塔とソロモン諸島

に向かって手を合わせて終わり。


残ったミネラルウオーターとおにぎりで昼食。




寄進箱に100円の寄付。

野天で数か所に置かれています。

紙幣は雨にぬれて向きません。




平和の丘の塔。




手前は沖縄戦で亡くなった方々の墓名碑。

沖縄の方だけではなく各県、外国人の方々の名も

刻まれています。


奥の赤い屋根は沖縄県平和祈念資料館。




右上の白い建物は沖縄祈念堂。




愛知県の愛国知祖之塔から見た半島。

戦火で追われた沖縄県民の方々が海に向かって

飛び降りたと聞く。


時の為政者たちは靖国参拝は“お国の為に尊い命を

ささげた英霊の御魂に不戦の誓いをするのが当然で

ある”と云うが、英霊たちは信じるだろうか。


この言葉を聞かされるたびに虚しさを感じる。

どうも衣の下に鎧が見え隠れする。


軍人はいざ知らず、兵は本当にお国の為に出征した

のだろうか。

愛する妻や子、家族、恋人を戦火から守るために

身を捧げたのではないでしょうか。


毎日新聞川柳“靖国に眠るは全て英霊か”

島田ー静岡島田宿さん。2月22日付。


戦いは生身の人間同士がするのです。

相手方と不戦の約束をする努力をするべきでは

ないでしょうか。


フィリッピンの軍票写真。

上はTEN PESO紙幣です。

40年くらい前にセブ島のタリサイの浜辺をあるいていますと

フィリッピン人の若者がこの金を買ってくれないかと

近寄ってきました。

ああこれがうわさに聞いた軍票かとすぐ解りました。

数十枚でしたので買いました。

中央上にTHE JAPANESE GOUVERNMENT(日本政府)

と印刷されています。

左が裏面で右が上から100ペソ、10ペソ、5ペソの

紙幣です。

戦時下とは言え他国の通貨を日本製府名で発行し、

彼の国の乏しい食料をこの紙幣で強制的に取り上げた

ことでしょう。


これなぞどこにも通用しない偽札を日本政府自らが

作ったのではないでしょうか。


昔、沖縄の戦時下の武具、銃火器、薬きょう、農具、

民具など展示されている資料館に数枚を残して

寄付さしてもらいました。


以前那覇交通の観光バスのガイドさんが

“戦(いくさ)からは平和は決して訪れません”と

言った言葉を思い出します。


沖縄の基地問題も普天間を辺の古に移しても、

県民の負担はAからBに移っただけではないでしょうか。


米海兵隊と空軍は仲が悪から無理といいますが、

嘉手納基地に統合することは出来ないでしょうか。


途中米軍の関係者か男女3人連れに会い、ハローで

別れる。


公園の中を散策してバスを待つ。



バス停の植え込みでタンポポをみる。

何十年振りのことだろう。


糸満でバスを乗り換え那覇に帰る。




那覇港には米軍の巨大な輸送船が停泊中でした。


まだ酒豪は開いていないので、別の店に寄る。

ここもマイボトルをキープしています。



12インチくらいの小さなテレビが置いてあります。

美ゅらさんにいいかげんい大きい液晶テレビに

変えたらと云いましたら、まだ19年しか使っていないと

云われました。涙が出そうです。


市場通りに行きサーターアンタギーを

おみやげに買う。


一度ホテルに帰り、酒豪へ。



那覇市役所の壁面はまだ緑が育っていませんでした。

やはり冬だからでしょう。

10月を楽しみにしています。


21日(金)帰藤する日です。

沖縄滞在中は雨が降ったり止んだりで、

あまり天候に恵まれたとは言えませんが

さりとて雨に悩ませられたこともありませんでした。


しかし今日は快晴です。

“海の青さに空の青”芭蕉布の世界です。

これぞ沖縄です。

内地の寒さを思うと帰りたくないです。




地上職員に向こうの島は何島かと聞きましたら笑って

答えてくれませんでした。

帰って調べましたらどうやら慶良間列島のようです。


オオジャコ貝の嫁ぎ先が決まりました。





車庫の中で眠っていましたが、洗剤で洗って

お化粧直しをしました。

左右80cmくらいの大きさで重量は35~40kgくらい

でしょうか。あるいはもっとあるかも知れません。

以前は軽々持ち上げましたが今ではとても無理です。


同じ大きさの物が玄関先に置いてありますが、

これは持っていようと思います。

これは65cmの大きさです。




もう一枚25kgくらいでしょうか、あります。


ご希望の方がいればお譲りします。


注)シャコ貝25kgサイズご注文いただきました。

これで全て完売になりました。

ありがとうございました。